洋装の受容・模倣に始まり、学習と普及の時代を経て個性豊かなデザイナーを輩出し、世界的にも高く評価される日本のファッション。その戦後から現在までの軌跡をたどる大規模展「ファッション イン ジャパン 1945-2020―流行と社会」が東京・六本木の国立新美術館で9月6日まで開催されている。
75年間をプロローグと8つの章に分け、年代別に流行した装いを紹介する。展示の意図として冒頭に記されているのは、日本における装いの変遷を衣服やアイデアを創造するデザイナーと、衣服を身に着け、時代のムーブメントを生み出すこともあった消費者の双方向から捉えて概観すること。両者をつなぐ存在としてメディア(雑誌、新聞、広告等)にも光を当てる。社会的背景も含め、日本のファッションを包括的にひも解く展覧会は世界で初めてだという。
明治期の近代化政策の一環として取り入れられた洋服は、当初は上流階級の装いだったが、次第に都市部の中間層に浸透した。1920年代から1945年までの動向を紹介するプロローグは、銀座を歩く洋装の「モダンガール」の写真(撮影・師岡宏次)に始まり、最新流行に身を包んだ若い女性を描いた榎本千花俊の日本画や、バウハウス式の造形教育を欧州で学んだ田中千代のパジャマ・ドレスが並ぶ。戦時中の総動員体制下で作られた銘仙の着物は図柄のモダンさが印象的で、国民服は一般男性の簡易な軍服、女性のもんぺは活動的な和式ズボンだと改めて気づく。戦後の日本ファッションの隆盛は、断絶した唐突なものではなく、戦前に培われた美意識や製作技術、体制が大きな役割を果たしたことがわかる。
1945〜50年代を扱う第1章は、これまでファッション展があまり取り上げなかった「洋裁文化」に着目する。物資が圧倒的に不足した戦後、洋服を仕立てる技術を習得したい女性が洋裁学校に殺到し、製作法を掲載した服飾雑誌やスタイルブックが続々と刊行された。本章では、この洋裁ブームが日本の洋装化を完了させたと位置づける。戦前に服飾の仕事を始めた前出の田中千代や杉野芳子、伊東茂平、桑澤洋子は自作を発表しつつ、設立した洋裁学校などで指導に当たり、ファッションの啓蒙と普及に努めた。会場はそれぞれがデザインした服や資料が展示されており、ファッションデザイナーの先駆的存在と呼ぶにふさわしい個性がうかがえる。
中原淳一と花森安治の存在にも注目したい。中原は服飾雑誌『それいゆ』、花森は『美しい暮しの手帖』を創刊し、紙面を通じて独自の服飾アイデアを読者に届けた。ファッション“学習期”の日本は、多彩かつ良質の指導者に恵まれたといえるだろう。
第2章は1960年代、第3章は1970年代をそれぞれ取り上げる。1950年代後半から続く高度経済成長は人々の消費拡大を促し、繊維産業の発展もあって、洋服は「作る」から「買う」ものへと移行した。1960年代の流行として特筆されるのは、欧米の若者文化から発祥したミニスカートとアイビースタイルだ。石津謙介率いる「VAN」は、アメリカ東部名門大学生の装いを日本向けにしたアイビースタイルを発信し、若い男性の圧倒的な支持を得た。社会現象と言われたミニスカートは次第に幅広い層に受け入れられ、航空会社の制服にも採用された。両者からは若い層を中心とする性意識や身体意識の変化も読み取れそうだ。
1970年開催された大阪万博は、「人類の進歩と調和」をうたい、6000万人超が来場した国家的イベントだった。第3章の序盤はコシノジュンコがデザインした3つのパビリオンのユニフォームが並ぶ。1950年代から続く学生運動、女性解放やカウンターカルチャーが盛り上がり、価値観が多様化する中、「サイケデリックの女王」と呼ばれたコシノら若手デザイナーの活躍の場は広がった。個性豊かな若手が1960年代からオフィスや店舗を構えた原宿・表参道が注目され、2つはファッションの街へと変貌を遂げていく。会場には荒牧太郎が原宿に開店した「マドモアゼルノンノン」、コシノが外苑前に開いた「ブティック・コレット」の店の雰囲気が再現され、当時の様子がうかがえる。
