公開日:2024年10月22日

「Everyday Enchantment 日常の再魔術化」(シャネル・ネクサス・ホール)レポート。関係性の“庭”で五感を使って新たな愛、認識を探す旅を

出品作家はビアンカ・ボンディ、小林椋、丹羽海子の3名。長谷川祐子のアーティスティックディレクションのもと、シリーズ1回目の本展は「長谷川Lab」の佳山哲巳とフィン・ライヤンがキュレーションを行う

会場風景 © CHANEL

今年、オープン20周年となるシャネル・ネクサス・ホール。ここで、新たな展覧会シリーズがスタートした。第1回の会期は10月19日〜12月8日。

このシリーズは、長谷川祐子(金沢21世紀美術館館長、東京藝術大学名誉教授)が次世代キュレーターを育成する、「長谷川Lab」(東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科)とのコラボレーション企画。「長谷川Lab」の若手キュレーターを起用し、彼らの視点を取り入れながら、次世代を担う様々な才能たちの対話を生み出すことを目指す。

会場風景 撮影:編集部

第1回の展覧会タイトルは「Everyday Enchantment 日常の再魔術化」。「長谷川Lab」の佳山哲巳とフィン・ライヤンがキュレーションを担当し、ビアンカ・ボンディ、小林椋、丹羽海子の作品が展示されている。

「オリジナリティ、ヒューマニティが様々に変容を迫られているなかで、私たちは新たな公式(formula)を見つけなければなりません。愛の公式、認識の公式、発見の仕方の公式。それを本展を通して探求してほしい」と語るのは、本展のアーティスティックディレクションを行った長谷川だ。「キュレーション」をどうとらえるかについては「キュレーションとは事物を集めて関係性のマップを作ることだと思う。関係性を持ってそこに置くことで新しい意味を生産させる行為。キュレーションがどういう意味を持つのか、若い人たちがキュレーションすることでいかに未来につながるメッセージになるのか、シリーズを通して考えていきたいです」と語ると同時に、「私たち(キュレーター)はマジシャンであるということを提示したい」と笑顔で続けた。

左からフィン・ライヤン、長谷川祐子、佳山哲巳 撮影:編集部

また、今回キュレーションを担当した佳山、ライヤンは東京藝術大学大学院で長谷川の教え子でもあるが、長谷川はふたりについて「ふたりのカンバセーションは実りのあるインスピレーションを与えてくれ、学ぶことが非常に多い。今回、出品アーティストと話しながら新たなコミッションワークを披露できたのはすばらしい成果だと思う」と評価。

佳山は本展を「訪れることで、皆さん自身に魔法がかかる旅に出発してもらえるのではないかと考えました。それぞれに違う力を持っている作品がどのように影響しあっているか、また、みなさんのなかにもつながりを見出していただけるのではないかと思う。空間全体は庭のようなイメージです。その庭に身体を浸すような感覚で五感を使い、愛をとらえ直してほしい」として、テーマが「愛と魔法にかかる」であることを明かした。

左上から時計回りにフィン・ライヤン、丹羽海子、ビアンカ・ボンディ、佳山哲巳、小林椋 © CHANEL

本展の会場に足を踏み入れると、懐かしく良い香りが漂ってくる。これは、ビアンカ・ボンディの作品の一部から発せられる香りだ。ボンディは1986年ヨハネスブルグ(南アフリカ)生まれ、パリ在住。おもに塩水を使った化学反応、植物などの有機物や鉱物を用いた作品を手がけ、今回はタペストリーや塩、水などからなる作品を出品している。香りはタペストリーの作品「Ebb(引き潮)シリーズ」から発せられるもので、「神話的で先祖に還るような古い匂い」をイメージして友人に調香してもらったという。

会場風景より、ビアンカ・ボンディ「Ebb(引き潮)シリーズ」の一部 撮影:編集部

7月に発表されたある科学論文からインスピレーションを受けた今回の新作。「その論文では、海底の鉱物が電気を作り、その電気によって海水の中で酸素が作られていることがわかりました。つまり、地球電池のような役割を鉱物が担っているということです。かなり革命的で、生物・非生物の基準がゆらぐ、そして生き物とは何かという定義を考え直すような発見です」(ボンディ)

この発見に対しての世間の反応が、どのように鉱物のパワーを搾取できるか、地球の資源を守ろうとする前に使い倒そうとする危険性を感じたと言い、「先祖からの教え、目に見えないことをもっと信用し、すべてのものにマジックがやどっているという考えが大切」だと、人間中心的な考えに警鐘を鳴らした。

