「鋳物」という言葉から連想するモノとは何だろう? 鉄瓶、火鉢、梵鐘。およそ多くの人の頭に浮かぶのは、どこかノスタルジーを感じさせるモノであるはずだ。しかし実際のところ、鋳物という存在は、今も私たちの生活の中に溢れている。それはときに街路灯であり、フェンスであり、橋の欄干であり、マンホールであり、排水口である。その独特の質感に気を配れば、「ああ、これもそうか」と街中に鋳物製品の数々を見つけることができるはずだ。埼玉県川口市は鋳物のメッカだ。ここに話題を集める鋳物ブランドがある。川口商工会議所が行うJAPANブランドプロジェクト事業のKAWAGUCHI i-mono」と呼ばれるこのブランドは、川口という鋳物産地においても、まったく新しい試みだ。新境地の開拓に果敢に挑むのは、伊藤鉄工。同社社長に話を聞いた。
取材:鈴木隆文
Q: 最初に初歩的なことを聞きたいのですが、鋳物とは一体、どんなものを指して言うのでしょう?
A :金属を溶かして砂の型に流し込んで出来た製品が鋳物です。その歴史は、遥か昔、紀元前のメソポタミアまで遡りますが、現在の機械文明の発達には、鋳物という技術はなくてはならないものなんですよ。金属なのに、複雑な形状ができるという加工性、なかなか減らないという耐摩耗性、錆びにくいという耐食性、振動や騒音を吸収してくれる減衰性など、産業素材としてさまざまな利点があるわけです。
Q: 川口という土地には、ずいぶん多くの鋳物屋さんがあるのですね。
A: そうですね。でも、これでも最盛期の5分の1程度にまで減ってしまってはいるんですけどね。鋳物メーカーは、だいたい受注仕事を主にしている。自動車のエンジンパーツ、工作機の部品、産業用機械の部品なんかをつくって、発注するメーカーに納品する形で仕事をしているんです。そんな中では、ウチは珍しいメーカーかもしれない。祖父の代からオリジナルの製品をずっと販売してきていますからね。
Q: 「オリジナルの鋳物製品」というとどんなモノになるのですか?
A: ウチが商売の2本柱として考えているのは、衛生排水などの建築資材と都市の景観材料です。元々ウチは、創業者である祖父が、昭和初期に石炭ストーブをつくって商売をしていた。それが昭和20年代後半頃から、2代目にあたる父が建築用排水器具をやりはじめるようになった。そして3代目の私が平成に入って都市景観材料をつくるようになったという流れがあります。商売というものは、大体、30年から40年のスパンで新しい食い扶持となる製品を開発しなければいけないんですね。だから、息子が継ぐ頃には、また違った製品が必要になっているでしょうね。
Q: それにしてもオリジナルの鋳物製品で商いをするという発想は、当時の町工場としてはかなり斬新なものである気がします。
A: それは、この会社を起ち上げた祖父という人が随分と変った人物だったことと関係があるかもしれません。元々、彼は信仰心の篤い人で、日蓮宗に帰依していたんです。その信仰心が高じてか、彼はお寺を建てたいと考えた。それで、その資金を調達するために起ち上げた会社が伊藤鉄工だったわけですね。かなり破天荒な人物で、戦時の空襲中などでも決して動じなかったと言います。「オレは日蓮をやっているから弾には当たらない」、それが彼の言い分だったそうです(笑)。これに対して父は潔いことを良しとする人物で、武士道に傾倒していた。だから、私も随分と、その影響を受けているんです。
Q: 伊藤さんはいつからこの会社にお勤めなんですか?
A: 私は、大学を出てすぐなんです。大学での専攻では理工系でして、父のやっていたこの会社に入ってからは、しばらくは製品の品質管理と製品開発など、技術的な面をサポートするポジションについていました。本当は頭の中は文系で、歴史とか文化人類学などが好きなんです。だから若かりし頃は、研究者になりたいとさえ思っていたんです。特に、ガリア戦記のシーザー(カエサル)に憧れていて、いろいろ歴史を研究したかった。
Q: なるほど。話は変りますが、JAPANブランドプロジェクトのKAWAGUHI i-monoはメディアで多く取り上げられていますね。
A: はい。製品としての評判は上々ですね。2008年のパリのメゾン・エ・オブジェでもかなり注目を集めていましたし、販売も地元そごう川口店にはじまり、西武百貨店池袋本店や東急ハンズにも置いてもらえるようになっています。でも、採算ということを考えるとまだまだこれからですけどね。
Q:
どんな経緯から、鍋やフライパンなどのキッチンツールをやろうとお考えになったんですか?
