山梨県甲府は、宝石の街として知られる。もともと、江戸時代に水晶の石が山中から発掘されたのがことの起こりなのだそうだ。しかし現在、多くの人が甲府と宝石を結びつけようとはしない。そんな状況を打破するために、甲府が挑むJAPANブランド・プロジェクトが、「Koo-fu」プロジェクトである。軒を連ねる宝飾製造業者の中から、話を聞くことになったのは、親子ふたりで宝石彫刻の工房を営む「貴石彫刻オオヨリ」だ。彼らの言葉から感じ取れるのは、甲府という地が秘めた可能性。ここに集う技術の数々は、本当の意味で宝の山となる可能性を秘めているのか? ふたりの話に耳を向けてみよう。
Q: 甲府という土地は、宝飾関係の仕事を営む業者さんが沢山あるんですね。
A: 大寄芳朗(父):はい。この辺りは、昔から天然水晶がとれるということと関係があるのでしょう。彫刻の組合に入っている会社だけでも40社はある。それが、全ての会社を合わせた数となると誰も把握していないのではないでしょうか。ある人が1000社と言えば、ある人は1500社というといった具合です。
Q: いずれにしても凄い数ですね。でも、それだけここには、宝飾関連の仕事が多くあると言うわけですね。
A: 大寄(父):年配の方々が語るところでは、1950年代や1960年代は製造が追いつかないくらいに注文が多かったと聞きます。「昔は良かったのになぁ」と言うんですよ。
Q: というと、現在はかつてのように盛況な状態ではないということでしょうか?
A: 大寄(父):そうですね。今は、決して「良い」とは言えない状況ですね。それでも、この甲府近辺は宝飾に関する技術者が密集して住んでいる貴重な場所なんです。宝飾と一言で言っても、石の研磨、貴金属加工、石留めなどいくつかの工程の専門の技術者が力を合わせて、はじめてひとつの価値ある宝飾品が生まれます。そういう意味では、甲府という土地は今も潜在的な力を秘めてはいるんです。でも、私みたいな年寄りがアイディアを出そうったって、良いものが出てこない(笑)。
Q: でも、大寄さんの工房には既に頼れる後継者がいますね。長男である智彦さんは最初からお父さんの仕事を継ぐおつもりだったのですか?
A: 大寄(息子):はい。それは幼い頃から何となくそう思っていました。幸いにして、何か手を動かしてものをつくるのが好きだったんです。だから、特に迷いもなく、高校ではデザインを学び、専門学校では宝飾技術の基礎を学びました。父の工房に入ったのは、宝石学校を終えてからすぐのことです。大きな葛藤もなく、自然な流れで今に至っています。
Q: 今の話をお伺いすると、JAPANブランドのプロジェクトに参加しているのは、若手の智彦さんの方なんでしょうか?
A: 大寄(息子):はい、その通りです。実は一年目から参加していて、一年目はアドバイザーという立場からの参加だったんです。アドバイザーには、デザイナーに宝石の基礎を教える役割があります。JAPANブランドのプロジェクトのために集まってきたデザイナーさんたちの中には、デザイナーではあっても石の加工知識のない人もいます。だから、そういう人たちに何が可能で何が不可能なのかを教えるのです。
Q: デザイナーさんたちがJAPANブランドのプロジェクトに参加する経緯というのは、どのようなものなのでしょうか?
A: 大寄(息子):基本的には甲府商工会議所の方で、関わりのある200社にデザイナー募集をかけたと聞いています。最初の年は15人、2年目は19人が集まりました。私も、2年目からはアドバイザーではなく、デザイナーとして参加させてもらっています。普段、私は職人であると同時に、宝石の専門学校で講師をやらせていただいているのですが、やはり若い人たちに道をつくってあげたい。そのためには、新規性のある商品に自らチャレンジすることが大切だと考えたんです。若い生徒たちは、厳しい時代だということもあって、みんな真剣なんですよ。
Q: JAPANブランドでは、毎年コレクションというものを発表しているそうですね。そこに出品するアイテムのデザインは、どのようなプロセスで決められていくものなのですか?
A: 実は、この「Koo-fuプロジェクト」では、ある著名な協力者をデザイン・アドバイザーとして招いているんです。その人物が深澤直人さんです。深澤先生は山梨県出身の工業デザイナーで、忙しい合間を縫ってこのプロジェクトのためにワークショップを開いてくれています。その回数は、去年度が7回、今年度が5回なので合計すると12回にものぼります。先生の素晴らしいところは、このプロジェクトに非常に力を入れてくれるところです。参考リストなどは見ずに、私たち参加デザイナーの顔とそれぞれの作品が全部、頭の中に入っているんです。一生徒として、先生は本当に信頼の置けるデザイナーだと感じています。
Q: ところで、智彦さんはどんな作品をデザインしたのでしょうか?
