公開日:2022年10月26日

【具体】を知る3つのキーワード。戦後の芦屋で生まれた美術家集団について、大規模な回顧展が開催されるいまこそ知る

大阪中之島美術館と国立国際美術館の2館で、大規模な回顧展「すべて未知の世界へ ー GUTAI 分化と統合」が10月22日~2023年1月9日に開催される。吉原治良を中心に活動し、戦後の日本美術史に新たな風を吹き込んだこのグループについて、具体についての特別展を担当した経験がある兵庫県立美術館学芸員の鈴木慈子が解説する。

白髪一雄 天暴星両頭蛇 1962 カンヴァスに油彩 京都国立近代美術館蔵 すべて未知の世界へ ー GUTAI 分化と統合」出品作(会場:大阪中之島美術館)

解散から50年。戦後美術史を切り開いた「具体」とは

解散後50年となる2022年は、まさに「具体イヤー」と言えるだろう。具体美術協会(具体)は、1954年に兵庫県の芦屋で結成。画家の吉原治良(よしはら・じろう、1905〜72)を中心に、1972年まで活動を続けた美術家集団だ。2000年代以降、グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)での「GUTAI」展(2013年)の開催に象徴されるように国際的な再評価を高め、所属したメンバーの個展も国内外で開催されている。そしてこの10月22日~2023年1月9日には、大阪中之島美術館国立国際美術館という隣接する2館で大規模な回顧展「すべて未知の世界へ ー GUTAI 分化と統合」が開催(レポートはこちら)。戦後美術史における具体の評価を一段と決定づけ、また新たな視座を開くものとして期待が高まる。さらに同時期には「WORLDWIDE 白髪一雄」尼崎市総合文化センター)や「生誕100年 元永定正展」三重県立美術館)といった中心メンバーの回顧展が開催されるほか、金沢21世紀美術館「時を超えるイヴ・クラインの想像力―不確かさと非物質的なるもの」でも大きく紹介されている。この記念すべき年に、「具体」とはいったいどのようなグループで、何を目指していたのか、改めて見直してみたい。本稿では3つのキーワードから「具体」を解説するもの。筆者は、兵庫県立美術館学芸員で2020年「開館50周年今こそGUTAI 県美の具体コレクション」展を担当した鈴木慈子。【Tokyo Art Beat】


1.吉原治良

具体美術協会(具体)は、1954年、戦前から画家として活躍していた吉原治良を中心に結成された前衛美術グループである。吉原の自宅があった兵庫県芦屋市で発足、リーダーの吉原は「人のまねをするな」を掲げ、周りに集った若い作家たちを鼓舞した。具体は、1972年2月に吉原が急逝し、翌3月に解散するまで、18年にわたって存続した。戦後、様々なグループが日本各地に現れ、短命に終わったものが少なくないなか、その活動期間はとりわけ長かった。

吉原治良 出典:Wikimedia Commons

グループとしてまず取り組んだのは機関誌『具体』の刊行(1号は1955年1月発行)で、グループ展である「具体美術展」(1955年10月)が続いた。第1回は、華道家小原豊雲の協力を得て、東京の小原会館で開催された。小原流の家元であった豊雲は、吉原と面識があり、芦屋公園で開かれた「真夏の太陽にいどむ野外モダンアート実験展」を見て、会場の提供を申し出たという。

機関紙『具体』1~9、11、12、14号(1955–65) 出典:http://web.guggenheim.org/exhibitions/gutai/

山崎つる子は『具体』4号(1956年7月)に「東京の具体人」を寄稿し、東京での展示の様子を伝えている。

「運び込まれた種々様々の作品は吉原先生の一寸した指示で滑るように最もふさわしい場所にはまり込んでゆくから不思議である。見てる人は作品が一斉にそれぞれの意思で動く様な気がしたり、壁画が吸いつくのかと考えてみたりする。吉原先生は手品師でもある」
「会期中批評家の方々によく云われた言葉の一つが「内容がない」と云う事であった。しかし「何もない」「空っぽ」と云う響きは如何にも愉しい。今まで作品に於ける内容がどうのこうのと論議され、そういう類ぐいのが見当たらないと内容がないと云う事になるらしい。つまり(「空っぽ」の内容)は問題にはされない。空っぽの中にこそ既成のものと隔絶された新しい様々の問題、あらゆる可能性が提出されていて暗示と啓示にブヨブヨうなっているのに」 (*1)