日本人デザイナーの世界的活躍が目立つようになるのも1970年代から。高田賢三と三宅一生はプレタポルテ(高級既製服)の本場であるパリコレクションに参加し、日本の伝統的素材や着物を踏まえた服づくりで旋風を巻き起こす。それぞれ服の実物は出品されていないが、記録映像や資料が2人のユニークさを伝える。山本寛斎は歌舞伎から着想したコレクションをロンドンで発表し、歌手デヴィッド・ボウイの衣装も手掛けた。すでに米国に進出していた森英恵は1977年、注文服の最高峰のパリ・オートクチュール組合に日本人として初めて加盟する快挙を果たした。
国内でも若手が次々に頭角を現し、コシノジュンコ、「ピンクハウス」の金子功、「ニコル」の松田光弘、「ビギ」の菊池武夫、花井幸子、山本寛斎の6人は1974年に「TD(トップデザイナー)6」を結成した。東京をパリやニューヨークと並ぶ流行発信地にすべく、同時期に一斉にショーを行った「TD6」の実践は、組織こそ変わったものの現在も続く「東京コレクション」に引き継がれている。
これら国内外で活躍するデザイナーの存在感がさらに高まったのは「バブルの時代」と言われる1980年代だ。第4章は1982年春のパリコレクションで発表し、「黒の衝撃」と呼ばれた「コムデギャルソン」の川久保玲の前衛的な服を起点に、デザイナーの個性を打ち出し人気を博したいわゆる「DCブランド」の服を多数紹介する。花柄やフリルを多用し一世を風靡した「ピンクハウス」、体に沿うボディコンシャスなデザインが特徴の島田順子、装飾性が際立つメンズ服を手掛けた「フィッチェ・ウォーモ」の小西良幸(ドン小西)ら、とりどりの個性が印象深い。今回のようにDCブランドの服をまとまって見られる機会は少なく、展示からは当時の消費者の指向や流行が生々しく伝わってくる。
第5章は1990年代を代表する服飾文化のストリートファッションに焦点を当てる。東京・原宿の路地裏に店を開いた「A BATHING APE®」のNIGO®と「UNDERCOVER」の高橋盾は「裏原系」と呼ばれ、若者のカリスマ的存在に。原宿や渋谷の街に集う高校生らの間から「コギャル」「渋谷系」といった動向も生まれた。消費者の若者が主体となり、流行を発信する傾向は2000年代を扱う第6章でも見て取れる。ヴィジュアル系バンドブームから発生した「ゴシック系」「ロリータ」など、日本発の「Kawaii」(カワイイ)文化は世界的に認知され、同時代のデザイナーにも影響を及ぼした。
第6章と2010年代を扱う第7章は、多様化する価値観を具現化したような服も多く並ぶ。パリコレクションに「Kawaii」感覚を持ち込んだ津森千里、産地と連携しオリジナルのテキスタイルを作り続ける「ミナペルホネン」の皆川明、制服や労働着を再解釈する「サカイ」の阿部千登勢、日本各地の手仕事を生かす「マメクロゴウチ」の黒河内真衣子ら多彩な顔ぶれだ。「未来へ」と題した第8章は、ブランドのサステナブルな試み、先端技術を活用する中里唯馬や「アンリアレイジ」の森永邦彦、前衛的デザインを更新し続ける「コムデギャルソン」の近作を紹介し、展覧会を締めくくる。
消費を促すメディアの変遷も見どころの一つだ。各年代の流行を伝える雑誌や広告、映像からブランドのノベルティー、チラシまで展示内容は盛りだくさん。服と併せて見ると、時代の空気が一層リアルに感じられる。
約820点(うち服飾品は315点)を一堂に集め、戦後日本のファッションを多面から振り返る本展。デザイナーと消費者、社会事象、メディアが絡み合ってきた軌跡を重層的に伝え、見応えがある。「装いを巡る日本の欲望史」のような趣もあり、必見だ。ただ、国内の変遷紹介に注力したためか、日本ファッションに今も影響が大きい海外動向に関する言及は薄め。その分、展示のダイナミズムが薄まり、やや内向きに感じられるのが惜しまれる。