19世紀の終盤から20世紀前半にかけてフィンランドの美術史にその名を刻んだヘレン・シャルフベック(1862〜1946)。過去10年あまり、国際的にも知名度をぐんぐん上げている画家だ。近年、主に白人男性の視点から編まれてきた歴史を見直し、そこで見過ごされがちだった女性や有色人種などのマイノリティの営みに光を当てようとする動きが社会のあちこちで活気づいていることも、彼女の人気の高まりを後押ししているのは間違いない。
だが、それも時代を先取りした作品の強さがあってこそのことだろう。19世紀末から抑えた色調で大胆な抽象化を試みている作風はモダニズムの先駆けだと言える。同時に、市井の人々の生活とともにある視点や、最先端のモードへのあこがれも内包している彼女の絵画は、現代のアーティストの作品と言われても信じてしまいそうなほどだ。
日本でも2015年から16年にかけて「ヘレン・シャルフベック―魂のまなざし」展が全国4都市を巡回し、大きな注目を集めた。このたび公開される彼女の伝記映画にも、この7年前の巡回展に倣った邦題がつけられている(原題は "HELENE")。さらに2019年に国立西洋美術館で開催された「モダン・ウーマン―フィンランド美術を彩った女性芸術家たち」でも、シャルフベックをはじめ19世紀後半から20世紀初頭に活躍した7人が紹介され、ロシアの支配下に置かれながら文化的な独立性を打ち立てようと奮闘してきたこの国の歴史と先進性を印象づけた。
アンティ・ヨキネン監督による映画『魂のまなざし』は、2020年のフィンランド・エストニア作品。生誕160周年にあたる2022年に日本公開が叶った。10代から最晩年まで作品を制作し続けたシャルフベックの長いキャリアのうち、53歳から61歳までの出来事を切り取っている。
1915年、シャルフベックは、田舎町ヒュヴィンカーで年老いた母と暮らしながら制作に取り組んでいた。1914年には第一次世界大戦が開戦している。さらに1917年にロシア革命が起こったのを機に、フィンランドは独立を宣言。翌年にはフィンランド内戦が勃発した激動の時代だ。この映画では、そうした時代背景はあらかじめ了解されているものとしてあまり説明されず、静かな田舎でのシャルフベックの貧しい暮らしぶりと、そこから社会的な評価を獲得してゆくまでの過程にフォーカスする。日々の家事労働や自然豊かな美しい風景の描写は、彼女の絵画の背景に広がるものをイメージする助けとなるだろう。
ヒュヴィンカーはヘルシンキの北50km余りに位置する街で、現在なら電車で1時間ほど。ものすごく田舎というわけではない。しかし、シャルフベックは1902年にここに引っ越して来てから、15年も街の外へ出なかったという。そんな彼女にとって転機となったのは、若い記者で画商のヨースタ・ステンマン(1888〜1947)と、森林保護官でアマチュア画家の青年エイナル・ロイター(1881〜1968)との出会いだった。
シャルフベックの家を訪れ、描き貯められた作品を見たステンマンは、彼女の個展を企画する。1917年にヘルシンキで開催された初の個展は大成功を収め、1920年代に入っての叙勲や、芸術家や作家を対象とする年金や助成金の授与につながる道を開いた。さらに、シャルフベックは19歳年下のロイターに心惹かれ、夏をともに過ごすが、手痛い失恋を経験する。
男性ばかりの権威的組織は女性アーティストおよび「女性的」とされる主題を軽視し、慕ってくる年下の男性はもっと若い女性とあっさり結婚し(相手は18歳と言っていたから、彼より20歳も下だ)、母親は社会規範を内面化して兄ばかりを優遇する。現代でもたびたび耳にするような女性ならではの困難を、シャルフベックは100年以上前に経験しているのだ。
だが、彼女の場合、存命中に仕事が評価されているのがせめてもの救いだ。また幸運だったのは、彼女にはこの映画でヴェスターと呼ばれているヘレナ・ヴェスターマルク(1857~1938)をはじめ、弱っているときに支えてくれる女友達がいたことだろう。それは彼女が若き日に、奨学金を得て絵画を学ぶ機会に恵まれたからこそ育むことができた友情だ。この映画では「昔はカフェに入り浸っていたわ」なんてさらりと語られるのみの、芸術を志す女友達と過ごした青春の日々。自分には、それこそが驚異的で尊いことに思える。