東京での無理解を嘆くというより、自分たちの表現に対する自信の現れではなかろうか。『具体』誌は、吉原治良の国際戦略(*2)の一翼を担いつつ、作品評(たとえば具体美術展出品作について)から抽象的な概念を論じるものまで、会員たちが様々なテーマの記事を寄せ、相互批評・研鑽の場としても機能した。

山﨑つる子 Work 1960 カンヴァスに油彩とエナメル 国立国際美術館蔵 「すべて未知の世界へ ー GUTAI 分化と統合」出品作(会場:国立国際美術館) 

2.具体美術宣言

吉原治良が『芸術新潮』第7巻第12号(1956年12月)で発表した「具体美術宣言」は、7枚の図版を交え、3ページにわたっている。グループにとって唯一といえる「宣言」であり、物質や精神といったキーワードから具体の理念を読み取る(*3)、アンフォルメルの受容といった観点で位置づける(*4)といった分析が、これまでなされてきた。それらとあまり関係ないとされたからか、引用される際に、後半部分は割愛されることも多かった(*5)。

大阪中之島美術館と国立国際美術館で開催される「すべて未知の世界へ ― GUTAI 分化と統合」展のタイトルにある「すべて未知の世界へ」や「分化と統合」は、いずれも具体美術宣言からの引用である。

戦前のヨーロッパの未来派宣言やシュルレアリスム宣言、戦後の日本でのパンリアル宣言など「宣言」の例は枚挙にいとまがないが、具体美術宣言が書かれたのは結成直後ではなく、グループとしての活動をスタートさせて2年以上たっているから、いわゆるマニフェスト、理念を高らかにうたうことだけが目指されているわけではない。前半、ジャクソン・ポロックやジョルジュ・マチウといった欧米の画家や「アンフォルメル」などを引き合いに出しながら語られているのは、初期の具体の「総論」であって、リーダーとしての吉原の本領が発揮されているのは、むしろ後半なのではないか。

白髪一雄 天暴星両頭蛇 1962 カンヴァスに油彩 京都国立近代美術館蔵 すべて未知の世界へ ー GUTAI 分化と統合」出品作(会場:大阪中之島美術館)

3ページあるうちの、2ページ目の終わりからは、メンバーの具体的な作例が挙げられている。総論に対しての「各論」といえる部分で、木下淑子(*6)に始まり、白髪一雄と嶋本昭三には一段落ずつが費やされ、鷲見康夫、吉田稔郎、田中敦子、山崎つる子、ふたたび嶋本昭三、村上三郎、金山明、また田中敦子、元永定正と続く。図版は1ページ目に第二回具体美術展の会場風景(田中敦子、金山明、元永定正)、2ページ目に村上三郎の紙破り、嶋本昭三の瓶投げ、白髪一雄の足で描く絵画(これら3枚の写真は、当時、同誌の嘱託カメラマンであった大辻清司が撮影したもの)、3ページ目に木下淑子、嶋本昭三、元永定正となっている。

田中敦子 電気服 1956/86 管球、電球、合成樹脂エナメル塗料、コード、制御盤 高松市美術館蔵 撮影:加藤成文 © Kanayama Akira and Tanaka Atsuko Association" 「すべて未知の世界へ ー GUTAI 分化と統合」出品作(会場:大阪中之島美術館) 

初期具体を語るうえで、過不足がなく、いま見ても代表的な作品ばかりである。このラインナップが証明しているのは、吉原治良の眼の確かさにとどまらない。吉原自身の作品への言及がないのは、こうした会員を擁するグループを率いている、という自負の裏返しで、具体美術協会そのものが吉原の作品(*7)だと評される所以であろう。作品の紹介も、いつ、どこで制作された、どういった様式に属する作品……といった批評家の視点とは、明らかに異なっている。目の前で年若い作家たちが繰り広げる創造への、驚きと畏敬にも似た気持ちがあらわれている。

嶋本昭三 1962-1 1962 カンヴァスに油性樹脂系絵具、ガラス 大阪中之島美術館蔵 「すべて未知の世界へ ー GUTAI 分化と統合」出品作(会場:大阪中之島美術館) 

