2022年2月に開館した大阪中之島美術館で、「展覧会 岡本太郎」が開催されている。岡本太郎の回顧展としては過去最大級の規模で、絵画やパブリックアートのみならず、写真やプロダクト、作品の構想スケッチなどを網羅する。同館の単独作家による展覧会としては、7月18日まで開催されていた「モディリアーニ ─愛と創作に捧げた35年─」展に続く2番目となる。本展は、東京都美術館(2022年10月18日〜12月28日)、愛知県美術館(2023年1月14日〜3月14日)に巡回予定。
館長の菅谷富夫は記者発表会で次のように語った。
「いま、この場所で展覧会を開催する意味を考えたとき、浮かんだのが岡本太郎だった。《太陽の塔》がひとつの縁となり、大阪人にとって岡本太郎は非常に親しみのある作家。多くの不安や鬱屈を抱えるいまの時代、漠然とした何かと闘い続けてきた岡本太郎の姿勢やエネルギーを、この展覧会で感じてほしい」。
本展は、「1. 岡本太郎誕生ーパリ時代」「2. 創造の孤独ー日本の文化を挑発する」「3. 人間の根源ー呪力の魅惑」「4. 大衆の中の芸術」「5. ふたつの太陽ー《太陽の塔》と《明日の神話》」「6. 黒い眼の深淵ーつき抜けた孤独」の6章で構成。制作年代順に作品を紹介する。
1911年、マンガ家の岡本一平と歌人・小説家の岡本かの子の間に生まれた岡本太郎は、1930年に両親とともに渡仏。その後もひとりパリに留まり、当時の最新の前衛運動や思想に触れながら約10年間をパリで過ごした。この間に制作された作品は戦火によりすべて焼失したとされており、後に再制作された4点と、1937年にパリで出版された初めての画集『OKAMOTO』にその面影を残すのみとなっている。
エントランスで我々を迎えるのは、画集『OKAMOTO』に収められたモノクロ図版を実寸に引き伸ばしたもの。そのサイズ感から、当時の岡本の身体感覚を窺い知ることができる。続く第1章の最初の展示室では、再制作された《空間》(1934 / 54)、《コントルポアン》(1935 / 54)《傷ましき腕》(1936 / 49)《露店》(1937 / 49)の4点が、約40年ぶりに一堂に会す。なかでも《露店》は、1983年に岡本自身がグッゲンハイム美術館に寄贈して以来、日本での展示は初となる。あわせて中学時代に描いたドローイング《敗惨の嘆き》(1925)も展示され、当時からすでに抽象表現に取り組んでいたことがわかる。
次に現れるのが本展の目玉のひとつ、パリで新たに発見された岡本の作品と推定される《作品A》《作品B》《作品C》の3点だ。《作品A》に入っている「岡本太郎」の署名の筆跡鑑定や、絵具やキャンバスの成分分析の結果から、1931〜33年頃、岡本が自身の芸術を確立する以前に描いたものである可能性がきわめて高いことがわかった。この3点の美術館での展示は、本展が初となる。
1940年に帰国し第二次世界大戦に出征した岡本は復員後、猛然と活動を再開させる。第2章では、「対極主義」を提唱し、反発を呼びながらも当時の日本の美術の典型に対して挑み続けた岡本の作品を紹介する。
とくに注目したいのは、1954年のアメリカによるビキニ環礁での水爆実験とそれに伴う第五福竜丸の事故のイメージが結実した《燃える人》(1955)だ。原爆とあわせて、このテーマは後年の《明日の神話》でも描かれるなど、長年にわたって岡本をとらえることとなる。
ここでいったん展示室を出て渡り廊下に出ると目に入ってくるのが、照明器具でありながら彫刻であるという二面性を持った《光る彫刻》(1967)だ。その下に並べられているのは、《坐ることを拒否する椅子》(1963)。人を睨みつけるような座面を持つこの椅子には、実際に座って鑑賞することができる。
第3章では、岡本が縄文土器に出会い呪術への興味を深めていった時期の作品を紹介する。書画にも通ずるような黒くうねるモチーフが多く見られるこの時期に描かれた《黒い生きもの》(1961)は、岡本が飼っていたカラスを描いたものとも言われている。
50年代後半から岡本は、雑誌連載「藝術風土記」の取材などで全国を旅し、多くの写真も撮影した。パリで学んだ民俗学の視点を活かしながら民俗行事や人々の土着的な営みを見つめた経験は、人間の根源を探る芸術活動に反映されていく。
並行して50年代には、芸術の外側への発信も始めた岡本。第4章では、分業化を嫌い、パブリックアートやプロダクトデザインまでを手がけ、大衆の中に自身の芸術を広めていった岡本の仕事を紹介する。鯉のぼりやアロハシャツ、家具や茶器などがショーケースのように並んだ一角を見ると、岡本の仕事の多彩さが実感できる。またここには、岡本と大阪の関わりを紹介するコーナーも設置されており、岡本がデザインした近鉄バファローズのロゴマークなども展示されている。(※大阪展のみ)
「ふたつの太陽ー《太陽の塔》と《明日の神話》」と題された第5章では、万博記念公園の《太陽の塔》(1970)と、渋谷駅に設置されている《明日の神話》(1968)を紹介。担当学芸員の大下裕司は、「天空の太陽と、人間が作り出した太陽とも言える原子力。近い時期に構想されたこの2つの作品は、太陽へのひとつの考え方が途中でふたつに分かれて生まれた、双子とも言えるのかもしれない」と語る。
ここでは、《太陽の塔》の50分の1模型や、その内部にある「生命の樹」の全景模型とともに、美術館での展示はごく稀だという《太陽の塔》の構想時の直筆スケッチも見ることができる。《明日の神話》はキャンバスに描かれた巨大な下絵と、構想時のドローイング、修復から渋谷駅への設置までを追ったドキュメンタリー映像をあわせて見ることができる。
大阪万博の後、メディアへの露出も増えお茶の間でも人気を博した岡本。岡本自身のキャラクターが注目されることが多くなった晩年、作品の発表はパブリックアート以外ほとんどなかった。しかし、死後、アトリエには膨大なキャンバスが残されており、岡本が最期まで絵画の探求を続けていたことがわかった。最後の第6章では、まだあまり知られていない晩年の岡本の作品を紹介する。
注目したいのは、過去作品に上書きされた作品たち。2012年、X線分析により、失われたとされていた106点もの作品が、晩年に描かれた作品の下に埋もれていることが明らかになったのだ。大下は「晩年まで自分と闘い続け、過去の自分を乗り越えようとしていたのかもしれない。これらの作品群について岡本自身は語っていないが、自分の名声を高めた過去の作品の上に胡座をかかない姿勢が見て取れる」と語った。
岡本太郎を知る入門編としても、新たな一面を発見する応用編としても楽しめる本展。若き日から晩年まで尽きることのなかった強力なエネルギーを体感してほしい。
図版すべて: ©︎ 岡本太郎記念現代芸術振興財団