公開日:2023年6月14日

「ガウディとサグラダ・ファミリア展」(東京国立近代美術館)レポート。完成が近づく「未完の聖堂」の魅力とガウディの創造の源泉を解き明かす

スペイン・バルセロナを中心に活動した建築家のアントニ・ガウディと、その代表作サグラダ・ファミリア聖堂に焦点を当てた巡回展が6月13日ついに開幕(東京国立近代美術館は9月10日まで)。ガウディ建築の独創性の秘密に迫る本展をレポートする。

「ガウディとサグラダ・ファミリア展」の会場風景

貴重なオリジナル模型や図面を展示

有機的フォルムを持つ特異な建築を多数生み出し、日本でも多くのファンを持つスペインの建築家アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi、1852~1926)。彼と、長く「未完の聖堂」とされながら完成が視程に入ったバルセロナのサグラダ・ファミリア聖堂に焦点を絞った「ガウディとサグラダ・ファミリア展」が、東京・竹橋の東京国立近代美術館で6月13日に始まった。会期は9月10日まで(会期中一部展示替えあり)。

サグラダ・ファミリア聖堂、2023 年 1 月撮影 © Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família

ガウディは、スペイン・カタルーニャ地方のレウスに生まれ、バルセロナで建築を学び、同地を拠点に活動した。欧州各地で建築を設計し、バルセロナ市内では現在も建設が続くサグラダ・ファミリアをはじめ、グエル館(1886~90)やグエル公園(1900~14)、カサ・ミラ(1906~10、カサは邸宅の意味)など数々の名建築を手がけた。スペイン国内にあるすべてのガウディ建築は国宝か世界遺産に指定され、人々を魅了し続けている。

《ガウディ肖像写真》 1878  

本展は、とりわけ人気が高いサグラダ・ファミリアを中心に据えてガウディの建築思想と造形原理を読み解くもの。サグラダ・ファミリアや国内外の研究機関が所蔵する貴重なオリジナルを含む図面や模型、資料、写真など100点超が出品されている。ガウディの専門家である鳥居徳敏・神奈川大学名誉教授が学術監修を担い、サグラダ・ファミリア聖堂主任建築家のジョルディ・ファウリと同聖堂彫刻家の外尾悦郎が共同企画に携わった。本展を担当する東京国立近代美術館の鈴木勝雄・企画課長は記者発表会で次のように述べた。

「本展では、建築家としてガウディが成長変化していく過程、さらに彼の創造の源泉をひもときながら、それがサグラダ・ファミリアに統合されていく過程を追う。制作プロセスに注目することで、ガウディの息遣いとともに試行錯誤した過程を展覧会のなかで確認して頂けたらと思う」

40年以上、サグラダ・ファミリアの彫刻の制作に携わる外尾は1953年福岡県生まれ。京都市立芸術大学を卒業後、1978年にスペインに渡り、聖堂建設に欠かせない専任彫刻家に任命された。「我々人類にとって大切なヒントが詰まったサグラダ・ファミリアと、それを構想したガウディに魅せられてきた。本展では、ガウディを通じていま現在起きている問題について考えてもらえたら」と話した。

東京国立近代美術館にて。左から鈴木勝雄・東京国立近代美術館企画課長、鳥居徳敏・神奈川大学名誉教授、サグラダ・ファミリア聖堂主任建築家のジョルディ・ファウリ、同聖堂彫刻家の外尾悦郎

産業革命と万博の時代を生きた建築家

サグラダ・ファミリアは、資金難やスペイン内戦で一時中断されながら、約150年工事が続いている。当初はガウディ没後100年に当たる2026年の完成を目指したが、新型コロナウイルス感染症拡大のため進捗が遅延し、現在は高さ172.5mの中央塔「イエスの塔」の26年完成が目標だという。

4章構成の本展は、若き日のガウディの活動と時代背景を紹介する第1章「ガウディとその時代」からスタート。19世紀後半、ヨーロッパは産業革命により都市と生活が急激に変わり、バルセロナでも城壁を壊して都市規模が拡大されるなど近代化が進んだ。そのなかで建築を志したガウディは、大都市バルセロナに移り住み、1878年に建築家の資格を取得する。

会場はイントロダクション映像に続いて、ガウディのデスマスク、バルセロナ建築学校で制作した図面や図書館で読み漁った書籍が並ぶ。注目したいのは自筆のノート。テキストをあまり残さなかった彼が、建築の装飾に関する覚え書きを記した貴重な初期資料だ。

会場風景より、バルセロナ建築学校時代のガウディが作成した県庁パティオや桟橋などの図面
会場風景より、ガウディの自筆ノート《ガウディ・ノート》(1873-79)

