「映像とは何か?」を問い続ける恵比寿映像祭
今回で4回目を迎える、恵比寿映像祭が東京都写真美術館をメイン会場に2月26日まで開催されています。映画祭でなく、「映像祭」と謳っているのは、映画だけでなく、映像を巡る多様な表現による作品展示やシンポジウムなども開催されているからです。
昨年から周辺のアートスペースでも連携して展示が企画されていて、エリア一帯で国際映像祭を盛り上げます。
今回のテーマは「映像のフィジカル」。 毎回、恵比寿映像祭は「映像とは何か?」の問に対する回答をテーマとしてあげています。フィジカルとは身体性や物質性のことを意味します。
映像を成り立たせている物質性(フィジカリティ)に光をあて、あえて映像の即物的な面を入り口に、具体的な作品を通じて、映像の豊かさと奥行きにあらためて迫ります。映像で「何が」描き出されているかではなく、映像そのものが「いかに」作られているか――、主題や文学的なメッセージ性を問う前に、まず映像を成り立たせている技術や技能、道具や動力、流通の仕組みといった側面に目を向けます。(パンフレットより抜粋)
アジア初上映! 21世紀のジョナス・メカス最新作《スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語》
この映画は、千夜一夜物語をもとにしている。が、アラビアの話とはちがって、すべて私の人生そのものだ。時に日々の現実から離れて、あまりにも別のところへ迷い込んでしまったりするけれど。(ジョナス・メカス)
ジョナス・メカスが、「眠れない……眠れない……」とカメラを持って部屋を徘徊する場面から物語は始まり、彼と友人たちの日々が細切れに映像に綴られていきます。夜のバーで別れを憂う女性、歌う男たち、本当は王子様だったみんなに嫌われるネズミ。登場人物をめぐるさまざまな現実がカメラに切り取られて、物語化された現実ではなく「現実にあった物語」として再生されます。けれどノスタルジーではない。内容に情緒は感じられますが、メカスは鑑賞者の感情を操作するようないたずらを画面から極力排除しているといえるでしょう。
一度だけ幸せな場面に、少し不穏な音が流れます。私たちの感情は、モノの本質に触れなくとも、何気ない音や空気などの微細な変化の影響で簡単に変えることができます。メカスはそれらに頼ることなく、千夜一夜を語っていきます。
デジタルカメラによる高精細映像は、その鮮明さから現在との時間感覚が揺らいでいきます。手持ちのカメラで撮影するので、画面は右に左に、斜めに上にブレます。アナログカメラで撮影されたブレやノイズと、デジタルカメラで撮影されたブレやノイズは、エッジが違います。乾杯のグラス音がカメラの横で大きく響く中、そのエッジのトゲトゲにやられて、お酒の映像を見ながら映像酔いしてしまうほどです。
メディアの変化にアーカイブはどのように対応していくのか?
ーー シンポジウム「映像アーカイヴの現在 01: フィルム、ヴィデオ、アートの交差点」
シンポジウムでは、映像そのものの物質性にフォーカスをあてました。近年、アーカイヴ自体についてはデジタル技術の向上と普及により、議論される場が増えましたが、アートや実験映像のアーカイヴ化についてはまだ議論され尽くしておらず、さまざまな余白を残しています。今回のシンポジウムは、メディアの変化にどのように対応するか、またそれに伴うアーカイヴのあり方を、それぞれの施設の事例を紹介しながら、過去・現在・未来を踏まえて具体的に話し合おうというものでした。ゲストとして、ニューヨークのEAI(electronic arts intermix)からレベッカ・クレマン、アンソロジー・フィルムアーカイヴスからジェド・ラプフォーゲルを、国内からは、福岡市総合図書館の松本圭二の計3名が参加しました。
・ケース1 アンソロジー・フィルムアーカイヴス
http://anthologyfilmarchives.org/
アンソロジー・フィルムアーカイヴスは、1970年にジョナス・メカスが映像作家のジェローム・ヒルの援助を受けて設立されました。その目的は「エッセンシャルシネマの確立」にありました。まだ当時、映像はアートとして確立されていなかったので、意識的にアート作品として捉える活動が必要だったのです。運営委員会を設立し、「アートとして欠かすことのできないシネマ」のリストを作成し、収集・保管・上映を行ってきました。作品をコレクションするだけでなく上映を活発に行なっていた理由は、みんなが映像について深く考え、さらに収集や保管の必要性を強めるためです。なので、「容易に・いくども・繰り返しアクセスできること」が重要だったのです。
