この夏、代官山のヒルサイドフォーラムにて、憲法第9条と戦後美術をテーマにした注目の美術展「アトミックサンシャインの中へ 日本国平和憲法第九条下における戦後美術」が開催されます。
インディペンデントな企画でありながら、著名アーティストも参加し2ヶ国を巡回するという試み、そして美術展としてストレートに掲げられることのなかった挑戦的なテーマについて、主催者であるニューヨーク在住の日本人キュレーター渡辺真也氏と、出品作家のひとりである照屋勇賢氏にお話しをうかがいました。
【政治的にではなく、美術でコミュニケーションをしている】
橋本誠(TAB/以下・橋本):まず、このように意欲的な展覧会の実現へと渡辺さんを突き動かしている動機を教えていただけますでしょうか。
渡辺真也(以下・渡辺):なぜ美術展という形態でやっているのか、という問いに関しては、こういった難しいテーマは、2ヶ国であれ、他国間であれ、美術という領域じゃないと逆にコミュミケーションできないと思うんです。
私は21世紀という未来に向けて、日本の特徴とは何か、というのを私なりに考えました。近代化を成し遂げていること、一神教が存在していないこと、さらに憲法第9条という、国家そのものが交戦権を持たないという、凄いものがある、ということに気付きました。そういうのが海外で知られていないのは残念だな、と思いまして。
そこでこの状況に対するコミュニケーションを成立させるために自分に何ができるか、と考えたときに、私はキュレーターなので、展示をつくりたいと。コミュニケーションを生み出したいなと思ったのです。参加アーティストの中には、戦争とは何かを、芸術作品として表現しているアーティストが多数含まれています。
『はだしのゲン』(※)という漫画がありますが、あれ、最後どうなるか知っていますか? ゲンがどうなっていくか?
※中沢啓治作、自身の原爆の被爆体験を元にしたベストセラー漫画(汐文社1984年-)
ユミソン(TAB):えーっと、大人になって…?
渡辺:ゲンはアーティストになるんですよ。「これを伝えるために、表現をする。」って、アーティストになるんですよ。すごいと思いませんか?『はだしのゲン』でそういうことをすると、みんな批判できないんですけれど、例えば被爆や平和憲法を扱った芸術作品、となると、くるんですよ、「なぜ芸術か?」って。
まだアメリカにおいて被爆の問題というのは、そうとうナイーブです。アートでこれを扱ったパイオニアといえば柳幸典さんですが、1995年に、きのこ雲をテーマとして扱った作品《The Forbidden Box》を作られる際にもとても苦労されています。今ようやく、アメリカでもこういうことができるようになってきました。例えば去年はじめて、アメリカの地上波で広島のドキュメンタリーが放映されました。すごいことですよ。60年間できなかったわけですから。
アメリカがイラク戦争を始めて、イラクの憲法を新しく書く、って言ったときに、日本の憲法をモデルにする、と言うのですが、その理由が「日本の統治モデルが成功した。」って、すごい単純に話すんですよ。そんな簡単なことじゃないでしょ?って言いたかったのと、日本の憲法のレイヤーの下に被爆の歴史があるってことを、日米間で共有したいなって思いました。
安倍政権が2006年に目標としてかかげていたのが憲法改正だったわけですが、自民党が何故できたかっていうと、そもそも憲法9条を改正させるためにアメリカの後押しで作られたわけです。自民党と民主党をくっつけて自由民主党を立ち上げ、55年体制が生まれた。それこそ、アメリカ側が解体したばかりの旧財閥をくっつけて、戦犯を代表に据えて、その後はCIAさえ関わっています。その流れから小泉元首相とかが出てきて、という流れをみんな知っておいたほうが良いよ、って言いたいのです。
私はアクティビズムが最大の目的じゃなくて、そういう近代の問題があって、みんなものすごい影響を受けているんだよって言うのを、共有したいなと思っています。私はそれをやるときに「展示」っていう形を取っていて、もしかしたらアーティストにとったらすごい怖いことかもしれないけれども。私はそういう形をとっているのです。
【興味と自信を持てない人たちへアプローチを】
ユミソン:日本人にとって、憲法第9条というテーマはどのように響くと思いますか?
渡辺:おそらく70歳以上の年配の人は、ほぼ例外なく考えて、意見も持っていると思います。でも若い人になると、9条の全文を知らないと思うし、なぜそれがあるのかを知らない。私が9条に興味を持ったきっかけのひとつに、アメリカに7年住んでいて、アメリカで生活をすると身近な問題になってきたということがあります。それから私は過去にバックパッカーで34ヶ国を周っていたという経験があります。そこでアジアを訪れた際に個人的な興味がわきました。
ユミソン:「興味が無い」にも意味が3つあって。(1)全く知りたいと思わない。(2)ちょっと知ってるけど、情報量の少なさでイメージ先行になって「それちょっとやばくない?」になるけれど、「やばい」の中身はからっぽ。(3)かっこ悪いから興味をもてない。その大半を占める、(2)の人への接し方をどう考えられていますか?
