公開日:2022年11月29日

具体の解体と再編成。「すべて未知の世界へ―GUTAI 分化と統合」(大阪中之島美術館、国立国際美術館)レビュー(評:中嶋泉)

2023年1⽉9⽇まで国⽴国際美術館と⼤阪中之島美術館にて具体(具体美術協会)の大回顧展が開催中。美術史家で、著書『アンチ・アクション―日本戦後絵画と女性画家』で田中敦子について論じている中嶋泉が本展をレビュー。

大阪中之島美術館の展示風景より、手前は田中敦子《作品》(1961) 提供:大阪中之島美術館 © Kanayama Akira and Tanaka Atsuko Association

「具体展の歴史」に新たなアプローチ

具体美術協会(以下「具体」)はいまや誰もが知る戦後の阪神エリアに登場した前衛美術グループである。1954年に結成し1972年まで活動したこの集団は、アーティストにして優れたプロデューサーでもあった吉原治良に率いられて次々と斬新な創作を展開し、ひとつのグループとしては破格の60人近くの個性的なアーティストを輩出した。具体解散から50年の今年(2022〜23年)、大阪中之島美術館と国立国際美術館で2館同時開催という未曾有の規模の回顧展が行われている。

具体の回顧的展示は、具体が解散した1970年代からこれまで国内外の美術館で数多く行われおり、「具体展の歴史」と呼べるものがある。その歴史とはごく大まかに述べれば、1980年代に本格的に開始された基礎研究から、1990年代の時系列的整理と主要メンバーの個展を経て、国内外での大規模回顧展が国内外で行われるようになった2010年代まで、具体を包括的に説明し、総合化する過程だったと言えるだろう(*1)。

大阪中之島美術館の展示風景より、元永定正《作品(水)》(1956 / 2022) 提供:大阪中之島美術館

しかし今回の展覧会では、こうした「具体展」の伝統に対して異なるアプローチがとられている。「分化」(大阪中之島美術館)と「統合」(国立国際美術館)という副題から想像されるように、この展覧会の大きな目標は、国立国際美術館の福元崇志主任研究員の言葉を借りるならば、「バラバラでありながら共存する」(*2)という美術グループとしては稀有なあり方を積極的に評価することにある。言葉を変えれば、両展は、具体を統一的運動として解説するのではなく、各々の作品との出会い直しを提案しているとでも言えるだろう。

じっさい本展覧会では具体の概略や歴史を知らせる解説的資料は極端に少なく、観客は「具体とは何か」という通説や特定の前提知識をほぼ与えられずに作品と向き合うことが促されている。また2館を会場を使った本展であるが、各々の展示は基本的に別個の展覧会としてみたほうがよさそうだ。両館では異なる展示の目的や方法から作品との巡り会いが仕掛けられており、観客はそれぞれの館で別の具体を見出すことになるだろう。

大阪中之島美術館の展示風景より、田中敦子《電気服》(1956 / 86)  提供:大阪中之島美術館 © Kanayama Akira and Tanaka Atsuko Association

大作の魅力を堪能

大阪中之島美術館からみてみよう。こちらの展示で掲げられる「分化」というコンセプトは、集団を構成しつつオリジナリティを主張するという、具体というグループのある意味での「矛盾」を抱えた状態と重ねられている。同館の國井綾主任学芸員は、「分化という個々の視点で検証を試みる」(*3)ために、「空間」、「物質」、「コンセプト」、「場所」という4つのキーワードのもとに展覧会を構成した。とはいうものの、展示を目にしたところ、これらの概念はあくまでそれぞれの作品を鑑賞するうえでの補助線に過ぎず、様式や意味上の一貫性よりも個別化した実践に焦点があてられている。具体が個々の試みに「分化」してみえるのだ。

大阪中之島美術館の展示風景 提供:大阪中之島美術館

効果的なのはきわめて余裕のある展示と、それを可能にする各ギャラリーの空間構成である。高い壁、明るい照明、真白い背景は作品それぞれの特徴を際立たせ、白紙からの「具体との出会い」を演出する。たとえば第1室から2室にかけての2部屋を使った「空間」の導入展示は、大型絵画やインスタレーションといった具体を象徴する大作それぞれの力を存分に堪能させてくれる。天井から色とりどりの紙テープを大量に流す吉原通雄の《作品》(1985/2022)、田中敦子の両面から成る絵画(《作品》(1961)、元永定正の3メートルを超えるたらしこみの絵画(《作品》1964)などが次々と目の前に立ちはだかり、それに圧倒されていると、床に敷かれた田中の《作品(ベル)》(1955/2000)の大音響に仰天することになる。

大阪中之島美術館の展示風景より、吉原通雄《作品》(1965/2022) 撮影:編集部
大阪中之島美術館の展示風景より、元永定正《作品》(1962) 撮影:編集部 

白い壁を背景に整然と並べるという方法はいわゆるホワイトキューブ型の展示であるにもかかわらず、逆説的に、空間に飼い慣らされることない具体作品の自己主張を強く印象付けていた。続く展示でも、特定のキーワードのもとに、各作家の、均されることのない芸術的工夫がアピールされる。