メカスが一番恐れていたのは、さまざまなエッセンシャルシネマが、ゴミ箱に捨てられたり、フィルムが破損して物理的に永遠に消えてしまうことでした。なぜならリストに上げられた多くの作品は、大規模なスタジオや組織の中で作られたものではなく、個人のスタジオや自宅などで作られたものであり、そういった作品は、物理的にフィルムが脆く、保存の場所がなく破棄されることが多かったからです。実際に、アンソロジー・フィルムアーカイヴスは、収集のためにゴミ箱の中を探す作業もしていたそうです。それらの「普通とは少し違った映像」たちの目録を作るのは大変困難です。なぜならカテゴリー分けが難しく、人手や時間が膨大にかかるからです。また個人で作った脆いフィルムは、作品を残していくためには新しくプリントし直さなければなりません。中には、フィルムをコラージュしすぎて、上映自体が難しい作品もあります。
そして、メカスのパトロンであったジェームス・ヒルの他界によりその活動は一時中断をせざるを得なくなりましたが数年後、他の助成により再開します。
活動維持のためにには、彼らが収集している映像がなぜ重要なのかを助成元に理解を得なければなりません。その当時は、メインストリームに価値があると、彼らの映像に価値があることを理解されるのが難しく、困難を極めていました。しかし近年になりアバンギャルドや非商業的な映像を企業などが取り込む傾向が出てきたので、現在では状況に変化は見られているそうです。
アーカイヴは、フィルムで撮影されたものはフィルムで保存、もっと言えば16mmフィルムで撮られたものは16mmフィルムで、35mmフィルムなら35mmフィルムでと規格を変えず、そのマテリアルの特性を保ったままでの保存を基本としています。しかし、それも時代が変わり、複製機材を持っているラボの多くが閉鎖してしまい、マテリアルを維持したままのアーカイヴ活動に限界が見えてきました。「容易に、いくども、繰り返しアクセスする」ことを確保し、あまり負荷を増やさない方法として、デジタルアーカイヴは素晴らしい成果をあげています(しかしデジタル化にも費用はかかります)。
・ケース2 EAI(electronic arts intermix)
http://www.eai.org/
EAI(electronic arts intermix)は、1971年にフィルムではなく、当初からヴィデオの収集を目的として、ギャラリーを経営していたハワード・ワイズにより設立されました。それは1960年後半に、ソニーがファミリーユース向けのコンパクトなヴィデオカメラを発売し、ヴィデオの存在がこれからクリエイティブな媒体として重要になるだろうとの意識のもとに始められました。しかしフィルムが記録媒体として主流であった当時、ヴィデオは軽んじられており、そのような活動をしている団体はありませんでした。
アメリカはユートピアの時代だったので、「このアーティストたちはギャラリーから出て行って、海へ空へ宇宙へ飛び出そうとしてる。商業とは別にして、近代的な手法で人間性を確立しようとしているアーティストもいる」と、フィルムに代わりヴィデオの到来を感じていたこと、EAIの特徴の一つとして編集の場をアーティストに提供していることが挙げられます。ビル・ヴィオラなどがその恩恵をうけています。
そして1973年には、今のコアプログラムとなる配給を始めました。ワイズは、大学図書館や公立図書館などに宛てて、まだ新しい技術であるヴィデオが今後もちうるであろう重要性を書面に記して送りました。双方向的なメディアとしてのヴィデオに、メディア論を展開したマーシャル・マクルーハンの影響もあったようです。そののち、1980年になり、ステンシルオンザアーツカウンシルの助成を獲得。コンピューターを導入したことがデータベース作成に重要な契機となり、アーカイヴ活動に本格的に乗り出しました。現在、EAIのシステムは複雑なデータベースにより支えられています。2001年には再び助成金を得て、ウェブサイトをリニューアルしました。