19世紀後半は、世界各地の文化や建築が一堂に会した「万国博覧会の時代」でもあった。ガウディは1878年に開催されたパリ万博でチャンスをつかむ。手袋店の依頼を受けデザインしたショーケースが、バルセロナの資産家アウゼビ・グエルの目に留まったのだ。グエルはその後パトロンになり、ガウディ建築の実現に大きな役割を果たしていく。

会場風景より、ガウディ《クメーリャ革手袋店ショーケース 、パリ万国博覧会のためのスケッチ》(1878)。名刺の裏に描かれている。

自然から学び、有機的フォルムを実現

「人間は創造しない。人間は発見し、その発見から出発する」。そう語ったガウディは、古今東西の建築や自然の摂理を絶えず研究し、意匠や構造の発想源とした。

第2章「ガウディの創造の源泉」は、歴史・自然・幾何学の3つの観点から彼が吸収したものをたどり、ユニークな造形原理の展開をひもとく。

長くイスラム文化の影響下にあったスペインでは、西洋建築との混合様式のオリエンタルなムデハル建築が生まれた。それに着想を得てガウディが考案したのが、多色のタイル破片を用いるモザイク装飾「破砕タイル」の手法。建物の細部や曲面も自由に彩ることができ、最初期のカサ・ビセンス(1883~85)からサグラダ・ファミリアまで数多くの建築作品に用いた。いっぽう、キリスト教の伝統に基づくネオ・ゴシック様式も研究し、それを超える合理的な設計をサグラダ・ファミリアで目指すようになる。

会場風景より、ガウディ《グエル公園、破砕タイル被覆ピース》(制作:ジャウマ・プジョールの息子、1904頃)

自然に由来する有機的なフォルムは、ガウディ建築の大きな特徴。ガウディは身近な動植物を入念に観察し、装飾パターンに応用した。周辺環境にも目を向け、カサ・ビセンスでは敷地に自生する棕櫚(シュロ)の葉の鋳型を作り、それを基に鉄柵の連続文様をデザインした。土地と、そこに作る建築の接続を重視したと言えるだろう。彼がデザインしたイスなども展示され、動物のような独特の曲線美が目を引く。

会場風景より、ガウディ《植物スケッチ(サボテン、スイレン、ヤシの木》(1878頃)
会場風景より、左からガウディ《カサ・ビセンス、鉄柵の棕櫚の模型》(1886頃)、同《カサ・ビセンス、正面のセラミックタイル》(1883)
会場風景より、左からガウディ《カサ・バッリョ、ベンチ》、同《カサ・カルベート、スツール》(複製、いずれも1984-85)

地質学や考古学が発達した当時は、洞窟観光がブームを呼んだ。ガウディも大地の浸食が生んだダイナミックな造形に惹かれ、設計に取り入れた。本展では、洞窟のような内観を持つカサ・バッリョ(1904~06)の正面図や関連図版が紹介され、彼を魅了した神秘的な空間性に思いを馳せることができる。

会場風景より、ガウディ《カサ・バッリョ、正面図》(1904)

「ガウディは自由に造形した建築家と思われがちだが、非常に幾何学にたけ、建築構造について深い知識を持っていた」と鈴木学芸員。有名な「逆さ吊り実験」は、コローニアル・グエル教会(1898~、未完)のために実施したもので、理想的なアーチ形を探る設計はサグラダ・ファミリアで結実する。放物線の形をした合理的な構造は、時代を先取りしたような彼の超高層の「ニューヨーク大ホテル計画」(1908、実現せず)でも見て取れる。

会場風景より、右は「逆さ吊り実験」の再現模型。ガウディは糸の両端を固定して垂らし、そこに材料の重量を計算したおもりを下げて合理的な形を探った
会場風景より、手前は《ニューヨーク大ホテル計画案模型(ジュアン・マタマラのドローイングに基づく)》(群馬県左官組合制作、1985)

オーソドックスな当初案を大改造

第3章「サグラダ・ファミリアの軌跡」は、いよいよメインの「未完の聖堂」が登場。世界的に有名だが、その建設経緯や建物の詳細は意外に知られていないのではないだろうか。会場ではまず、建設主体の「聖ヨセフ信心会」(ヨセフは聖母マリアの夫を指す)や信者の献金による建設費調達システムを紹介。正式名「サグラダ・ファミリア贖罪聖堂」は、信仰心篤いバルセロナ市民が犠牲を払い、ゼロから創りあげていった巨大教会なのだ。

1882年に着工した聖堂の2代目建築家にガウディが就任したのは翌83年。31歳だったガウディは以後43年間をサグラダ・ファミリアの建設に捧げた。その間、初代建築家によるオーソドックスな当初案を大胆に設計変更し、3つの大きな正門と18本の塔から成る巨大プロジェクトへ改造していった。

サグラダ・ファミリア聖堂内観。樹木のように枝分かれした円柱が天井を支えている © Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família

