「人形、それは、人間のおどろおどろしい情念の相関者である」(*1)
「人形美学」の先駆者である美学者の増淵宗一は、著書『人形と情念』(1982)において人間と人形の関係性をこのように表現している。なるほどたしかに、私たちは生まれてから現在にかけて、なにかしらのかたちで「人を模したなにか」と関係を結んできた。
たとえば、赤ん坊のときは布製のぬいぐるみがベビーベッドに置かれていたかもしれないし、(本人の意志とは関係なく)出生時に割り当てられた性別が女の子だったらお雛様、男の子だったら五月人形が飾られていたかもしれない。もう少し成長したら、大人におねだりして自分の好きなキャラクターのソフビ人形やぬいぐるみを買ってもらい、対等な「友達」として一緒に遊んだり、ひとりでは抱えきれない怒りや悲しみをぶつけたり吐露していたかもしれない。
さらに成長して、もうソフビ人形やぬいぐるみと遊ばなくなってしまっても、推しのアクスタやぬいぐるみを携帯して推し活をしたり、とある作品に対して好きが高じてより精巧なフィギュアを集め始めているかもしれない。おそらく、人生のなかで一度も「人を模したなにか」と関係を結んでこなかったという人はいないのではないだろうか。
渋谷区立松濤美術館で2023年8月27日まで開催中の「私たちは何者?ボーダレス・ドールズ」展では、人間が様々なかたちで関係を結んできた、ありとあらゆる領域の人形と呼ばれてきたものとの情念を網羅的に鑑賞することができる極めて珍しい展覧会だ。
しばしば開催される「人形」を展示する展覧会は、特定のグループ群、たとえば雛人形やビスクドールなど特定の種類を集めた展覧会、商業用人形の周年記念企画、人形作家の個展やグループ展などを主軸としたものが多い。研究者や愛好家などにとっては、特定のグループ群における縦と横のつながりを理解するという意味では意義深く楽しむことができるが、もう少しカジュアルな動機で見てみようという人たちにとっては、前提となる知識がないとどう鑑賞してよいかわからない、そもそも人形を「鑑賞」するとはどういうことかなど、良くも悪くも鑑賞者側のハードルを上げてしまう可能性がある。当然、これは「人形」の展覧会に限ったことではないが、人形と親密な関係を結んできた人ほど、そう思ってしまうかもしれない。
しかし本展は、「そんな日本の人形の一括りにはできない複雑な様相を、あえて「芸術」という枠組みに押し込めず、多様性をもつ人形そのものとして紹介することで、日本の立体造形の根底に脈々と流れてきた精神を問うもの」(*2)として、かなり広い枠組みで人形というものをとらえようという試みがなされている。
全10章に分けられたセクションでは、呪術的な側面で用いられていた人形(形代)、儀式や年中行事で用いられることで一種の規範を表象する装置となった人形、彫刻や芸術作品としてみなされるようになった人形、戦時中に「お守り」として機能した人形、商業製品として長年愛されている人形、娯楽の一種として市井の人たちに親しまれた人形、理想的な身体を提示し続ける人形、身体的な接触を前提・喚起させる人形、自分自身を投影する写し鏡としての人形などが展示されている。
一見すると各セクションは独立しているように見えるかもしれないし、これまでの「人形」を展示する展覧会同様、ある程度の知識を要すると思ってしまうかもしれない。しかし、増淵のいう情念というキーワードを手がかりにして観ていくことで、それぞれの人形に対する知識がなくても、その時代、文化、状況、個人的な心情によってどんな情念の拠り所として人形を認識していたかを知ることができる。鑑賞者によっては、きっと人生のなかで一度は抱いたことがあるかもしれない感情を思い出し、心が揺さぶられるかもしれない。
本稿では、私自身が心を揺さぶられた作品をいくつか紹介したい。
1つ目は、《人形・奉公袋》と《人形・御守り》である。戦時中は「ぜいたく品」として作ることが制限されていた人形だが、いっぽうで推奨されていた人形もあった。それが「慰問人形」である。第二次世界大戦中、子供たちが手作りした「慰問人形」を「慰問袋」の中に入れて戦地の兵士たちに送り、彼らを励まし、守るべき存在==子供たちを意識させ、士気を高めるという狙いがあったという。目の前に展示されている「慰問人形」を見ていると、銃口の先にいる相手にも同様に守るべき存在がいるという想像力を掻き消してしまうほどの切迫した状況とはどういったものだったのか、想像せずにはいられない。