設立当初は、「ヴィデオ作品へのアクセスを容易にすること」が第一目的でした。美術館・博物館が行っているようなコレクション活動は、作品を独自に選別することで付加価値をつけるという意味で、アート作品の希少性を保つ役割を果たしています。作品へのアクセスを容易にしようと言うアーカイヴのあり方は、作品の希少性に依拠したアートビジネスのあり方に反する、相容れないものでもあります。EAIではいまや多くの著名アーティストの映像資料を抱えています。そのなかで、例えばブルース・ナウマンは、アートビジネスが主張する希少性を拒否している作家の一人で、ナウマンの展覧会が開催される際には、EAIが作品の貸出窓口を担い、それが、運営を支える貴重な収入源となっています。
また、今後は教育がミッションになると語ります。具体的には、どうやってアーカイヴしているのか、方法を記述したリソースガイドを公開したり、専門用語などを解説を行っています。そして、そこで得られたドネーションが運営を支えていくことにつながっています。現在はヴィデオだけでなく、映像を用いたインスタレーション展示のサポートもしています。アーカイヴが抱える近年の問題は、表現メディアの主流が、HDフォーマットに移行している中、デジタルフィルム・フォーマットへ自覚のないままに表現方法を移行しているアーティストが増えてきていることが挙げられます。そして、一言でアーカイヴといっても、オンライン上で「アーカイヴ」を名乗っている団体は数多くあるが単純にウェブサイトに資料を載せているだけで、フィジカルに実物を資料として、コレクションとして持っていない。重要なことは、EAIとしてアーカイヴとコレクションを結びつけて考えるということです。
・ケース3 福岡市総合図書館
http://toshokan.city.fukuoka.lg.jp/
松本氏は、福岡市唯一の映像管理員として15年間勤務しています。市から映像を半永久的に保存するようにとの指示がでているけれど、デジタルデータでは半永久には不可能で、フィルムでの保存なら可能だと考えています。松本氏は、再生フォーマット問題や、デジタルデータとして保存していくことは、長期的観点に立てばアナログな保存方法よりも非効率的でコストがかさむとする「デジタルジレンマ」の問題などを例に挙げ、デジタルには問題が山積みだと発言しました。そして「結局アナログの方が安全だということは、共通認識として定着しているが、再生機器がないという問題があるのは知っている。しかしパソコン本体やソフトウェアなどのデジタルの復元は構造が複雑で、簡単には後の時代に作り直しができず、一方アナログ再生機器なら、簡単な構造なので何年後でも日本の町工場の技術をもってすれば復元できる」と提言しています。
もちろんアナログデータ化することはコストや手間がかかるという問題もあります。しかし半永久的に保存と再生を可能にするという長い目でみれば、費用対効果はあるのではないか、アナログのフィルム以外のフォーマットは、だいたい20年ごとに変化していて安定したフォーマットがない方が問題だと言います。それよりも長く安定したフォーマットで配給していくことにが、保存につながるのではないか、また解像度ばかりにこだわるのではなく、解像度は映像の一つの要素にすぎなく、映像のフィジカルと捉えた上で、ベータカムで撮影した作品を、ビデオ映像をフィルム映像に変換する方式の一つであるベータカムをレーザーキネコ方式で35mmに焼き付けたフィルムを会場で上映しました。
今回のシンポジウムで3者の共通認識として挙がったことは、とにかく映像作品を流通させて、人々に見られるようにすることがアーカイヴにつながるということでした。そういった意味で、今回の恵比寿映像祭が開催されること、そして開催だけでなく、みんなが見るという行為がなされて初めて、それ自体がアーカイヴの一端を担うイベントになると言えるようです。観客の私たちが、アーカイヴの未来を担っていることが意識できるのはとても有意義なことなのではないでしょうか。
TABlogライター:ユミソン ふにゃこふにゃお。おとめ座・現代美術家・独学・こぶし(ネコ)と一緒に東東京在住。インスタレーションや言葉を使った作品を制作。「ユミソン制作キロク」に日々のことを書いてます。