展示室に足を踏み入れると、身体まるごと囲い込まれ、巨大な目玉の視線に射抜かれる……そんな迫力と緊張感がみなぎる作品と対峙することになる。
表参道のエスパス ルイ・ヴィトン東京で10月14日から2022年3月6日まで開催されるギルバート&ジョージの展示では、大型の3連作《Class War, Militant,Gateway (階級闘争、闘争家、入り口) 》(1986)が日本で初めて展示される。モノクロームと赤・緑・青という明快な色づかい、大胆かつ安定感のある構成、そしてその大きさによって見る者を圧倒する本作は、政治的かつ闘争的なイメージを喚起する。
ギルバート&ジョージは、ギルバート・プロッシュ(1943年イタリア生まれ)とジョージ・パサモア(1942年イギリス生まれ)の2人組で、イギリス・ロンドンを拠点に活動するアーティスト。1986年にターナー賞を受賞、2005年にヴェネチア・ビエンナーレの英国代表を務めるなど、1970年代以降の現代美術を代表する存在だ。ジェイク・アンド・ディノス・チャップマンやYBAなど後続世代のアーティストに影響を与えたのはもちろん、近年はJW アンダーソンやSupremeなどファッションブランドとのコラボで目にした人も多いのではないだろうか。
2人は1967年にロンドンのセント・マーチンズ・スクール・オブ・アートで出会い、以来ペアで活動を続けている。なんと言っても有名なのは、彼らのコンセプトであり代表的なシリーズである「リヴィング・スカルプチュア(生きる彫刻)」だろう。スーツ姿にステッキやタバコを携えたいかにも“イギリス”らしい出立ちで、顔や手をメタリックなメイクで覆った2人が、ロボットがパントマイムをするように同じポーズを取り続ける。自分たち自身が彫刻になることで、生きること自体が芸術であると表明するこの一連のパフォーマンスは、世界各地で上演され、アートシーンに大きな衝撃をもたらした。
1970年代に入ると、パフォーマンスのみならず、写真やヴィデオといったほかのメディアへと表現方法を広げていく。宗教やセクシュアリティ、死、暴力といったスキャンダラスなテーマを扱い、居を定めたロンドンのイーストエンドにある労働階級居住地区での暮らしからも着想を得た。
なかでもステンドグラスのような黒枠の格子状にイメージを配置したフォトモンタージュは、彼らの代表的な手法となる。今回来日した《Class War, Militant,Gateway》もその重要な作品で、これほどの大作は当時初めてだったという。同年にターナー賞を受賞し、海外の巡回展も成功を収めるなど、彼らの国際的な評価が非常に高まっていた頃の作品だ。
新作として発表されたのは1987年、ニューヨークの伝説的なギャラリー、ソナベント画廊での展示である。そして後にフォンダシオン ルイ・ヴィトンの所蔵となり、そのコレクションを世界中の人々に紹介し続けるプログラム「Hors-les-murs (壁を越えて)」の一環で、今回初来日を果たした。
2015年にパリのフォンダシオン ルイ・ヴィトンで展示された際は3作が横一列に配置されたが、エスパス ルイ・ヴィトン東京では3面の大きな壁にコの字型に展示されている。そのため、鑑賞者が取り囲まれるような没入感はより高まったと言えるだろう。
会場の壁面に掲示されたQRコードから、本作の解説を読むことができる。そこでは「この作品は、共同体への所属から、個人的良心や自己肯定の出現まで、個人の冒険を描いています」と説明されている。では、この3作品を順番に見てみよう。
《Class War(階級闘争)》では、青い仕事着を着た人物の列が前景に、露に濡れた緑の葉と、ギルバートとジョージの目が浮かび上がる赤い円が中景に、光に向かってトンネルを進む群衆が後景に配置されている。
《Gateway(入り口)》では、若者たちは中腰でバラバラな動きをし、中景には赤と緑の花壇、後景には都市の風景が見える。両脇には巨大なギルバートとジョージが屹立し、秩序と抑圧を体現する門番、もしくはゲートそのもののように見える。
《Militant(闘争家)》では4人の人物それぞれが正面を向いて立ち、その姿は堂々として余裕も感じられる。彼らの足元にはバラの茎があり、背景には都市の写真が複数の向きでコラージュされている。解説によるとこれは、「自己肯定の段階、および世界の中で自分の居場所を見つける段階」を表しているという。
印象的なのはそれぞれの人物が手にしている長い棒(もしくは角材?)だろう。この棒は時に労働の道具として、時に手に入れた自由の象徴として、現代の都市と労働、そして身体をめぐる寓話に様々なイメージを呼び起こす。
ギルバート&ジョージは、自分たちの作品について「それは現実を反映したものではなく、ありうべき未来像であり、私たちの提議なのだ」(*)と語ったという。
なぜいまフォンダシオン ルイ・ヴィトンが本作を東京で披露するに至ったのか、想像をめぐらせるのも面白いだろう。発表から35年の時を経て、オリンピック・パラリンピックやコロナ禍、気候変動などによって変貌を迫られたこの大都市で、本作が幻視させる「ありうべき未来像」とはなんなのか。共同体と個人はどのような関係を結ぶことが可能で、一人ひとりの生と芸術はどのように連関するのだろうか。
2009年以来の12年ぶりに、日本でギルバート&ジョージの作品が展示される本展。この巨大な3連作と相対することで、未来の生に向けたヴィジョンが開かれるかもしれない。
*──住倉良樹「人間彫刻・年代記 ギルバート&ジョージ物語」『ギルバート&ジョージ 現代イギリス美術界の異才』展覧会カタログ、セゾン美術館、1997年、p.170
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)