常識はずれなアイディア

「物質」は初期具体の制作原理を説明づけてきた重要概念で、これまでは白髪一雄や嶋本昭三ら初期メンバーの作品が参照されることが多かった。だがここではドンゴロスの襞を使って絵画を立体化させる前川強の三次元的絵画や、板に焼き付けることでイメージを浮き上がらせる吉田稔郎の焼く絵画など、これまであまり目を向けられなかった作家による「物質」の実験に注目が寄せられ、「物質」という語が具体にもたらしたインスピレーションの広がりがあらためて理解される。

前川強 麻・白 1963
大阪中之島美術館の展示風景 提供:大阪中之島美術館

「コンセプト」という枠組みは、理論を嫌う吉原のもとで展開した具体の説明にはそぐわないものとされてきた。しかし、ガラス板とセロファンテープを使用することで透明の立方体を作り、「空気」を作品にする村上の《空気》(1956/94)や、殴り描きの○や×で自分が受け取った賞状の価値を無効化する向井修二の《記号化された賞状》(1961頃)といった作品があらためて取り上げられると、概念を主題とする現代美術の「コンセプチュアル・アート」とは別の水準で、具体のアーティストが試していた芸術の境界が浮かび上がってくる。

大阪中之島美術館の展示風景  提供:大阪中之島美術館 © Kanayama Akira and Tanaka Atsuko Association ©MURAKAMI Tomohiko
大阪中之島美術館の展示風景より、向井修二《記号化された賞状》(1961) 撮影:編集部

「場所」にかかわる展示は大阪中之島美術館の見どころのひとつである。具体は1962年に具体ピナコテカという美術館を構えたが、それ以前には吉原が提案する型破りな展覧会場にあわせて、斬新な試みが次々と行われた。今回、向井による記号で埋め尽くされた空間(トイレ)の作品や、建物の吹き抜けに渡された元永の色水のビニールチューブ、屋上に設置された「インターナショナル スカイ フェスティバル」(オリジナルは1960年に大阪高島屋にて実施。11月15から20日の期間限定)などが再現展示され、吉原の展示案が呼び水となって繰り広げられた具体アーティストの常識はずれなアイディアをあらためて体感することができるだろう。

大阪中之島美術館での「インターナショナル スカイ フェスティバル」再現展示風景(2022年11月15〜20日) 提供:大阪中之島美術館

具体独特の「自由」とは

国立国際美術館に目をむけてみよう。「統合」を掲げる国立国際の展示は、第1章「握手の仕方」、第2章「空っぽの中身」、第3章「絵画とは限らない」、という独特の表題のもと、異質性を保ちながら共存する具体独特の「自由」(*4)のかたちをあぶり出そうとしている。最終章のタイトルからも見て取れるように、ここでとりわけ注目されているのは、「絵画」という表現領域と具体との複雑で重層的な結びつきである。

「絵画と具体」というテーマからは、同じ国立国際美術館で、1985年という早い段階で具体を扱った展覧会、「絵画の嵐・1950年代 アンフォルメル/具体美術/コブラ」が思い起こされる。この展覧会は白髪や嶋本といった主に初期の具体メンバーによる絵画実践を、1950年代に世界を席巻した抽象絵画の潮流と世界的同時代性を持つものと評価し、「初期具体はまぎれもなく画家の集団であった」(*5)という具体像を打ち出した。この見解は具体の世界的価値を定着させたいっぽうで、長らくつづいた絵画中心の具体観を形作った。他方で、本展企画者の国立国際美術館である福元主任研究員は、各メンバーの創作は「いかに絵画らしい描きから自由になるか」(*6、引用元は「自由になるか」に筆者傍点)を問うものであったとする。絵画の運動に収れんさせる従来の見方から、絵画といかに新たな関係性を作り出すかを模索した運動へと具体を開く捉え方である。

国立国際美術館での展示風景 写真提供:国立国際美術館 撮影:福永一夫

第1章「握手の仕方」では、吉原の「具体美術宣言」(1956)から「人間精神と物質とが対立したまま、握手している」という有名な一節が引用される。これまで具体による、「物質」との「握手」は、この「宣言」で言及されている白髪や嶋本、村上三郎などの試みに結び付けられてきた。だがここでは、新たに提起される二つ観点―「非絵画的素材」を導入するという実践、「巧く描けない状況」を作り出すという実践―のもとに、物質との「握手」に応じた取り組みの数々が紹介される。それによって、前者については、吉原通雄、白髪富士子、嶋本昭三らが、砂利やガラスなど非伝統的な素材を混入させることで絵画を活性化する様子が、後者については、鷲見康夫、吉田稔郎、正延正俊、名坂有子、猶原通正、坪内晃幸、小野田實らが、道具を介在させるなどの描画技術を意図的に抑制する方法によって偶発的な効果を生み出してきたさまがみえてくるだろう。

