東京都現代美術館、武蔵野美術大学に続いて、東京都美術館でも「椅子」に着目する展覧会が始まった。この展覧会「フィン・ユールとデンマークの椅子」は、「椅子は誰かが座ってはじめて完成する」というハンス・J・ウェグナーの言葉、また「そこに座る人がいなければ、椅子はただの物にすぎない。人が座ってはじめて、心地よい日用品となる」というフィン・ユールの言葉、デンマークモダンデザインの黄金期を担うふたりに共通する姿勢に則り、椅子に座って体験できる展示を含む企画だ(*1)。会場に集まった家具の多くはデンマークモダンデザインの黄金期と言われる1940〜60年代のもので、熟練職人の手仕事や機械時代初期の実験的な作品だ。これら約100点ほどの椅子を見て学ぶだけでなく、実際に30種類のもの作品に触れて、座ることができる。
美術館にして、この贅沢な企画は、椅子コレクターとして世界中で注目されている織田憲嗣氏の全面的な協力なくしては実現しなかった。熟練職人の手による1点ものの椅子や、いまや高値がつく椅子など、貴重な作品が集められている。約半世紀以上にわたって1350脚の椅子や2万点におよぶ関連資料を収集している織田氏。じつは椅子研究の出発点がデンマークであり、なかでもフィン・ユールのコレクションや研究の第一人者である。実際、フィン・ユールの生前に親交があっただけでなく、購入したフィン・ユール作の椅子の修理についてフィン・ユール自身に相談するほど親しく、フィン・ユール死後には追悼展を開催。これまで国内外の展示に協力し、フィン・ユール協会名誉理事の称号を授与している(*2)。
織田氏のコレクションを中心に構成されたこの展覧会の企画は、じつは美術館のリニューアルオープンがきっかけだったと担当学芸員・小林明子は振り返る。東京都美術館は、佐藤慶太郎氏の寄付で前川國男が1926年に設計し、2012年の大規模改修の際に佐藤氏の貢献をたたえるアートラウンジを新設。改修を担当した前川建築設計事務所から来館者がくつろげる場所となるようにと、新しい空間に提案されたのがデンマークの家具だった。(*3)確かに陽光が柔らかく降り注ぐ前川の空間、温かみのある土色の床タイルに、細身で繊細な木の椅子は映える。
展覧会は3章構成で、第1章がデンマークモダン家具の歴史外観、第2章がフィン・ユールの作品、第3章が椅子体験コーナー。体験コーナーでは椅子、テーブルとともに照明もすべてデンマークのもの。鑑賞中に「ああ座ってみたいな、触れたらいいのに」と思っていたら、最後の最後で叶えてもらえるので、「どれに座りたいかな」など、想像しながら会場をめぐってもらえたらいいのではと思う。また一度、巡ったあと、再び逆順で巡っても勉強になりそうだ。
展示のなかで、フィン・ユールに着目するのは第2章だ。地下3階のギャラリーAをぐるっと回るような構成で、フィン・ユールの生涯、フィン・ユールのデザインを幅広く見ることができる。
フィン・ユールはデンマーク王立アカデミー建築学科に進学し、ヴィルヘルム・ラウリッツエンの建築事務所で11年間働いた建築家としても知られるが、独立後はインテリアを除いて、5件の住宅しか設計しなかった。本展では唯一現存する自邸に着目し、自邸で用いられている家具をいくつかの組みで展示している。
水彩で描かれた図面も、本展の魅力のひとつだ。椅子の図面では、椅子の脚や肘のボリュームが陰影によって絵画的に表現されている。インテリアの図面では、椅子を主役に窓や照明、本、装飾品が詳細に描きこまれており、その椅子がどのような組み合わせのもとでほかのどの椅子と違ったかたちで用いられるのか、具体的に示されている。いっぽう、どの図面もメモ書きなどあまりなく、グラフィックとして全体がデザインされ、素材の質感は排除されており、素材や構造観点において、このデザイナーが家具と建築、両方のフィールドにおいてどのような共通の関心を寄せていたのかは見えづらい。建築学科の6学年上のアルネ・ヤコブセンと比べると、フィン・ユールは建築よりも家具デザインの仕事に熱意を持っていたのかもしれない。
