アメリカ近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライト(1867〜1959)。その仕事の全貌を、新たな研究結果をふまえてたどる回顧展「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」が豊田市美術館で開幕した。会期は12月24日まで。その後巡回し、パナソニック汐留美術館で2024年1月11日〜3月10日、青森県立美術館で2024年3月20日〜5月12日に開催される。
日本でのライトの回顧展は四半世紀ぶりで、ライトが手がけた帝国ホテル二代目本館の竣工100周年という記念すべき年に開催される。ライトは自然と人間が共生する「有機的建築」を提唱し、「落水荘」や「グッゲンハイム美術館」で知られるが、日本とも深い縁で結ばれた建築家だ。
本展は監修にケン・タダシ・オオシマ(ワシントン大学建築学部教授)、特別アドヴァイザーにシジェニファー・グレイ(フランク・ロイド・ライト財団副代表、タリアセン・インスティテュート・ディレクター)を迎え、グローバル・アーキテクトの先駆としてライトを紹介する。
テーマごとに7つの章が立てられた構成。2012年にフランク・ロイド・ライト財団から5万点を超える資料がニューヨーク近代美術館とコロンビア大学エイヴリー建築美術図書館に移管されたが、このなかに含まれる図面などの貴重な資料に加え、豊田市美術館が持つ美しい家具等のコレクションも並ぶ。
「SECTION 1モダン誕生 シカゴ─東京、浮世絵的世界観」では、ライトが建築家として歩み始めた時期に焦点を当て、師であるルイス・サリヴァンからの影響や、1871年に移住したシカゴの近代都市としての在りようがその後の帝国ホテルのデザインに結びついたことなどを紹介。
興味深いのは、日本文化、とくに浮世絵への傾倒だ。ジャポニスムの時代である1893年のシカゴ万博をきっかけに日本のデザイン文化に深い関心を寄せるようになったライトは、浮世絵に魅了され見識を深めていく。なかでも歌川広重は特別で、そこに描かれた自然の景色に共鳴を示した。1905年に7週間に及ぶ日本旅行をした際には数百枚に及ぶ広重の浮世絵をシカゴに持ち帰り、コレクターかつディーラーとしても手腕を発揮した。施主たちにも浮世絵を飾るように勧め、浮世絵を見せるのに適した展示空間に注力して設計するなど、その浮世絵愛は建築家としての仕事にも大きな影響を与えた。
「SECTION 2『輝ける眉』からの眺望」は、「有機的建築」で知られるライトの、建築を撮り囲む自然環境へのアプローチについて目を向ける。建物の高さを抑えて水平線を強調し、部屋同士をひとつの空間として緩やかにつないだ、ライトの「プレイリー・スタイル」による住宅建築が数多く紹介されるのがこのセクションだ。
自然環境へのアプローチという点で注目すべきは、たとえばイリノイ州の「クーンリー邸」(1906〜09)と「ブース邸計画案」(1911)だ。庭園設計では、気鋭の造園化ジェンス・ジェンセンと共同作業を行い、在来植物と外来植物の群生や不規則なかたちのプールを含む特徴的なランドスケープを生み出した。
また水はライトの仕事において重要な要素であり、代表作として名高い「落水荘」こと「エドガー・カウフマン邸」(1934〜37)は、その象徴的な例だろう。
「SECTION 3 進歩主義教育の環境をつくる」は、最新研究による新たなライト像が示された興味深いセクションだ。ライトの施主、同僚、友人の多くを占めるのが女性たちであり、フェミニストや専門家の女性たちとの関わりや協働に光が当てられている。
なかでもライトと女性たちは、先進的な教育の場の創造に深く関わってきた。母方の一族ロイド・ジョーンズ家は進歩的な教育理論を推進しており、ライトの母も1840年に世界で初めて幼稚園を作ったドイツ人・フリードリヒ・フレーベルの教育法を取り入れて息子を育てた。また1886年には叔母たちがウィスコンシン州にヒルサイド・ホームスクールという先駆的教育機関を設立。こうした環境にあって、ライトも「教育こそ民主主義の基本である」という信条を持つに至ったようだ。
ヒルサイド・ホームスクールがあった場所は、その後1911年にライトが自宅兼アトリエである「タリアセン」を建設しており、ライトはこのなかに一種の学校であるタリアセン・フェローシップを作っている。32年にできたタリアセン・フェローシップには日本からも建築家たちがやってきて滞在し、ライトに師事した。また、それ以前に住んでいたイリノイ州の自邸にもライトは1895年に大きなプレイルームを増築し、最初の妻キャサリン・トビンが幼稚園クラスを開いていた。
叔母たちのコミュニティに属する女性たちのほか、クーンリー邸の施主であるクィーン・フェリー・クーンリーも大きな存在だ。彼女はシカゴ郊外にいくつかの幼稚園を設立し、ライト設計の「クーンリー・プレイハウス幼稚園」(1911)もそのひとつ。本展ではここで使用された美しい窓ガラスが展示されている。