この記事で名の挙がったメンバーが「先生」へ向けたであろう尊敬の念もまた想像に難くない。取り上げられなかったメンバーも、もちろんいる。吉原治良が「宣言」を執筆した1956年10月に開かれた「第2回具体美術展」への出品者は、『具体』6号によれば28名で、そのうち女性は8名。「宣言」内で名前の出ている10人のうち、3名が女性である(*8)。そのあたりのさじ加減やリーダーシップは「先生」の素質といえよう。

3.グタイピナコテカ

グタイピナコテカのパンフレット 兵庫県立美術館蔵

具体は18年も続いたグループで、メンバーの在籍期間には長短の差があり、新規加入や入れ替わりも多く、その全体像をとらえるのは容易ではない。結成からフランス人美術評論家ミシェル・タピエ来訪までを「初期」(1954~1957年)、タピエが標榜した「アンフォルメル」の世界的ネットワークとつながった「中期」(1957~1965年)、新会員を多数受け入れて大所帯となった「後期」(1965~1972年)と分けることもできれば、グタイピナコテカ開設の1962年を境として前半と後半に大別することもできる(*9)。

1962年、大阪の中之島(ここにも「本宅」と呼ばれる吉原の家があった)に独自の展示施設「グタイピナコテカ」を構え、新たな拠点とした。吉原が持っていた土蔵を改装したもので、絵画館を意味する“Pinacotheca”はミシェル・タピエが命名した。

吉原治良 作品 1962 キャンバスに油彩 東京都現代美術館蔵 「すべて未知の世界へ ー GUTAI 分化と統合」出品作(会場:大阪中之島美術館) 本作はグタイピナコテカ開館記念展に出品されたもの。黒地に出現したおぼろげな白い円は、Gのかたちにも見え、グタイピナコテカのマークともなった。ミシェル・タピエ旧蔵

ここではグループ展「具体美術展」のほか、会員の個展、海外作家の個展なども開催された。グタイピナコテカはたんに具体の拠点となったばかりでなく、欧米からの来客を迎え、友好を深める場としても機能した(*10)。

グタイピナコテカで個展を開催した会員は、開催順に、嶋本昭三、白髪一雄、吉田稔郎、田中敦子、村上三郎、向井修二、山崎つる子、松谷武判、前川強、吉原通雄、名坂有子、正延正俊、上前智祐、今井祝雄、ヨシダミノル、田井智、堀尾貞治、河村貞之、今中クミ子、吉原治良、菅野聖子(*11)。

名坂有子 作品 1960 合板に合成樹脂系絵具、木綿布 宮城県美術館蔵 「すべて未知の世界へ ー GUTAI 分化と統合」出品作(会場:大阪中之島美術館)

ヨシダミノル JUSTCURVE '67 Cosmoplastic 1967 ステンレス、プラスティック、蛍光灯、センサーほか 高松市美術館蔵 「すべて未知の世界へ ー GUTAI 分化と統合」出品作(会場:国立国際美術館)

個展の開催は、グループにとって、リーダー吉原にとって、画期となった。1950年代、吉原はグループ展を重視し、野外や舞台といった発表場所を用意して、新しい表現を促した。1960年には大阪の高島屋屋上にアドバルーンを掲揚するなど(「インターナショナル スカイ フェスティバル」は今回のGUTAI展で「再現」される)、いろいろと試みていた。1960年代初頭に、具体美術館ともいうべきベースができたことで、会として、具体は新たな展開を迎えた。

今中クミ⼦ 赤と黄 1966 国立国際美術館蔵 「すべて未知の世界へ ー GUTAI 分化と統合」出品作(会場:国立国際美術館)
『具体』11号(1960)。表紙は「インターナショナル スカイ フェスティバル」の写真 出典:https://www.guggenheim.org/teaching-materials/gutai-splendid-playground/network-2

2012年に国立新美術館、2013年にはニューヨークのグッゲンハイム美術館で大規模な具体展が開催され、ここ10年のあいだに、グループに対する評価もまた新たな展開をみせている。具体の活動は、既知の価値をのりこえ、未知に挑戦する。「精神の自由」を表す作品群と、本拠地である大阪で、向き合いたい。

「具体ニューヨーク展」広報印刷物(兵庫県立美術館蔵)。ニューヨークでの展覧会(初めて海外で開いたグループ展、のちに第6回具体美術展と位置づけられた)で、すでに「大阪osaka」が打ち出されている。図版は白髪一雄《作品Ⅰ》(1958) 

