暑い夏だ。年々、地球が暑くなっていくように感じる。日中外に出ると、強い日差しにまず驚くが、コンクリートの照り返しもあるのか、つねにもわっとした熱気がある。日が落ちても絡みつく暑さは変わらない。汗がとめどなく出てきて、気づくとTシャツが背中に貼りついている。時折、生ぬるい風が吹くことがある。風だ!とは思わないが、確かに風を感じている瞬間がある。そして、風があることのありがたさも。まれに夜の水辺へ行くと、風が涼しさを連れてくる気がする。このとき私は、夏の盛りが過ぎゆく予感や、せつなさのようなものにとりつかれている。
豊田市美術館で開催されている「吹けば風」は、川角岳大、澤田華、関川航平、船川翔司による展覧会である。本展について、現在30代の、いわゆる新進気鋭のアーティストによるグループ展であり、それぞれの表現の拠るところが、絵画、映像メディア、パフォーマンスや言語、音など様々なメディアによるインスタレーション、と多岐にわたること、そして日常生活や実体験をもとにして表現を立ち上げることが多いなど、表面的な差異や同一性をもとに、その内容を端的に把握しようとする自分がいる。たまたま美術館を訪れたのではなく、チラシやポスター、もしくはインターネット上で展覧会の存在を知り、情報をもとに美術館に足を運ぶ場合は、なんらかの興味や期待、一種の先入観があってこそ、訪れるという行為が可能になるのかもしれないのだが。
古今東西の思想家たちの名前に囲まれながら(*1)、白い光に導かれるように吹抜けの階段を上ると、本展覧会タイトル「吹けば風」のもとになっているという、高橋元吉(1893~1965)(*2)の詩『なにもそうかたを……』からの一節、「咲いたら花だった 吹いたら風だった」が引かれたあいさつ文がある。この詩の冒頭は「なにもそうかたをつけたがらなくても いいのではないか」であるが、「かたをつける」=物事の決着をつける、処理をする、解決するという言葉によって、私は自らの無意識的なバイアスに気づきはじめた。
思ったそばから忘れてしまう小さな気づきよりも、与えられた情報を頼りに、この展覧会(や、作品)の総体、とくにその内容を理解した気分になって、安心したがること。そうすることで、何か意味のあることを体験したつもりになっているだけだということ。それは世間でよく耳にする、「現代美術はわからない」ないしは「難しい」といった、性急に意味を求めようとするがゆえの訴えにも通ずるのではないだろうか。
スーザン・ソンタグ(1933~2004)は、多くの芸術分野において、作品は内容と形式に分離され、古代ギリシャの昔から現在に至るまで、内容が偏重されてきたことを指摘した。「芸術作品とはすなわち内容のことだという前提に変わりはない。(中略)芸術作品とは本来なにかを言っているものだというのが大前提なのだ。(太字部分は原文では傍点、以下同)(*3)」そこから芸術を「解釈する」といった、対象を貧困化し、世界を委縮させるものが生まれたのではないか(*4) 、という。もしもまだ批評に可能性があるとすれば、われわれが現在置かれている感覚や能力といった状況に照らして、われわれ自身の経験をもっと実在感のあるものとする解説と議論を目ざすべきだ(*5)、とも。
本展覧会では、展示空間にはアーティストの名前や作品タイトルの表示・キャプションなどはなく、来場者は作品リストのみを手がかりに各展示室をめぐることになる。できるだけ先入観を排して、そこで起きていることそのものを体験し、つぶさに観察する。そんな気づきのための配慮が随所に感じられるが、ここではソンタグが理想とした「形式を描写するための語彙──かくあるべしと命令する用語ではなく、かくあると描写する用語」や、「最良の批評とは、(中略)内容への考察を形式への考察のなかに溶解せしめる種類の批評」(*6)といったことを頼りにしながら、それぞれのアーティストのアプローチについて振り返ってみたい。
展示室内の空間的な広がりのなかに、突如として一面の木材による坂、もしくは斜めの壁のようなものが出現する。関川航平のパフォーマンス作品《夊(a summer long)》(2023)だ。私が展示室に足を踏み入れたときパフォーマーはいなかったが、そのぶん、空間の状況が目についた。この木材は、ギャラリーに既存の階段よりも若干緩やかな傾斜に見える。木材の面には、なにかが這ったあとのような軌跡が薄グレーの線となってところどころに残されている。「夊」は「下を向いた足跡」を象形し、「しりごみしながら(ためらいながら・ぐずぐずしながら)下る」ことを意味する漢字らしい(*7)。ひと夏の間、この木材はパフォーマンスの足跡、ある人間の時間と、その積層を留める記録媒体となっていくのだろうか。