渡辺:興味の無い人というのはは、自分の理解できるコンテクストの範囲内でしか物を見ないからではないでしょうか。でもちゃんとしたコンテクストを作って提示すれば、いろんな人が興味を持つきっかけになると思います。
私は歴史的なものをコンテクスト化するのが得意です。「コレは重要なんじゃないか?」といったことをテーマに設定できます。ただコンテクストをガチガチに作るタイプなので、それについては批判があってしかるべきじゃないかと思いますが。
例えば、「やばくない?」が戦後日本だと思います。ここに『メローイエロー』(※)があったとして。一人が「可愛い!」というまで、みんな回りの顔を伺って、言い出せない。自分の意見に確信が持ちにくい、そんな自信の無さがどうして生まれちゃったのかと言えば、それは敗戦だと思う。ハリウッド映画とか観て、自分達の身体との違いをみて、「やばくない?」と思ちゃったりして。そういう自身の無さの大きなフレームがある。そういう「やばくない?」思想は興味を遮断してしまうと思うんですけれど。ある程度勉強して違う視点を持てるようになれば、意見を変えるかもしれない。私はそれを「準備する」と言うんですけれど。自分でものを考えて、先に備えること、つまり「準備をする」のも、美術の役割の一つと考えています。
※コカコーラ社が1979年(日本では83年)に発売した柑橘系炭酸飲料
ユミソン:では、勉強することと、展覧会の違いは?
照屋勇賢(以下・照屋):展示会を「そのまま」見せちゃうから、教科書がそのままそこにあるようになってしまう。それよりは、他に遊びにいったほうが良いかもしれないと思うかもしれない。それをどう魅力的なものにするか?お菓子のような魅力をどう作るか?カフェにしちゃうような戦略をどうつくるか?じゃないでしょうか。(渡辺)真也はかっこよいカタログなどを作る。僕は仕事の関係もあって、内部にいるから、興味ない人がいるのが実感としてつかめない。でも興味を引かなくちゃいけないと思う。目の当たりにしなくちゃいけないと思う。
【キュレーターの思惑と、作品が語る内容の交差地点】
ユミソン:照屋さんは作家として、このようなキュレーターのつくったコンテクストが強い展覧会において「組み込まれてしまう!」という不安はありますか?
照屋:うまく組み込まれたいなと思います。組み込まれるし、乗っていきたいし、共同作業だし。《さかさまの日の丸》も、たまたま彼に見せたのがきっかけで、この展示会に呼ばれた。そこで、もしかしたら1回見せたら終ってたかもしれない作品が、彼の解釈で違うステージで観せられる。それは作家だけだとできないことです。
自分でもできるのかもしれないけれど、その場でしか語られない内容かもしれないし、カタログでしか語れない内容かもしれないし、それぞれの割合があって、美術展の割合もあって。それをうまく楽しめたり、生かしていけたらと思う。
ユミソン:組むキュレーターによって、作家の出され方が変わるのに対する怖さはありますか?
照屋:組まれ方をわかっていればいいと思う。それにのっていけばいいと思います。
ユミソン:ある程度は組み込まれ方を予測しながら、のっているんですね。
照屋:あとから、「ちょっとまってよ。」という時もありますよ(笑)。今回この展示会も答えを出すのに半年くらい待ってもらったし、その中でよく考える。もしかして自分の中に「やばい」という感覚もあったかもしれない。責任を持って作品を出せるのか、それの準備も必要だった。作品つくっておきながら、実は昇華するのに時間がかかる。作品は先に出来上がっちゃう。それを理解するのに、制作の3倍くらい時間がかかるので。
今もそれが続いているので、それの時間をみながら。でも切り替えるときは、気持ちを切り替えてもいいし。それもつくるプロセスの一部だと思う。だから、いろんなことが後からわかったら、それの対処の仕方もあると思うし、予測するというよりは、状況に素直に対処していくという感じかもしれない。
橋本:他の作家の方はどのような反応だったのでしょうか? 特にテーマに基づいて制作されたコミッションワークもあると思うのですが。
渡辺:オファーを出した作家さんの内、ほとんどがOKしてくれました。OKしなかった作家は、「戦後美術」とタイトルをつけていたので、私が戦後というコンテクストで重要だな、と思いオファーしても、乗って来なかったアーティストもいます。安泰してしまった巨匠達。名前は出しませんが、そういう人たちが3,4人いて。あとはコマーシャルギャラリーを通じてプレゼンしたときに、コマーシャルギャラリーが利益にならないと判断した場合は断ったり。
あとは予算やサイズの問題を考えたら10人くらいしかできないんですよね。そのときに、自分と関係があった作家さんだったり好きな作品だったり。選んでいったらこういう形になった。
例えば、本当に展示したかった作家の中に、山下菊二と藤田嗣治なんですよ。で、彼等の戦後の絵画っていうのは、まさに戦後を表していたでしょう。おどろおどろしいというか、生々しいというか。とても数百万円規模の予算では、展示できないですよね。
だからどうしても、比較的のってくれて、頑張れ!って応援してくれる作家さんとご一緒する形で、こういう形になりました。(Vol.2へ続く)
収録:2008年7月5日 アトランティコギャラリーにて
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「アトミックサンシャインの中へ 日本国平和憲法第九条下における戦後美術」オフィシャルサイト
http://www.spikyart.org/atomicsunshine/
照屋勇賢@Gallery TAGBOAT(売上の一部が展覧会の運営資金になります)
http://www.tagboat.com/contents/select/vol91_teruya.htm
照屋勇賢による「コレクターインタビュープロジェクト vol.1:名嘉原トモ子さん」
http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/07/collector01.html
ユミソンによる「アート・スコープ 2007/2008」(照屋勇賢出品)レビュー
http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/07/artscope20072008.html
yumisong
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