人間にとって、自分たちの姿を映し取った人形(「にんぎょう」とも「ひとがた」とも読める)は、その近さゆえにつねに気になる存在だ。子どもの遊び道具としての人形や、成長を喜ぶお雛様。あるいは憎い誰かに呪いをかける呪い人形というのもあるし、現代ではアニメやゲームのキャラクターをかたどったフィギュアもある。
民俗、考古、工芸、彫刻、玩具、現代美術と、日本にも様々なかたちと文脈に則った人形があるが、渋谷区立松濤美術館で始まる「私たちは何者? ボーダレス・ドールズ」では、ひとくくりには分類できない人形の複雑な様相が紹介される。会期は7月1日から8月27日。
「人形、すなわち、ヒトガタとは何か」。この問いと向き合うことから展覧会は始まる。平安時代の呪具であった考古遺物・人形代や、民間信仰の場で使用されたオシラサマといった古くから伝わる民俗資料は、人間が人形を表すことの根源的な意味を示唆するだろう。
また、現在にも伝わる人形のイメージの代表といえば、雛人形や五月人形といった季節のめぐりを示すものだろう。また御所人形や武者人形のように宮廷文化や武家社会といった時代ごとの社会規範と結びついた人形も展示される。
そして時代は近代へ。江戸時代までは美的な造形物として人々の生活の中に存在していたものであった人形に対して、廃仏毀釈と文化の西洋化を推し進める過程のなかで「彫刻」という新たな造形美術の概念が日本にもたらされる。
明治、大正、昭和とハイアートとしての彫刻の概念が育っていくにつれて、人形はそれが示すものの範囲から外れていった。だが実際には、小島与一《三人舞妓》(1924)のような精工な「作品」や、彫刻家に手ほどきを受けた市井の人々による《伊那踊人形》(1920〜30年代)といった素朴な作品も制作されていた。ここで紹介される「人形」は、近代以降に理論形成していく彫刻の中で生き続けたものたちとして、大きな転換を示すだろう。
昭和初期になると人形を美術のひとつとして認識する「人形芸術運動」が盛んに。またそれと並走するかのように軍国主義化していく日本の社会状況が人形制作にも反映されていく。高浜かの子《騎馬戦》(1940)や、出兵した青年たちに最後まで寄り添った慰問のために作られた人形は、時代に翻弄された戦時下の人々が人形に何を求めていたのかを考えさせるだろう。
展示の後半では、愛らしさや、人形と人間のあいだの親しみを感じさせる作品が並ぶ。美人画でも知られる竹久夢二によるピエロの人形、 群馬県桐生市・祇園祭の山車人形として使用された松本喜三郎《素戔嗚尊》(1875)。あるいは商業の分野で活躍したマネキンも、生活の近いところにある人形のバリエーションと言えるが、島津製作所創立者の孫であった島津良蔵と、彼のもとに集まった彫刻家の荻島安二と向井良吉が制作した芸術性の高いマネキンは、彫刻と人形のふたたびの接点を示すだろう。
展示の終盤を飾るのは、より現代的な人形のあり方だ。高い技術力で知られる日本製のラブドールは、人間が持つ性や欲望に向けて柔らかくも鋭い論点を提示する。また、現代美術家の村上隆とフィギュア原型師のBOMEが協働した《Ko²ちゃん(Project Ko²)》(1997)は、美術における彫刻と、ホビーとしてのフィギュアという異なる領域のあいだの相補性を示す作品と言えるだろう。
古代から現代へと変遷しつつ、しかし変わらないところも多い人形と人間の関係、そして彫刻として制度化された後の時代の美術表現・概念へも、ユニークな視座を与える展覧会だ。