A: 昨年はカットの水晶を水晶が包み込むというものをデザインしました。正式にデザイナーとして参加することになった作品は桜の花をモチーフにしたデザインです。この作品は時間が短い中でつくった割には、自分自身かなり良く出来上がったと思っています。深澤先生に褒めてもらえたのも、嬉しかったですね。
Q: 新しいオリジナル商品をデザインしてみて、何か感じることはありましたか?
A: 大寄(息子):改めて感じたのは、この山梨の土地の周辺に多くの協力者がいるということです。この作品をつくるときにも、宝石学校時代の先輩に、かなり無理なスケジュールで地金の加工を依頼したものです(笑)。父が述べた通り宝飾業と言っても、いろいろな業者があるんです。オリジナルの商品をつくるところ、受注しかしないところ、100人近い従業員をまとめて製作を行うところ、若者をターゲットにしたところ、中高年層をターゲットにしたところ、などなど。それぞれ商売の方法は違うのですが、やはり同業者が多く集まっているというのは心強いものです。それは、同時に、甲府の土地の強みなんだろうな、ともしみじみ感じました。
Q: これだけの宝飾製造業者が一堂に会する土地というのは、日本だけではなく世界でも珍しいんではないですか?
A: 大寄(父):そうなんですよ。だから、昔は海外にもかなりの量を輸出していて、アジアを中心に外国でも比較的知られていた土地だったんです。外国人が「Ko-fu(こうふ)」を発音すると、どうしてか「Koo-fu(くうふう)」になる。JAPANブランドプロジェクトの名称の由来は、実はここから来ているんですよ。だから息子のように若い連中が、このプロジェクトに参加することで、新しいアイディアなんかをこの土地に注入してくれたら嬉しいんですけどね。
Q: 先輩の技術者としては、新しい血を循環させるために必要なことはどんなことだと考えているのでしょう?
A: 大寄(父):やはり、人に会うことなのではないでしょうか? 工房でじっと作業していても世界は広がっていきません。私なども、若かりしときには技術部という部をつくって、同業他社の仲間を集めて、美術関係の先生を呼んだり、大先輩の職人を呼んだりして、一生懸命勉強したものなんです。だから、その意味からは、彼がJAPANブランドなどを通じて、今まで交流のなかった人と横のつながりを持てるようになったのは良いことだと思うんですね。この工房の創業者である私の父などは、もう典型的な職人気質で、黙々と淡々と仕事をこなしていく人間でした。
Q: 最後に智彦さん、若手代表として、今後のビジョンのようなものがあったら、教えてください。
A: 大寄(息子):地味なことを言うようですが、何よりも仕事をキチッとして不備がないように1点1点仕上げていきたいです(笑)。それから、ゆくゆくは製造販売のような形で、インターネットでの販売やお店をもって直接お客さんにオリジナルデザインの宝石を売れたら、きっと楽しいのではないかなぁと思っているんです。
貴石彫刻オオヨリ。山梨県甲府市丸の内3-25-1
A Word from a Regional Project Participant
「Koo-fu」プロジェクトは、山梨のジュエリー産業に携わる者たちが、現状を危惧して2005年に起ち上げたプロジェクトです。JAPANブランドの事業として参加することになったのは、2007年からとなります。山梨県甲府市は昔から宝飾業の盛んな土地でした。日本の宝飾品の3分の1は、ここでつくられたもので、その数は日本一なんです。そうした土地の伝統は今もここに息づいていて、多くの技術者がおり、優れた素材があるところです。しかし現状としては、一般の人にはまだまだ甲府=宝飾の街というイメージはありません。それには、大手アパレルメーカーのOEM商品をつくるなど、有名ブランドの名の陰で縁の下の力持ち的な仕事の仕方をしてきたことと関係があるようです。「Koo-fu」プロジェクトが将来的に目指しているのは、消費者からの指名買い。「甲府のジュエリーが欲しい!」、大勢のお客様にそう言わせることができたら嬉しいですね。私たちがこのプロジェクトの軸に置いているのは、甲府でしか入手できない地金用の新素材です。ひとつは、プラチナより純度が高く、硬く傷つきにくい性質を備える「Koo-fu Pt950」、もうひとつはノンメッキ・ノンニッケルでも白く輝くホワイトゴールドの「Koo-fu K18WG」です。こうした新素材を用いて、ワークショップを通して、若手を中心とした宝飾デザイナーたちに新しいデザインのアイディアを練ってもらい、「Koo-fu collection」として発表し、その認知度を高めていく。これをひとつ流れにできたらと考えています。もちろん海外も視野に入れています。世界の人たちがジュエリー産地のイメージとして持っているのは、「デザイン的に優れているのはヨーロッパ製品」というもの。そういう外国の方にも、本当にクオリティの高い甲府のジュエリーを手に取ってもらい、固定したイメージを打破できたらと思っています。