A: 中小企業の経営者としては、先程も言ったように、新しい商売のネタを常に探していなければならないわけです。それで、Japanブランド事業の支援を受けられる話があり、いろいろリサーチした結果、キッチンツールとしての鋳物は市場が国内だけでも約30億円あって、その10%でも狙えたらいいんじゃないかと、考えたわけですね。で、フランスのブランドの高級鋳物キッチン用品をつくっているルクルーゼというメーカーがあるんですが、ここがその市場の半分から3分の2位を抑えている。だったら、ほど良い値段設定さえできたら、売上げが見込めるんじゃないかなと考えたわけです。価格帯として狙ったのは、南部鉄器よりは高く、ルクルーゼよりは安くというものでした。でも売上げは、まだまだ当初の目標の域には達していないですね。
Q: 一般家庭に渡る日用品の製品をつくるというのは、普段つくっている鋳物とはまた違っていて、面白い発見もあるのではないでしょうか?
A: まず、家族や親戚、それからスタッフからも、鍋やフライパンを使った感想が出てきたのは面白かったですね。「これはいいわね!」という意見をもらえる。鋳物はカーボン(黒鉛)成分を含有しているから、油を一度敷けば、料理がフライパンにくっつかないというメリットがある。それから鍋の方も半分圧力鍋的な働きをして煮崩れをしにくいという特性があるんです。それに何よりもウチの鋳物鍋は軽量で扱いやすい。ルクルーゼの鍋に比べると、鍋の肉厚は2分の1程度になっているんです。
Q: 話を聞いているだけで使ってみたくなりますね。
A: どれも緻密な計算で生まれた結果ではなくて、偶然の産物なのですが、非常に優れた製品には仕上がっていると思いますよ。フランスでの展示のときも、ルクルーゼのスタッフたちが入れ替わり立ち代わりでやってきて、「どうしてこんなに薄い肉厚の製品ができるんだ?」とみんな首を傾げていましたから。
Q: デザインもアクセントの赤が効いていて、海外でも受けそうですよね。このデザインはどんな風に採用されたんですか?
A: 知り合いのつてで4人のプロダクトデザイナーさんにデザインの依頼をしてコンペを行ったんです。それで、その結果を主婦を50人くらい集めて大審査会を開いた。そこで「カワイイ」という声が一番多かったのが、今のデザインだったんですね。
Q: 主婦の声を拾い上げる大審査会というのは、またユニークな試みですね。
A: お客さんのリクエストに答えて製品開発をするということは、衛生排水の建築資材づくりでも、都市景観の材料づくりでも、いつもやっていたことなんです。だから、殊更、特別な意識はなかった。ギフトショーなんかの展示会に出すような製品発表も、私たちは分野は違えど同じことをやってきていたから自然と出来ましたね。
Q: でも、やはりお話を聞いていると新しいものづくりに挑戦しようという意気込みを強く感じますね。さすがカエサルに憧れていただけはあるかな、と。
A:(笑)。中小企業の経営者としては当たり前のことをしているだけです。とにかく、このプロジェクトに関しては、海外戦略を含めて、なるべく早く採算ベースに乗るような形に持っていきたいと思っていますよ。そのためには品揃えを増やすということもそうですが、商品の優良性をどうユーザーにアピールするかがカギになるのかなぁと思っています。
伊藤鉄工 埼玉県川口市元郷3丁目22番23号
A Word from a Regional Project Participant
現在、この「KAWAGUCHI i-mono(いいもの)」事業は中小企業庁が進めるJAPANブランド事業として最終年に入っており、今年度は先進的ブランド展開支援事業として、川口産の鋳物製調理器具(鍋・フライパン等)の海外展開に取り組んでいます。プロジェクト全体を取り仕切るのは、基本的に私たち、川口商工会議所ですが、まったくの新しい分野という領域に挑戦して新しい商品を開発する事業を起ち上げるというのは、大変多くの方の協力が必要となります。同プロジェクトに全面的に協力をいただいているのが、伊藤鉄工をはじめ市内企業の方たちや