斜めの坂もしくは壁の反対側には、おそらく傾斜と同じ角度で「どくんどくん と」その上部に「育って」と下部に「腐って」という言葉がくり返し鉛筆で書かれている。生きものは、生まれてからずっと死に向かっていくが、どの時点まで成長を続け、どこから滅びるべく腐敗していくのだろうか。不定期に、しかし毎週金曜日と特定の日(*8)を除いて会期中ずっと行われるパフォーマンスでは、作家本人が傾斜の上で立ったり這いつくばったり、止まったり動いたりをくり返す。展覧会を二巡目にして、パフォーマンスを見ることができた。長い前髪で関川の表情はよく見えないが、鑑賞者の存在を把握しながら動いているようにも見えて、緊張感がある。動きを急に止め、振り返った関川の額から、大量の汗のしずくが木の上に散った。
この展示室には右上部に出窓があるが、木材の傾斜に合わせ、一部に造作が加えられている。たとえばこの傾斜が、地球の地軸の傾斜(約23.4度)だったとしよう。地球の誕生以来、変化を続けているこの角度は、適度な傾きによって日照時間が変化することで、日本では四季を生みだしている。もしこの傾きがなくなった場合、昼夜は12時間ずつとなり、北半球・南半球の区別がなくなり、季節の変化がなくなって、地球の大気を循環させる風も失われるだろう。
ギャラリー内の階段を上り、関川の展示室を少し高い角度から見直しながら、上層階にある川角岳大の展示に足を踏み入れる。川角の作品はほとんどが矩形のキャンバスに描かれており、飛行機から地上を見下ろした景色とともに、窓に映るイヤフォンをした本人が、翼の上に乗っているようだったり(《海の上》、2023)、はたまた白い山々から地上絵のような図柄が浮き上がり、動いているように見えたり(《雪山》、2023)と、実体験を土台としつつ、自身にしかない身体感覚を画布に留めようとしているようだ。シュノーケルでの銛突きで、標的の石鯛を仕留めている《イシダイ》(2023)と《手銛》(2023)は、その最中の主観的な対象との位置関係や死角をも、2枚のキャンバスと、その展示の余白で表しているようだった。
川角は小さな展示室の入口に湾曲した壁を増設して、その壁のぶんだけ迂回しないとギャラリーに入れないようにしたり、西から北、東に面し、一日のなかでの時間そして天候による外光の変化をもろに受ける不透明なガラス壁面に作品を設置し、作品が浮き上がる感覚と、作中の浮遊感を重ね合わせているようにも感じられる。展示室内すべてをインスタレーションとしてとらえているのか、高さ3mを超える《Shooting Star》(2023)は、設置位置に合わせて既存の壁に高さを造作しているし、《カラス》(2023)は、壁に続く窓ガラスの向こうに広がる景色へと、いまにも飛び立ちそうだ。
遮光カーテンを開けて薄暗い部屋に入ると、シアターのように椅子が並べられ、天井からだらりと垂れたスクリーン上に、海外の映画のようなものが映し出されている。澤田華は、この《漂うビデオ(ナイト・オブ・ザ・リビングデッド、懐中電灯)》(2023)において、自室でプロジェクターを持ち、部屋のなかだけでなく、ドアを開けて庭や外壁に向け、パブリックドメイン状態にあるアメリカのゾンビ映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968)が始まってから終わるまでの96分間、ぐるぐると実空間を舐めるように投影し続ける。そこに映し出されるのは確かに映画であり、話の流れも追えるのだが、私たちが見せられるのは、映画よりむしろプロジェクターの光で浮かび上がる部屋のなかのオブジェクト(映画を見たい人にとってはノイズでしかない)であり、オブジェクトに投影される映像の肌理であり触覚性であることは否めない。
《漂うビデオ(移動、裂け目、白い影)》(2023)では、どこにでもある日常的な風景——フェンスや背後の風景やオブジェクト、もしくは水槽と満たされた水、泳ぐ魚などいくつかのレイヤーがわかりやすく重なった映像が、展示室の壁面にプロジェクションされている。プロジェクターと映像の間では、ぶら下げられたコピー用紙が、室内のエアコンの風によってはためき、つねに不定形の影を落とす。と同時にこの紙は照らし出され、空中に漂う可変のスクリーンとなる。このコピー用紙のようなあてのない、宙吊りの感覚を覚えていると、最後の小部屋には《ビューのビュー》(2023)が鎮座する。
スマートフォンを模したディスプレイは、フォトアルバムアプリのサーフィンをくり返し、ときたま実際の指や、指を模したポインターが出てきて画像を選び、恣意的に拡大縮小などを繰り返す。PCに逐一スマホを接続してバックアップしていた一昔前には考えられなかったことだが、現在では記憶容量も増え、デバイスで撮影し、そのなかで確認して、直接クラウドに保存するのが一般的になっている。毎日メモ代わりに深く考えず撮影するし、スクリーンショットも増えた。肉眼でとらえられていなかったものが写り込み、データを見る度に、誰かの拡張された脳のメモリを見せられているようにも感じられる。