*1––––山崎つる子「東京の具体人」『具体』4号、1956年7月。
*2––––たとえば次を参照。Ming Tiampo, Gutai: Decentering Modernism, University of Chicago Press, 2011(邦訳は『GUTAI 周縁からの挑戦』三元社、2016)
*3––––「宣言」について、白髪一雄は次のように証言している。「裏話になりますが、あれは芸術新潮がああいうものを求めてきたんです。それで作らなしょうないから、先生、頭捻って作りはった訳やけど発表する前に僕らにも作ったもの読んでくれと、その時分そういうのによく参加していたのが4人いまして、それから通雄君〔引用者注:吉原治良の次男で具体のメンバー〕いれて5人、それと秘書みたいな形で吉田(稔郎)君、4人というのは村上君、嶋本君、元永君と僕でしたが、それだけで読みました。」聞き手:山村徳太郎、尾崎信一郎「白髪一雄氏インタビュー」芦屋市立美術博物館編『具体資料集 ドキュメント具体1954-1972』1993年、p.386。「宣言」で語られる内容、キーワードのなかから「資質」をとくに取り上げて白髪が論じ(『具体』5号、1956年10月)、各論というべき新奇な方法の数々については嶋本が「絵画処刑論」で列挙する通りである(『具体』6号、1957年4月)。また建畠晢は「編集部の求めに応じて急拠〔ママ〕起草されたものであったが、“理屈”を嫌った吉原が、例外的に具体の理念についてまとまった発言をしたものであり、論争調の断定的な文体によって、鋭く具体の思想がえぐられている」と述べる。『絵画の嵐・1950年代 アンフォルメル・具体美術・コブラ』展カタログ、国立国際美術館、1985年、p.15。
*4––––加藤瑞穂「アンフォルメル受容の観点から見た吉原治良の「具体美術宣言」」吉原治良研究会編『吉原治良研究論集』2002年、pp.55-69。
*5––––平井章一編『「具体」ってなんだ?結成50周年の前衛美術グループ18年の記録』美術出版社、p.81。
*6––––『具体』2号で特集が組まれるなど、初期具体における注目作家のひとりだが、1955年から58年までと具体での活動時期が短く、現存作例の乏しさもあって、今回の「GUTAI」展に実作は展示されない。
*7––––たとえば河崎晃一は「吉原の目をパスしたものしか展示できなかった、という意味において、『具体』は彼の作品だった」と述べている。正木利和「文化の遺伝子 具体美術(1)吉原治良の夢 人のまねをしない芸術 作品タイトルは「作品」」『産経新聞』2018年5月21日。https://www.sankei.com/article/20180521-DIF7Z3JVUNK7BBLD55L6DB2PSM/4/
*8––––田中敦子のように、具体というグループの枠をこえて、近年、評価が著しい女性作家もいる。筆者は2020年に開催した特別展「今こそGUTAI」で、具体の女性メンバーに注目するコーナーを設けた。展評としては次を参照。中嶋泉「「具体展」の今とこれから-「開館50周年 今こそGUTAI 県美の具体コレクション」展」『ART RAMBLE』70号、2021年3月、4-5ページ。https://www.artm.pref.hyogo.jp/artcenter/pdf/ramble70.pdf
*9––––前者については、たとえば『「具体」ってなんだ?』(注5前掲)を、後者についてはAlexandra Munroe and Ming Tiampo eds., Gutai: Splendid Playground, exh.cat. Solomon R. Guggenheim Museum, 2013を参照。
*10––––吉田稔郎「グタイピナコテカのお客さん達」『オール関西』第5巻6号、1970年6月、pp.66-67。
*11––––菅野聖子のみグタイミニピナコテカでの開催であった。1970年、グタイピナコテカは、阪神高速道路の出入口建設のため取り壊されることになり、代わりに「グタイミニピナコテカ」が近くの大ビル西別館に開設された。

鈴木慈子

鈴木慈子

すずき・よしこ 兵庫県立美術館学芸員。奈良県生まれ。専門は近現代美術。大阪大学大学院文学研究科修了。2011 年より現職。担当した企画に、2012年「カミーユ・ピサロと印象派」、13年「いのちの色 美術 に息づく植物」、14年「官展にみる近代美術」、20年「開館50周年 今こそGUTAI 県美の具体コレクション」展、21年「コシノヒロコ展」など。共著に 『〈場所〉で読み解くフランス近代美術』(2016)。