Ink by HUANG Yi © HUANG Yi.
重低音とともに幕が上がる。暗闇のステージの中心には黒い服の13人の男女が立ちすくみ、端から順番に倒れ、ゆっくり回転しながら捌けていく。中央に残された男が身体を大きく動かすと、その動作のあとを追うように筆のストロークが投影される。
「墨を光に、自らが墨となる。」(*1)
台湾のダンスカンパニー黃翊工作室+(ホアン・イ・スタジオ+) の新作《墨(インク)》が、台中国家歌劇院の春のプログラム『NTT Arts NOVA』の一環として、6月2日から4日にかけて公演された(*2)。このプログラムは、以前は『NTT -TIFA』として知られていたものであり、2023年からはダンス、演劇、ニューメディアなどの分野を超えたコラボレーションによる作品のほか、没入体験や劇場参加など様々な角度から鑑賞できる実験的な試みを取り入れた作品を公演している。
黄翊(ホアン・イ)は台湾のダンサー、振付師、芸術監督、プログラマー。分野を横断させるトランスディシプリナリー(Transdisciplinary)という考えのもと、身体、機械、プログラミング、映像などの多分野を融合させ、新たなクリエーションを試みる。台北で毎年開催されている「デジタル・アート・パフォーマンス・アワード」を2010年に受賞したことをきっかけに一躍有名になると、2011年にはアメリカの雑誌『DANCE MAGAZINE』で「観るべきダンサー25人」に選出され、2017年にはTED年度大会の開幕式の演出を任された。台湾人で初めてTEDの舞台に上がり、CNNやTIME誌でも大きく取り上げられ、海外でも多数公演している。2012年から発表している《黄翊とKUKA》はホアンの代表作で、人と産業型アームロボットKUKAがダンスをする革新的な作品であり、人間と機械の境界線を曖昧にし、その関係性を再考させる。
今回発表した新作の《墨(Ink)》は、台湾の現代書道家の董陽孜(トン・ヤンズ)の作品《無声の楽章(Silent Music)》を再解釈し、筆のストロークとタッチを身体の繊細かつ荒々しい動きで表現する。また、日本のメディア・アーティスト、黒川良一による電子音を特徴としたサウンドと組み合わせ、筆跡を光にみたてた映像へと変換し、身体のムーブメントに合わせて光と影を投影させる。
この企画は、トン・ヤンズがホアンに声をかけたのを発端とする。その当時ホアンはまだ30歳になったばかりで、トンの書を解釈し、作品に落とし込むのは自分にはまだ早いと考え、その後9年間の歳月を経て、徐々に考察を深めたうえで作品に昇華した。トンのリクエストはたったひとつ「なにか新しいものをクリエーションしてほしい」というもの。トンはホアン以外にも若手の作家とのコラボレーションを積極的に行っており、書道という古典について、現代の感覚を取り入れることでアップデートすることを不断に試みている。この企画も、そのようなトンの挑戦の一環として位置づけることができよう。
ホアンは、トンの作品について、構造の完成度が非常に高いため、解体するのはそう容易でなく、一本の線すらも消してはいけないと解釈した(*3)。約100点で構成された《無声の楽章(Silent Music)》シリーズは、文字を持たず、抽象的な筆のストロークとタッチを使って音楽のように動きとリズムを表象している。言葉の意味に制限されることがないため、同じく抽象的なダンスと組み合わせるのに適している。
いっぽう、黒川とのコラボレーションは今回が初めてではなく、2018年に《地平面以下》という作品で協働している。《墨(Ink)》では、黒川が映像制作全体を担当し、30分のサウンドを制作する。黒川は、バースト音、物体が瞬時に動く音、迫力あるデジタル低音などのサウンドを巧みに操り、筆のストロークとタッチのリズムにあわせて低音域が客席の床を揺らす。
映像は、ステージ背面、ステージ上、ステージ前に設置された黒いシースルーのシーリングの3面に投影される。ダンサーが身体で輪を描くようにスイングすると、ステージ背面から前方にかけて周囲をぐるりと巡るように筆のストロークが投影される。パフォーマンスの始まりのタイミングでは、身体と映像と音の動きがぴたりと合っている。しかし、徐々に身体の動きと映像、音がズレていく。ダンサーたちはプロフェッショナルな教育を受けているはずであり、この微妙なズレは彼らの身体的能力不足に起因するものではあり得ないだろう。このズレは、人間が正確にプログラミングされた機械と完全に調和しきれないことこそを示しているのではないだろうか。
中盤、ホアンがKUKAと舞台の下からゆっくりと登場した。ホアンは「KUKAと向かい合って踊ることは、自分を鏡で見るようなものだ。私はKUKAに私の動きを模倣させ、彼から学び、私自身を機械のように踊らせるのです」と語っている(*4)。彼の目標は、舞台上の人間とロボットとの間の差異を最小化することであり、物体に主観性を付与することである。ホアンの俊敏かつ柔軟な動きは、指先や足の先まで意識を行き渡らせている。いっぽう、KUKAは、ロボットが工場で行うプログラムされた動作、持ち上げたり、回したり、ひねったりする動きを正確にこなすものの、現時点では完璧にホアンの動きと一致することはない。技術がいくら発達しても制限があり、試行錯誤の連続だとホアンも語っている。しかし、今回のパフォーマンスでは、彼の目標に少し近づいたと見受けられるシーンも確かにあった。ホアンが方手を広げ波打つように動かすと、KUKAも同じ角度でスティックを筆に見立ててスイングする。その棒先の動きは本体のKUKAの動作と比べると滑らかで、彼が目指している両者の同一化に少し近づいたのではないだろうか。
キャサリン・ヘイルズなどのポスト・ヒューマニズムの研究者は、人間の身体や意識は、技術的な拡張や増強を通じて変容し、人間と機械の境界が曖昧になっていくと考察しているが、テクノロジーが発展した先の新しい世界では、人間は身体的な主体性を失ってしまうのだろうか(*5)。人間ではないパフォーマーとの間に、ぴったりと息の合う運動感覚的な共感は可能なのだろうか。私たちの身体は機械とともに超越するのか、もしくは波打ち際の砂の表情のように消滅するのか…。《墨(Ink)》はそのような疑問を想起させる実験的かつ挑戦的なパフォーマンスであり、今後の展開が楽しみだ。
*1──《墨(Ink)》の副題であり、コンセプト。https://www.npac-ntt.org/program/events/c-sDmc8BPhtpk
*2──台中国家歌劇院は伊東豊雄が設計し、2016年にオープンしたオペラハウス。曲面壁と柱のない構造で、設計のコンセプトは音の洞窟。「世界9大新ランドマーク」にも選ばれた。
*3──『NTT Arts NOVA』では、各公演後にQ&Aセッションが設けられており、会場からのいくつかの質問に演者が答える。この考察は2023年6月3日のQ&Aセッションの際にホアンが説明した内容である。
*4──Huang Yi (ホアン・イ). “Ars Electronica 2013 Total Recall.” ウェブサイト, 2023年6月24日にアクセスhttps://webarchive.ars.electronica.art/festival/2013/totalrecall/events-concerts-performances/index.html
*5──Hayles, Katherine N (キャサリン・ヘイルズ), How We Became Posthuman: Virtual Bodies in Cybernetics, Literature, and Informatics. Chicago: The University of Chicago Press, 1999.