たとえばシャルフベックと同じ1862年、隣国スウェーデンに生まれたヒルマ・アフ・クリントも、近年の再評価が著しい画家だ。世界を巡回してセンセーションを巻き起こしている彼女の回顧展は日本に来ていないものの、今年4月にドキュメンタリー映画『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』が公開された。彼女もスウェーデン王立美術院で学び、そこで得た女性の知己に助けられているのだ。
翻って日本では、シャルフベックやアフ・クリントが専門的に絵を学びはじめた19世紀後半に、東京藝術大学の前身にあたる東京美術学校が設立されているが、女子学生の受け入れは第二次世界大戦の敗戦を経たGHQの教育改革を待たねばならなかった。初めて女子学生が卒業したのは1951年の春だという。決定的に遅れているのだ。家庭の外で様々な人々に出会い、経済的な意味でも精神的な意味でも支援につながる縁を育むことを可能にする教育の場の大切さを痛感させられる。
ここで、この映画では描かれないシャルフベックの前半生について、ざっとおさらいしておこう。1862年にヘルシンキに生まれた彼女は、3歳のときに階段から落ちて傷を負い、生涯にわたって足を引きずることになった。家庭教師がその絵の才能に気づき、画家アドルフ・フォン・ベッカーに紹介したところ、わずか11歳にしてフィンランド芸術協会の素描学校への入学が許可された。ヴェスターとはここで出会っている。その後、ベッカーの画塾に学び、パリに留学。ヨーロッパ各地に足を伸ばし、知見を深めた。この頃、イギリス人画家と婚約するも、手紙一通で破棄を告げられてしまった。
このように、幼い頃から才能を認められ、画家として制作と発表の機会に恵まれてきたシャルフベックだが、その道のりは順風満帆というわけではなかったと伝えられている。当時のフィンランドの画壇では、国家の歴史的な事件や民族叙事詩カレワラを主題とした作品が高く評価されており、彼女の絵はなかなか売れなかったそうだ。1890年代には教師として人物画などを教えるようになるが、体調を崩しがちだった。そうして1902年、シャルフベックは教職を辞して母とともにヒュヴィンカーに引っ越したのだった。
こうしたシャルフベックのバックグラウンドを踏まえると、今回の映画はロイターへの恋に重きを置きすぎているように感じられてしまった。恋に破れた後も友情は続き、シャルフベックからロイターに宛てた1000通以上の手紙が遺されているというし、彼は彼女の評伝をたびたび上梓しているから、ふたりが特別な関係だったことは史実なのだろうけれど。自分としては、もっとヴェスターをはじめとする女性たちの絆について掘り下げてほしかったと思ってしまう。とはいえ、一本の映画にすべてを求めるのも酷な話だ。
50代を迎えた先進的な女性アーティストが、下の世代の男性たちに評価されて道が開けるという物語は、確かにこれまであまり語られてこなかったものであるし、この映画が制作されたことを喜びたい。これをきっかけに、驚くほど現代的なシャルフベックというアーティストの功績はますます広く知られるようになるだろう。そこから何が生まれてくるのか、それらがいかに評価されてゆくのかは、いまこのときを生きている私たち次第なのだ。
*参考文献
『ヘレン・シャルフベック 魂のまなざし』佐藤直樹監修、求龍堂、2015年
https://www.kyuryudo.co.jp/shopdetail/000000001186/
魂のまなざし
7月15日よりBunkamuraル・シネマほか全国順次公開
監督:アンティ・ヨキネン
出演:ラウラ・ビルン ヨハンネス・ホロパイネン クリスタ・コソネン エーロ・アホ ピルッコ・サイシオ ヤルッコ・ラフティ
2020年/フィンランド・エストニア/122分/原題:HELENE/字幕:林かんな
©︎ Finland Cinematic
配給:オンリー・ハーツ
http://helene.onlyhearts.co.jp/
野中モモ
野中モモ