ナチス・ドイツが1933年から45年にかけてヨーロッパ各地で略奪した芸術品の総数は約60万点にのぼり、戦後70年以上経った今でも10万点が行方不明といわれる。4月19日(金)に公開される『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』は、そのようなナチスに弾圧され奪われた美術品とそれに関わる人々をめぐるドキュメンタリー映画だ。
美術館と略奪品の根深い関係
青年ヒトラーが画家を志していた逸話はよく知られている。政権掌握後、もとより美術に関心の強かったヒトラーはお抱えの画商を利用した美術品略奪に躍起になる。彼を突き動かしたのは、ほかでもない故郷オーストリア・リンツに美術館を建設する野望だ。
とはいえ略奪した美術品を奪った側の美術館で展示する動きは、歴史的に鑑みても決してめずらしいことではない。たとえば、一時的にナポレオン美術館と改名された経歴を持つルーヴル美術館は、ナポレオンがヨーロッパ諸国との戦争で略奪した美術品を数多く展示した。そしてナポレオン失脚後、返還は一部しか行われなかった。「泥棒美術館」と揶揄される大英帝国博物館もまた、帝国主義時代に植民地から略奪した多くの美術品がコレクションされている。パルテノン神殿から切り取ってイギリスへ持ち込まれたギリシャ彫刻「エルギン・マーブル」を2004年のアテネオリンピックに合わせてギリシャに返還しようとする運動が起こったが、イギリス政府と博物館側の堅固な反対により失敗に終わった。
美術館と国家は緊密に結びつきやすい。人類共通の遺産ともいえる美術品を持つにふさわしい国家としての権威づけ、戦利品としての国威発揚など。不特定多数の人々にコレクションを披露する美術館は、自国の歴史や文化を体現する場であると同時に国家としての威厳をアピールするためにうってつけの装置だというわけだ。
ルーヴル美術館と大英帝国博物館の例は氷山の一角にすぎず、依然として様々な国が文化財返還問題を抱えている。たいていの所有国は正当に入手したと主張するが、実際は戦利品として奪い取ったり、どさくさに紛れて持ち帰った不当な方法が多い。しかし、ナチス・ドイツの略奪は戦争で敗戦国から接収する戦利品的性質とは少々異なる。実際は強制収容所に送られたのに所有者が逃亡したという理由で没収したり、出国ビザ発行に目をくらませて美術品を手放させたり、詭弁と理不尽な要求で表面上は合法的に収集した。ユダヤ人迫害と美術品略奪、つまり政治と芸術はナチス・ドイツの巧妙な手段において完全に一致していた。ナチス・ドイツによる美術品略奪の背景にあるのは、ユダヤ人根絶のためのホロコーストだと気づかされる。
美術作品が明らかにする矛盾――「大ドイツ芸術」展と「退廃芸術」展
作品を揃えたならば、次に取り掛かることは展覧会の開催だろう。無論ナチス・ドイツもプロパガンダの一環として展覧会を利用した。それが「大ドイツ芸術」展と「退廃芸術」展だ。「大ドイツ芸術」展は1937年から毎年開催された国家公認芸術のための展覧会で、その目的はアーリア人第一主義・反ユダヤ主義のイデオロギーをナチス・ドイツが想定する「正しい芸術」で体現することだった。質素な農民の絵、母と子のテーマ、健康的で優美な裸体画がもてはやされ、写実的でわかりやすい古典主義的作風が好まれた。対して「退廃芸術」展は、表現主義、印象主義、キュビスム、新即物主義など弾圧の対象となった作品が披露された。
そして、この数百メートル離れた場所で対比するように開催された二つの展覧会について興味深いエピソードが本作で紹介される。同じ作家の異なる作品が、同時期に開催されたふたつの展覧会に出品されていたというのだ。作家の名前は、ルドルフ・ベリング。アーリア人の鑑として脚光を浴びていたドイツ人プロボクサーのマックス・シュメリングのブロンズ像は「大ドイツ芸術」展で、抽象的な彫刻作品の《三和音》と《真鍮の首輪》は「退廃芸術」展で展示された。結局ベリングの《三和音》と《真鍮の首輪》の展示はすぐさま中止されたが、ナチス・ドイツが一人の作家の中に正しい芸術と悪しき芸術の両方を見出した注目に値する事例である。この矛盾の原因は、退廃芸術の基準が「文化ボリシェビズム」・「ユダヤ的」という程度で極めて曖昧なであるためと考えられる。だが、明らかになる矛盾はこの一件にとどまらない。