第1章の展示によれば、デンマークは国として、木工技術の伝承に積極的に取り組んでいたという。工房とデザイナーがコラボレーションする機会を積極的に創出したり、活躍するシステムを築いていた。教え、評価し、広め、稼ぎ、開発をする……一連の流れが国内にできあがっていた。そのなかでも、デンマーク王立アカデミー家具科の初代責任者、コーア・クリントはデンマークモダンデザイン界に絶大な力をもったそうだ。クリントは、人体と家具の相関関係や収納家具のモデュールについて研究し、古典的な装飾を簡素にして実際の生活に合うデザインに改良に取り組んだと説明される。
第1章で紹介されている1940年代当時主流であったデザインのなかで見ると、確かにフィン・ユールのデザインはより女性的というべきか遊びがあるというか、視覚的には優美で繊細な曲線が見どころになっているように感じる。ハンス・アルプやアレクサンダー・カルダー、ヘンリ・ムーアといった作品にインスプレーションを得ていたというのも納得だ。
会場の中でポツンと円形の台座に鎮座し、一際目を引く椅子がある。「イージーチェア No.45」だ。
「イージーチェア No.45」 はフィン・ユールの代表作として知られ、時に「世界でもっとも美しい肘をもつ椅子」と絶賛される安楽椅子だ。工房に属する熟練の職人と二人三脚で実現した繊細なフォルムで、アームのエッジは非常に薄く、ペーパーナイフのようにしなやかな曲線を描いている。座面下の貫は斜めに据えられ、まるで座面がフレームから軽やかに浮いているようにも見える。注意深くデザインされたこの可憐な椅子もまた、発表当時は売れ行きが芳しくなく、1948年に出会ったアメリカ人、エドガー・カウフマンjr.が「見出した」と広く認識されているらしい。
カウフマンjr.はフランク・ロイド・ライトについて多くの著作を残すアメリカの建築史家で、雑誌『Interiors』の編集や、ニューヨーク近代美術館(MoMA)でディレクターも務め、工業デザイン・建築の分野で大きな影響を持った人物だ。彼はヨーロッパで絵画やタイポグラフィを勉強して帰国した際、フランク・ロイド・ライトの『自伝』に感銘を受け、ライトが運営する建築学校タリアセンに入学する。さらにピッツバーグでデパートを営む父とライトを取り持ち、滝のなかに建つ家「落水荘」(1935)を完成させた(*5)。その後、父の会社を後継したり、戦時中は空軍に属すなどを経て、MoMAの学芸員に就任し、「Good Design」(1950〜55)を企画する(*6)。この「Good Design」展にフィン・ユールは商品を出展するだけでなく、1951年第2回「Good Design」展の会場構成も手がけている。
ただ、奇しくもアメリカでの成功とともに、フィン・ユールは機械による大量生産に対応できるデザインにも着手し、黄金期と言われる時代に幕を閉じることになる。
ミクロな視点では異彩を放っていたとしても、マクロに見れば、その仕事は職人の木工技術を礎とし、工房や協会の制度、生産体制のなかで生み出されたデザインであり、フィン・ユールはデンマークのモダン家具デザインの象徴的存在だと改めて感じる。カウフマンjr.は「Good Design」展を開催するにあたって、「見栄え、機能、構造、価格」の基準でプロダクトを選んだと述べ(*7)、展示品である椅子や照明、お皿をデパートやショップと連携して買えるようにしていた。見るだけなく、買って使えるというのは冒頭の「座らなければ完成しない」という思想にも通じるとことがあるだろう。本展で、いつも座っている椅子とはちょっと違う、特別な椅子に座りながら、良いデザインについて思いを巡らせてみてはどうだろう。
*1──本展カタログ、p.213。
*2──織田コレクションは北海道・東川町に展示室を持っており、将来デザインミュージアムが開設予定だ。今回は、織田コレクションを東京でまとめて見れる初めての機会だ。
https://odacollection.jp/
*3──2022年7月22日報道内覧会にて。
*4──カタログ、p.153。
*5──後年カウフマンjr.が父親から譲り受ける落水荘に今も「イージーチェア No.45」が一脚残されている。https://twitter.com/Fallingwater/status/1156947452706066432
*6──「Good Design」https://www.moma.org/calendar/exhibitions/1714
*7──https://www.moma.org/documents/moma_press-release_387178.pdf