国立国際美術館での展示風景 写真提供:国立国際美術館 撮影:福永一夫

「意味」からの逃避

続く第2章「空っぽの中身」では、「意味」から逃れようとする具体の側面が再検討される。「空っぽ」とは山崎つる子が自分の作品を称して述べた言葉であるが、本展にも展示される赤いビニールの蚊帳状の巨大な立体《赤》などで知られる山崎は、自分の作品が見られるままのものとして受け取られられることを望んだ。その傾向が、松谷武判のボンドを膨らませた絵画、菅野聖子の細かな線の集合で作り出される幾何学的模様や、名坂有子のラッカーでコズミックに色付けされた円形など、視覚的、触覚的インパクトに特徴付けられる一群の具体作品に見出される。これらの作品を同時に目にすることによって、観客は、意味が結ばれる手前の感覚を享受させるという具体の重要な一側面を体験をすることになるだろう。

国立国際美術館での展示風景 写真提供:国立国際美術館 撮影:福永一夫
菅野聖子 作品 1967

第3章「絵画とは限らない」では、具体の作品の多く、特に後期の作家にみられる、絵画という枠組みのもとに試行される実験的逸脱を観ることができる。鉄板を使ってシェイプドキャンヴァスをいち早く実践した名坂千吉郎の《SERVOLINE 3》(1967)や、三枚のキャンヴァスを壁から立ち上げて三次元の空間を発生させる堀尾貞治の《作品1966.1.21》(1966)は、絵画という大義名分のもとに生み出される自由な発想によって芸術の領域を拡大した。

国立国際美術館での展示風景 写真提供:国立国際美術館 撮影:福永一夫
名坂千吉郎 SERVOLINE 3 1967
堀尾貞治 作品1966.1.21 1966

グループの多様性に光をあてる

このようにして2館の具体展からは、従来の具体像を解きほぐし、具体メンバーの多彩な試みを個別に見直すことの意義を実感することができる。仮に大阪中之島美術館が具体を統一する文脈の「解体」に向かっていたとしたら、国立国際美術館の展示は具体の特性を絵画の周りに「再編成」したと言えるだろう。具体とはあらためて、2つの美術館の空間を費やしてなおあまりある多様性を有したグループとして再び立ち現れるのである。

国立国際美術館での展示風景 写真提供:国立国際美術館 撮影:福永一夫 ©MURAKAMI Tomohiko

ひとつリスクを挙げるならば、具体に関する先入観を避けるという両館の姿勢によって、観客は合計170点を超す作品を、限られた前提知識を頼りにしながら彷徨い見ることになる可能性がある。また、大阪中之島美術館アーカイヴズ情報室が所蔵している具体および具体アーティストの資料があまり利用されていなかったことは残念に思われる。だがこうした前提知識の回避によって、知名度や時系列による具体のヒエラルキーが取り崩され、あまり知られていなかったアーティストや作品にも分け隔てのない光が当てられていたことの意義は大きい。両館の展覧会は前例のない構成によって、具体がなぜこれほど人々を魅了してきたのかあらためて考えさせられる。それはつまり「具体」として残された千差万別の大量な創作が、芸術的自由とは何なのかを私たちに問うてくることではないか。

本展「すべて未知の世界へ―GUTAI 分化と統合」において、具体の「自由」の甚だしい広がりが歴史的規模の展示となってあらためて披露された。この展覧会によって具体は、異なるいくつもの具体像を形成する新局面へと解き放たれたと言えるだろう。

*1──この流れについては平井章一の「具体回顧展の歴史」に詳しい。平井章一編著、『「具体」ってなんだ?―結成50周年の前衛美術グループ18年の記録』、株式会社美術出版社、2004年、156、7頁。
*2──福元崇志主任研究員と著者との会話による(2022年10月22日)。
*3──國井綾「「オリジナリティ」のゆくえ―具体は何をめざしたのか」『すべて未知の世界へ―GUTAI 分化と統合』大阪中之島美術館、国立国際美術館、23頁。
*4──福元崇志「具体をばらばらにまとめる―その「自由」の内実を求めて」『すべて未知の世界へ―GUTAI 分化と統合』、145頁。
*5──建畠晢「生成するタブロー―具体美術協会の1950年代」、『絵画の嵐・1950年代 アンフォルメル/具体美術/コブラ』(展覧会カタログ)国立国際美術館、1985年、14頁。*6──福元、142、3頁。

中嶋泉

なかじま・いずみ 美術史家。大阪大学大学院人文学研究科准教授。主に20世紀の美術史における女性の創作活動を中心に研究。1950~60年代の日本美術史をジェンダーの観点から読み直し、草間彌生、田中敦子、福島秀子について論じた『アンチ・アクション―日本戦後絵画と女性画家』(ブリュッケ、2020)でサントリー学芸賞、第35回女性史青山なを賞を受賞。