画家エミール・ノルデはナチ党員で反ユダヤ主義に共感していたにもかかわらず、彼の作品を特徴づける強烈な色彩ゆえ退廃芸術の烙印を押された。だが驚くべきことに、ヒトラーの右腕的存在だったヘルマン・ゲーリングはノルデの作品をコレクションしていたのだ。また、退廃芸術の芸術家として認定され国外逃亡したマックス・ベックマンの作品は、ナチ党員の家に飾られていたという。内部でさえ統制できていない実情には噴飯ものだが、全体主義国家でも芸術は決して統制できないという格好の事例だろう。表現だけでなく、良し悪しを判断する各人の感性さえも完全にコントロールすることは不可能なのだ。
為政者に対抗できる芸術というジャンル、その象徴としてのピカソ
さて実のところ『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』は、ヒトラーとピカソが正面切って対決する映画ではない。芸術に対するナチス・ドイツの蛮行とその影響を一通り提示したあと、《ゲルニカ》をめぐるピカソとナチス将校のエピソードから彼の言葉が引用されるのだが、そこで初めてピカソの名前が登場する。「ピカソの言葉というのは、我々がこの作品で語ろうとしていること、つまり芸術と政治を対比させているわけですが、そういったものを上手くまとめている言葉だと思って入れました」と脚本を担当したアリアンナ・マレッリが述べるように、ここでのピカソは実態を伴ったものではなく、20世紀を代表する(しかも退廃芸術の烙印を押された側の)芸術家として象徴的に扱われている。
ヒトラーは都合のいいように芸術を弾圧し、利用した。芸術は時の権力に利用され、介入され、検閲されることがしばしばある。だが先に見てきた矛盾が存在するように、権力は芸術を完全にはコントロールできない。どこかで必ずほころびが生じる。原題の “HITLER VERSUS PICASSO AND THE OTHERS” が表すように、そのほころびを生むのは必ずしも有名な作家とは限らない。
本作のメインテーマが「奪われた名画のゆくえ」だとすれば、大事な裏テーマは「芸術とは本来的に政治的」という点につきるだろう。ここでいう「芸術が本来的に政治的」とは、作家の意図とは関係なしに作品が歴史や社会に影響を与えてしまうことを指す。現代美術の領域では、政治的意義を持って鑑賞者を政治的に感化しようとする作品や社会問題をテーマとした作品を「ポリティカル・アート」と区別して呼ぶのが一般的だが、その定義は極めて狭義といえる。ピカソの言葉から導かれる本作の結論は、政治的なメッセージを発信していようとなかろうと全ての芸術家が潜在的にポリティカルで、作品は為政者に対抗できる力を持っているということだろう。そもそも芸術に政治を持ち込まないというのが無理な話であって、私たちがその時代を生きる以上、あらゆる一切は政治と切り離せない。それゆえ政治的であることは何ら問題でない。ピカソの言葉を引用するならば、「芸術家は悲しみや喜びに敏感な政治家であるべき」なのだ。
◾️映画『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』
トニ・セルヴィッロ(『グレート・ビューティー/追憶のローマ』『修道士は沈黙する』)
原案:ディディ・ニョッキ
監督:クラウディオ・ポリ
2018年/イタリア・フランス・ドイツ合作/イタリア語・フランス語・ドイツ語・英語/ビスタサイズ/97分/
原題:HITLER VERSUS PICASSO AND THE OTHERS
日本語字幕:吉川美奈子
字幕監修:中野京子(作家/『怖い絵シリーズ』)
配給:クロックワークス、アルバトロス・フィルム
4月19日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
hitlervspicasso-movie.com