2つ目は、吉村利三郎《生人形 松江の処刑》である。愛媛県松山市の三津浜地区に伝わるとある事件の一場面──正当防衛だったものの、殺人を犯してしまった松江を斬首する父と明かりを灯す妹の姿──を再現したものだ。三体の生人形は法要行事の際に松江の墓の横に陳列されていたそうで、おそらく屋外で展示されることを想定して作られていたものだ。しかし本展の展示室でみると、目を閉じて合掌する松江の生人形の目の縁が照明で光り、涙を湛えているように見える。これは偶然の産物であろうが、本来の想定とは異なる場所で展示されることによって、鑑賞者が「発見」できる情報が多様になる。ある意味、作者の意図を超えた読解が可能となるともいえるだろう。
3つ目は、工藤千尋《おばといとこたち》《約束された子供》《快復する私たちの身体》だ。工藤は、大学時代から悩まされた親族間のトラブルによる心の不調や自分自身の身体に対する問題と対峙するために、人形制作を行うようになったという。血縁関係や女性であること、そして女性であるなら持っているとみなされる母性といったものに対する憤りや不完全さを、布や綿、ナイロンストッキングや化粧品などを用いて作られている。引き裂かれてしまった自己を回復させるために必要とされた写し鏡としての工藤の人形たち一つひとつに、その切実さを読み取ることができる。
最後4つ目は、草野真希子(オリエント工業)《麗人形》《愛人形》である。ラブドールとは疑似性行為のために生まれた人形であり、かつては「ダッチワイフ」とも呼ばれていた。オリエント工業はそんなラブドール製造の老舗企業で、障害を持つ人や個別の悩みに対するケアの一環としてラブドールの開発を進めたという経緯(*3)もあり、様々なニーズに沿ったドールを生み出し続けている。そのため、ラブドールを単純に性処理の道具としてではなく、身体接触の有無を問わないかたちで親密な関係を結ぶパートナーとしてお迎えするユーザーもいる(*4)。しかし、あまりにも人間に近い等身や造形であるため、どうしても人間の代替として軽んじられがちだ。また、今回のような公共施設での展示をする際はゾーニングが施されることからわかるように、しばしば好ましくない存在──わいせつなもの──としてみなされることもある。もしかしたら、本展で初めてラブドールを見るという人もいるかもしれない。
今回展示されている《麗人形》《愛人形》は、どちらもオリエント工業「アンジェ」シリーズの「つばさ」ヘッド(頭部パーツ)が用いられているが、メイクとポージングによってまったく異なる印象を受けるだろう――ぜひ手に施されたメイクに注目してほしい。二体のラブドールが表現しているものは、翻って私たちは何をもって「女らしさ」や「男らしさ」とみなしているのか、その基準があまりにも曖昧であるという事実を突きつけてくる。
本展を見ながら、私は人形たちから発せられる呼びかけにできるかぎり応答してきた。しかしそれと同時にすべてに共通する大きな問いにはいまもどう応答するか悩んでいる。おそらく今後もずっとその答えを導き出すために試行錯誤するだろう。本展の鑑賞者たちはどう応答するだろうか。人形たちから投げかけられる、「君たち(=人間)は何者?」かという問いに。
*1──増淵宗一「人形と情念」『人形と情念』 (現代美学双書 4)、勁草書房、1982年、2頁。
*2──渋谷区立松濤美術館監修「ごあいさつ」『私たちは何者?ボーダレス・ドールズ』青幻舎、2023年、4頁。
*3──詳細は今野裕一「ダッチワイフのもう一つの貌」今野裕一ほか編『夜想』(31)、ペヨトル工房、1993年、188-209頁参照。
*4──詳しくは拙稿(関根麻里恵「ラブドールの「見た目」に関するいくつかの覚書」『現代思想』49(13)、2021年、218-225頁)を参照されたい。
関根麻里恵
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