もうひとり、ライトの人生にとって重要な女性がメイマー・ボートン・ボスウィックだ。メイマーに関してはこれまで、スキャンダラスなライトの女性遍歴の中心人物として語られることが大半だった。そのストーリーは、メイマーはもともとライトの施主の妻であり、ふたりはダブル不倫関係となりヨーロッパへ駆け落ち。このことがライトの名声を失落させ設計依頼が激減したが、ライトは帰国後メイマーとの新居としてタリアセンを設計。しかしライトが不在の折に、この自邸でメイマーを含む7人が使用人に殺害される悲劇が起こる……というもの。
こうした語りからこぼれ落ちてきた要素として、本展はメイマーを進歩的なフェミニストとして紹介。ミシガン大学で修士号を取得し、ライトとともにスウェーデンの女性運動家エレン・ケイの思想と著作をアメリカに伝えるという大きな役割を果たしたという。
また1985〜1909年までライトのスタジオでシニアデザイナーを務めていたマリオン・マホニーが、ライトの仕事のなかで重要な役割を果たしてきたことや、彼女がジェンダー平等や進歩主義教育の推進に関わるコミュニティに属していたことなども取り上げられている。
このように、これまで「近代建築の巨匠」の影に隠されたり添え物として扱われてきた女性たちの思想と仕事に光が当てられたことは、本展のハイライトのひとつだと言えるだろう。
「SECTION 4 交差する世界に建つ帝国ホテル」では、二代目本館をライトが手がけた帝国ホテルに関する章だ。ライトは1913年に調査等のため東京に約4ヶ月滞在してから、その後10年かけて帝国ホテルの設計を段階的に行った。
このホテルのデザイン・ソ―スには、以前ライトが目にした東本願寺名古屋別院などの日本の建築のほか、ライトの写真コレクションからメソアメリカやインドネシアの遺跡なども含まれると考えられるそうだ。また、ライトは帝国ホテルの仕事と同時にシカゴの「ミッドウェイ・ガーデンズ」にも取り組んでおり、東京とシカゴの仕事を往復することで様々な文化的意匠の引用や翻訳が双方にもたらされた。
しかし工事は遅れや費用の倍増といった問題から、1922年7月にライトは帝国ホテルの仕事から解雇されてしまう。その跡を継いだのは、かつてライトのもとで学び、その後は日本での仕事を片腕として担ってきた遠藤新ら日本の建築家たちだった。
いよいよ開業を迎えたその日(1923年9月1日)、関東大震災が東京を襲い、帝国ホテルも被害を受けた。会場では、帝国ホテルの図面や家具などに加え、関東大震災に関する資料も合わせて展示されている。
現在では建て替えられてしまった帝国ホテルだが、かつての正面ロビー部分は愛知県の博物館明治村に移築されているので、本展と合わせて訪れるのもおすすめだ。
そろそろ展示も後半だ。「SECTION 5 ミクロ/マクロのダイナミックな振幅」では、1930年代に始まるライトの代表的な様式による「ユーソニアン住宅」の原寸モデル展示があり、実際にドアを潜ったり椅子に腰掛けたりと、空間を体験できるのが楽しい。
もっともよく知られた建築のひとつ、「グッゲンハイム美術館」(1943〜59)に関する展示もこのセクションだ。
「SECTION 6 上昇する建築と環境の向上」では、垂直志向の高まるライトの建築プランを見ることができる。なかにはエンパイアステートビルの4倍以上となる528階建ての「マイル・ハイ・イリノイ計画案」など、現在からしても想像を絶するプランもあるが、たとえばオクラホマ州の「プライス・タワー」(1956)のように実現に至ったビルもある。これは伊藤若冲の熱心なコレクターで知られるジョー・プライスが父親にライトを紹介し、仲介役を担ったことで実現したプライス家のオフィスビル兼住居だ。
「SECTION 7 多様な文化との邂逅」は、ここまでも随所に見られた、ライトの多文化への関心と邂逅にさらに迫る内容。たとえばアメリカ先住民族の文化への関心や、イスラム文化圏での「大バグダッド計画」(1957)のような未来的な都市計画が紹介される。
ライトのラディカルな都市構想として「ブロードエーカーシティ」がある。これは郊外に位置するユートピアコミュニティ的なもので、テレコミュニケーションや自動車・飛行機の技術的発達を土台に、農村と都市が融合し、人々が自給自足しながら仕事と生活をするような新しい都市の在り方を提示するものだった。ブロードエーカーシティ自体は構想にとどまるものの、こうした都市に関するライトの思想は、パンデミックによって「新しい生活様式」が喧伝され、気候危機が問題視される現代にも、通じるものがあるのではないだろうか。
会場にはブロードエーカーシティを立体的に体感できる、CGアニメーションによる映像インスタレーションも用意されている。
本展はこのように、ライトをかつての巨匠として歴史の1ページに刻むのみならず、その仕事や思想を現代社会の課題に対する提言として読み取ろうとする意欲的なものだ。ぜひ貴重な回顧展に足を運んでみてほしい。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)