本展はこれまでのICCの活動の集積として、メディア・アート作品十数点などを無料で展示する企画である。
何よりもぜひ一度体験してほしいのが、階段を上がって右手の一室に設置された佐藤雅彦+桐山孝司による《計算の庭》(2007)だ。「だんご三兄弟」やテレビ番組「ピタゴラスイッチ」などで世間の注目を集めてきた佐藤の今回のアイディアは、なんと人が「数」の身になって「計算される」こと。
この庭に入る前に、参加者はまず数字が書かれたICチップ入りの札を一つ選び、それを身につけなければならない。庭の各所には「-4」「×7」「+8」「÷2」などと書かれたゲートが設置されており、私たちはそれを通過するごとに自動的に「計算」される。そしてゲートをくぐり、何回かの計算を経て最終的に自分の数が「73」になれば、「=73」と記された出口から庭の外に出ることができる。制作者のことばによれば、本作品は計算という抽象的な行為を、参加者自身が数字におきかわり、身体を使って行うための装置である。そのことばの通り、ここでは数の世界に迷い込んだような不思議で知的な体験ができる。
また三上晴子+市川創太の《gravicells[グラヴィセルズ]-重力と抵抗》(2004-)も面白い。圧力センサーを内蔵した正方形パネルが敷きつめられた空間を歩くと、足下のセンサーが荷重を感知し、それが前方のスクリーンに逐次映像として可視化される。足下にかかっているはずの圧力が眼の前に映像としてあらわされるため、鑑賞者は天地がひっくり返ったような不思議な感覚を覚えることだろう。その感覚は、知覚心理学の実験でよく用いられる逆さメガネをかけたときの感覚に近いかもしれない。私たちが慣れきった通常の空間感覚に、心地よいゆらぎを与えてくれる作品である。
そしてグレゴリー・バーサミアンの《ジャグラー》(1997)も、他にはない視覚体験を味わわせてくれる。ストロボライトによる錯覚を利用した立体アニメーションは、まるで眼の前でクレイ・アニメが展開しているような気分にさせる。人形によって放り投げられた受話器が、哺乳瓶、ミルク、サイコロなどへとつぎつぎと変化し、最後にふたたび受話器になってパラシュートで落下してくる。その光景が延々と繰り返されるさまは、ユーモラスでどこかほほえましい。
ほかに、サウンド・アートの大御所カールステン・ニコライのホワイト・ノイズを用いた作品、ボタンを操作するだけで誰でも作曲家気分が味わえる岩井俊雄の作品など、メディア・アートの展覧会だけに「鑑賞」というよりもむしろ作品に参加し、それを実際に「体験」するかたちのものが多い。一人で足を運んでも充分楽しめるが、それよりも誰かと一緒に来たほうが数倍面白い体験ができるはずだ。来年3月8日までの長期開催。(《計算の庭》のみ、今年8月31日までの展示。)