最後の展示室には絨毯が敷かれ、ガラスケースが一面を占めている。壁には、昔から世界各地で言い伝えられてきた経験則による観天望気の数々が貼られている。船川翔司の《Weather twins 2023》(2023)。展示室の前方と後方に置かれた、鏡のようにも見えるモニターのなかで、ときおり双子の女児の歌が聞こえる。声は重なり合うこともある。背中合わせに配置され、生き別れの存在を探るかのような声だ。
ほかにも音や光、スチームを出すなど、動くものがたくさんある。これらは美術館屋上のリアルタイムデータと、これまで船川が足を運んできたフィリピン(ポリロ島)、チベット(Yushu, Litang)、男鹿半島、瀬戸内海、そして6月初旬に発生した台風mawarが通過したグアム、フィリピン、台湾、沖縄の気象データが任意の条件に適うと作動するという。いま・ここにない現象を取り込み、無数の地点がふとつながることで突然動き出すファンや装置は、野生動物のようだ。制御不能な事象を積極的に連れ込み、呼び寄せる。人が仕組みを整えたあとは、自然がすべてを司る根源的な姿に立ち返ろうとしているのだろうか。
船川と関川の展示室は渡り廊下でつながり、パフォーマンスがどうなったのかつい覗いてしまうという、終わりなき円環構造を持った展覧会でもある。
暑い夏だ。展覧会「吹けば風」からの帰路、ふと気づいたら本当に、この夏の暑さと、たまに吹く風(と、降りはじめた雨)に意識を向け、自分がそれをいかに感じているのか、もしくはいかに感じうることが可能なのか、つらつらと考えていた。より的確に言おうとすれば、夏や風といった現象は起点として不可欠な要素ではあったけれど、それよりも自分が普段、どのようにこの世界の変化に気づき、これまで生きてきた環境に認識が左右され、何を感じているのかということについて思いをめぐらせていた。
「咲いたら花だった 吹いたら風だった」——ある現象に至るまでの断続的な時間に蓄積されてきた、なんとなく目の端にとまってきた物体の観察。そして思いがけず瞬間的で不可逆的な事象とその観測。アーティストたちはそこから、それぞれの方法で作品という一種の世界を構築し、問いかけていることは確かだ。それにどのように触れ、「花だった 風だった」と認識するかは、それに触れた者たちに託されている。細かな部分に気づき、感じようとすることは、容易ではない。「咲いたら風だった 吹いたら花だった」や「咲いたら花じゃなかった 吹いたら風じゃなかった」というのも簡単ではない。だから私は、まず自分自身の経験が「まさにそのものであること」を受け入れる(*9)ことから、始めなければならなかったのかもしれない。
*1──恒久設置されている、ジョセフ・コスース《分類学(応用)#3》(1995)、豊田市美術館蔵
*2──群馬に根ざして活動した詩人で、近年、書店「煥乎堂(かんこどう)」創業者としても評価が進んでいる。群馬県立近代美術館で行われた「アートのための場所づくり―1970年代から90年代の群馬におけるアートスペース」(2023)では、明治時代から書店内で美術展等を開催し、1950年代にはギャラリースペースを設けた先駆的な活動が紹介された。
*3──スーザン・ソンタグ(1964)、高橋康也訳「反解釈」、『反解釈』(1966)所収、ちくま学芸文庫(1996)p.17
ソンタグは「反解釈」を美術よりはむしろ映画や小説を念頭に置き、1960年代のメディアの変化による新しい芸術のあり方や感性を踏まえつつ、芸術の全ジャンルへと敷衍するよう執筆している。「吹けば風」展と同時に開催されている、豊田市美術館のコレクション企画「枠と波」では、1960-70年代から今日につながる問題意識が取り上げられていた。
*4──同書、p.23 参照
*5──同書、p.33 参照
*6── 同書、p.31
*7──「夊」という漢字「漢字/漢和/語源辞典」https://okjiten.jp/kanji2857.html(最終閲覧:2023年8月)
*8──7月18日(火)、8月15日(火)、9月19日(火)(豊田市美術館公式Twitterより)
*9──ソンタグは、作品をひろげて考え、われわれ自身の経験を「あるがまさにそのものである」ことを明らかにすることに言及している。(同書、p.33参照)ここでは「ネガティブ・ケイパビリティ」も参照している。「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」などと説明される。(帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ—答えの出ない事態に耐える力』朝日選書[2017]p. 3)
慶野結香
慶野結香