世界的に活躍した建築家で京都国立近代美術館や東京・代官山のヒルサイドテラスの設計で知られる槇文彦(まき・ふみひこ)さんが6月6日、老衰のため亡くなった。享年95。
槇文彦は1928年東京生まれ。1952年に東京大学工学部建築学科(丹下健三研究室)を卒業し、渡米。ハーバード大学大学院修了後、ニューヨークの設計事務所に勤務し、ワシントン大学で教鞭を取った。1960年、世界デザイン会議の東京開催に際して結成された前衛建築運動「メタボリズム」に参画。菊竹清訓や黒川紀章らと共に高度成長や人口増加に対応する都市と建築の新陳代謝(メタボリズム)を提唱した。翌年、名古屋大学豊田講堂(1960)で日本建築学会賞を受賞。1965年に東京に戻り、自身の事務所を設立した。
一貫して「個と全体」「集合体」の問題に取り組んだ。1969年から約30年かけ建設された複合施設のヒルサイドテラスは、複数の低層棟を小道でつなぎ、代表的な実践とされる。他の主な作品に東京・青山のスパイラル(1985)、京都国立近代美術館(1986)、幕張メッセ(1989)、東京体育館(1990)、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(1990)、風の丘葬祭場(1997)、島根県立古代出雲歴史博物館(2007)など。1979〜1989年、母校の東京大学で教授も務めた。
建築界きっての国際派で海外でも数多くの建築を手掛けた。米国同時多発テロ(2001)で崩壊した世界貿易センタービル跡地に、2013年完成した高層ビル4ワールドトレードセンターも設計した。1993年に建築界のノーベル賞とされるプリツカー賞、ほかにUIAゴールドメダル、朝日賞、世界文化賞など受賞多数。
2020年東京オリンピックの主会場となる新国立競技場建設計画を巡り、英国の建築家ザハ・ハディド監修の当初案を「巨大すぎる」と疑義を唱え、議論を巻き起こした。当初案は総工費膨張などを理由に2015年に政府が白紙撤回した。