膨大な数の模型を作り、スタディーを重ねながら構想を練り上げたガウディ。本展最大の展示室には、オリジナルを含む部分模型や全体模型、図面が数多く並び、彼の進化と計画の変遷を伝える。聖堂内を「森」に見立てたガウディが考案した、天へ向かう上昇感がある二重ラセン円柱や枝分かれする「節」部分の模型も展示されている。地色が異なる継ぎはぎ状の模型は、スペイン内戦(1936~39)時に破壊され、のちに復元されたものだ。

会場風景より、左から《サグラダ・ファミリア聖堂、身廊部模型》(サグラダ・ファミリア聖堂模型室制作、2001-02)、《サグラダ・ファミリア聖堂全体模型》(同、2012-23)
会場風景より、左からガウディ《サグラダ・ファミリア聖堂、側廊高窓模型》(1883-1912頃)、同《サグラダ・ファミリア聖堂、側廊高窓外観頂部オリジナル模型》(1918-22)
会場風景より、サグラダ・ファミリア聖堂で使われている柱頭の模型

リアルな生命感あふれる自作彫刻

自ら手がけた彫刻も大きな見どころだ。ガウディの彫刻制作は、当時最新技術だった写真や、人体や動物からの石膏の型取りを活用した特徴があるという。本展には、キリストの生誕と成長を彫刻で表した正門「降誕の正面」のために作られたオリジナルの石膏像や浮彫が出品されている。皮膚の質感まで再現された彫刻から、リアルな生命表現へのこだわりを感じることができるだろう。

会場風景より、ガウディが制作した女性や少年、キリストのトルソの塑像断片
会場風景より、ガウディ《サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:女性の顔の塑像断片》(1898-1900)
会場風景より、ガウディ《サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:アヒルの浮彫》(1895頃)

キリストの十二使徒を表す12本の鐘塔の頂華のデザインにも工夫を凝らした。最終案まで20種類もの案が作られたといい、色鮮やかなガラスモザイクを施すなど斬新に造形された頂華装飾は、天にそびえるシンボルになっている。

サグラダ・ファミリア聖堂受難の正面、鐘塔頂華 © Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família
会場風景より、2022年に完成したサグラダ・ファミリア聖堂・マルコの塔の模型(サグラダ・ファミリア聖堂模型室制作、2020)

引き継がれたクリエイティブな遺伝子

ガウディが生前関われたのは地下礼拝堂と「降誕の正面」のみ。彼の没後に工事は続行したが、スペイン内戦で「降誕の正面」は損傷を受け、模型は破壊され、図面類は焼失した。1939年の内戦終了直後から復元と工事が始まり、歴代の建築家や彫刻家は残った写真や模型断片を頼りに建設を推進してきた。

会場風景より、左はガウディの死亡通知書
会場風景より、右はガウディ《サグラダ・ファミリア聖堂、2本腕十字架の雌型》(1920-26頃)

外尾による石膏の《歌う天使たち》は、戦禍を被った「降誕の正面」のために復元制作した彫刻群。現在の石造に置き換えるまで実際に設置されていた。優しい表情と繊細な身振りが印象的だ。外尾がわずかな資料を手掛かりに創作した過程を図録のインタビューで明かしているので一読をおすすめしたい。

会場風景より、外尾悦郎《サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:歌う天使たち》(1990-2000設置)

続く展示室では、高精細技術やドローンを使ったサグラダ・ファミリアの最新映像を上映。肉眼では難しい視点から高所や建物のディテール、ステンドガラスを透過する色彩の乱舞をとらえて見ごたえがある。

展示を締めくくるのは、第4章「ガウディの遺伝子」。生命力に満ちたガウディの建築は、後世の建築の造形や設計原理、思想面に様々な影響を及ぼした。会場では、これまで刊行されたガウディの研究書や共通性を持つ現代建築作品を紹介。建築家の磯崎新や伊東豊雄と協働してきた構造家の佐々木睦朗らが、ガウディ建築について語る映像もある。

会場風景より、ガウディ研究の歴史を物語る書籍や写真集
会場風景より、現代建築におけるガウディ様式の伝播や受容を考察するコーナー

ラストは、ガウディが語った言葉が映像で紹介されている。いわく「この聖堂を完成したいとは思いません。というのも、そうすることが良いとは思わないからです。このような作品は長い時代の産物であるべきで、長ければ長いほど良いのです」。経済効率が優先され、歴史が生んだ建築や都市環境が次々と破壊されている東京の現状を、ガウディならどう見るだろうか。

「イエスの塔」(中央)の建設が進むサグラダ・ファミリア聖堂。2023年1月撮影 © Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família

なお本展は、滋賀の佐川美術館(9月30日~12月3日)と名古屋市美術館(12月19日~2024年3月10日)に巡回する。ガウディのみならず、何世代にもわたる信仰と創造と情熱が詰まったサグラダ・ファミリア。現代の時間感覚を超越した稀有な建築は、私たちに様々な示唆を与えてくれそうだ。

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。