会場風景より、手前がビアンカ・ボンディ《Ripple》(2024) 撮影:編集部

水を用いた作品《Ripple》は一見すると動きがなく見えるが、ほか作家の作品に影響されて水面が動く、塩が結晶化するなどのわずかな変化が発生している。「一度も同じ瞬間はないということ、そして瞬間瞬間は取るに足らないものもすべては呼吸していて循環の中にある。ひとところにとどまるものはひとつもないことを可視化したかった」と話す。

会場風景より、ビアンカ・ボンディ《Ripple》(2024) 撮影:編集部

丹羽海子は1991年愛知県生まれ。西洋的な主体概念を否定し、身体やジェンダーに拘束されない主体のあり方を彫刻を通して探求している。本展では、アメリカのセカンドハンドショップ(リサイクルショップ)で見つけたブリタニアピューター(合金)のフィギュアを溶かし、男性でも女性でもない新たな人物像を作り出している。

会場風景より、丹羽海子《ダフネ装飾シリーズ》(2024) 撮影:編集部

作品のベースにあるのは、ギリシャ神話の「ダフネ」のエピソードだ。精霊(女性)の「ダフネ」は、男神・アポロンに好意を寄せられ、そこから逃げようとする。そこでダフネは父・ゼウスに救いを求めたところ、人ではなく木に変身してしまうという話だ。「セカンドハンドショップには、男性が女性にキスをするかわいらしいフィギュアもありました。それを見たとき、ダフネを思い出して彼女を解放してあげたくなったんです」(丹羽)。

会場風景より、丹羽海子《ダフネ装飾シリーズ》(2024) 撮影:編集部

さらに、自身のセクシュアリティや作品の性質との関係性についても言及する。「私の作品は脆く、長持ちしない作品が多い。ギャラリーやコレクターの方などからはなるべく長く持つ強度のある作品を求められますが、私の作品の脆さは自分自身の人生の経験からきています。トランスジェンダーとしての自分は脆く儚いからです。そして、トランスジェンダーのコミュニティも強固な関係を築くのが難しく、いろんなものに影響されやすい。自ら命を断つ人も多い。時間が経つと枯れたり、バラバラになる作品には、そんな壊れやすさも反映されています」(丹羽)。

会場風景より、丹羽海子《ダフネのクローゼット》(2024) 撮影:編集部

会場で絶えず音を発生させているのは、小林椋の作品だ。小林は1992年東京都生まれ。ものの「動き」を起点に、不和のようなものを発生させる装置を組み立てたり、そうした仕組みをほかの事物と類推させることで生まれる飛躍を観察しながら、人が持つイメージや認知の性質について考察してきた。目的が不明瞭な“道具”のような作品はタイトルでも一貫。本展の新作《ここから握り見ることのできる節足の引き潮は段々》からもわかるように、タイトルで用いられる一つひとつの単語は意味ではなく音感や文字の造形によって選択されている。

会場風景より、小林椋《ここから握り見ることのできる節足の引き潮は段々》(2024) 撮影:編集部

「僕の作品は“魔術”という言葉でピックアップされることはなかったし、自分の中にもその言葉はなかった」と話す作家。これまでは無名のオブジェクトを作ってきたが、今回は珍しく「1930年代アメリカのインダストリアルデザイン」「流線形のデザイン」というモチーフを設定したという。

「1930年代に全盛期を迎えた流線型を用いたデザインは、可塑性のある新しい素材としてのプラスチックが登場したことをきっかけに生まれたものです。さらにプラスチックの発見をたどると、コールタール(石炭を高温乾留する際に生成される油状物質)をどうにか有用に活用できないかということで、錬金術のような方法でコールタールと“何か“を混ぜたあわせたときにたまたま生まれたベークライトがきっかけになっている。プラスチックは、そのように20世紀初頭にたまたま生まれたマジカルな物質だと思ったので、今回は自分の活動を結びつけました」(小林)。

その動きをじっと眺めていると、どこか空間を司る指揮者のようにも見えてくるから不思議だ。

会場風景より、小林椋《ここから握り見ることのできる節足の引き潮は段々》(2024) 撮影:編集部

ギャラリーという限られたスペースながら、ゆるやかな弧を描く壁や、天井にも設置された作品、互いの作品の境界線が曖昧な展示構成などが、鑑賞者の「彷徨い歩く」という体験を促している。五感をフルに活用して自分なりの新たな「公式」を見つける旅に出かけてみてはいかがだろうか。

野路千晶(編集部)

野路千晶(編集部)

のじ・ちあき Tokyo Art Beatエグゼクティブ・エディター。広島県生まれ。NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、ウェブ版「美術手帖」編集部を経て、2019年末より現職。編集、執筆、アートコーディネーターなど。