なぜ、青森はアーティストたちを引き付けるのか? 小林エリカ×木村絵理子 インタビュー

表参道で2月24日まで開催中の展覧会「Made in 青森―自然と歴史の交差点」。出品作家のひとりである小林エリカと、本展を企画したキュレーターの木村絵理子(弘前れんが倉庫美術館館長)にインタビューを行った

「Made in 青森 −自然と歴史の交差点」会場にて、左から小林エリカ、木村絵理子

東京・表参道のイベントスペース「OMOTESANDO CROSSING PARK」で、展覧会「Made in 青森―自然と歴史の交差点」が2月24日まで開催中だ。主催のanonymous art projectは、滋賀県ゆかりの作家を紹介する「Made in Shiga」展を昨年開催し、本展はそれに続く第2弾。今回は弘前れんが倉庫美術館館長の木村絵理子をキュレーターに迎え、青森県出身や在住、あるいは制作を行っている10作家(岩根愛、工藤麻紀子、小林エリカ、⽥附勝、奈良美智、蜷川実花展 with EiM、桝本佳⼦、三村紗瑛⼦、吉田真也、L PACK. )の多彩な作品が会場に集結している。

本州最北端に位置して長い歴史と雄大な自然を持ち、近年は「青森5館」(*)として知られる美術館群が国内外のアートファンを引き付けている青森。現代アートの発信地として存在感を増す青森の魅力とは? 木村と本展参加作家の小林エリカに、展示テーマや出品作品に込めた思いを聞いた。

*──青森県立美術館(開館2006年)、青森公立大学国際芸術センター青森(同2001年)、十和田市現代美術館(同2008年)、弘前れんが倉庫美術館(同2020年)、八戸市美術館(2021年リニューアル開館)

「人間と時間と自然の交差点」としての青森

──今回の「Made in 青森」展は、どのような経緯で実現したのでしょうか。

木村:昨年10月にアート・バーゼル・パリの開催に合わせて私がパリに滞在しているタイミングで、anonymous art project代表の牧(寛之)さんに「青森にゆかりがある現代美術家の作品の展覧会を企画しませんか?」とお話をいただきました。その頃、パリの別のアートフェア会場で小林エリカさんの新作をちょうど拝見したんですね。それもあって、本展に出品をお願いしたい作家を考え始めたときに最初に浮かんだひとりが小林さんでした。

小林:うれしい、ありがとうございます。

OMOTESANDO CROSSING PARK外観 撮影:編集部

木村:私が館長を務める弘前れんが倉庫美術館は昨年、小林さんの作品《旅の終わりは恋するものの巡り逢い》を収蔵しました。弘前出身のお父様と祖母父、ご自身をまたぐ三世代にまつわる自作小説(『最後の挨拶 His Last Bow』)をベースにしたインスタレーションで、2021年秋から翌年にかけて当館が開催した「りんご前線」展のために制作された作品です。当時私は横浜美術館に勤務していたのですが、じつは展覧会を見ていまして。そのときは、自分が将来そこに勤めるようになるとはまったく思わずに(笑)。小林さんの作品は以前から拝見していましたが、弘前に着任後に作品を収蔵するプロセスに関わり、文学、アート、漫画と領域を横断する小林さんの活動により深い関心を持つようになり、いつか一緒にお仕事したいと思っていました。

弘前市立の弘前れんが倉庫美術館は、現代美術に特化して2020年に開館したまだ若い美術館で、街と東北地域の歴史や文化、人々の記憶を継承するコレクションの形成は大きなミッションのひとつです。展覧会のみで完結するのではなく、コミッションワークなど様々なかたちで作家の方たちと関係性を深めながら美術館として厚みを作っていきたいと思っています。そうしたなかで、小林さんは重要な作家のひとりというふうに美術館としても意識しています。

左から、小林エリカ、木村絵理子 撮影:編集部(ハイスありな)

──本展のサブタイトル「自然と歴史の交差点」は、どのような意味合いがあるのでしょうか。

木村:青森県は非常に広大で、関東圏でいえば東京都と千葉、埼玉県を合わせたくらいの広さがあるんです。明治時代に青森県という行政区になりましたけれど、たとえば弘前市がある県西部の津軽地方と南部地方では気候風土がかなり違い、地域によって言葉も様々です。

青森は日本最古の土器が発見された三内丸山遺跡(青森市)をはじめ縄文期から続く人間の営みの痕跡が残る場所ですが、縄文後期の土器のなかに琉球(沖縄)の出土品に近い文様があるそうで、海を通じて琉球や東南アジア方面とつながっていたという説も考古学の世界で生まれつつあるようです。青森の地は、平安時代にはヤマト圏外の人間が住む「蝦夷の土地」と朝廷から認識され、江戸時代は京都と北海道を結ぶ北前船が日本海沿岸各地に寄港するなど、絶えずほかの地域と交流がありました。

そう考えると、青森県という区画は絶対的なものでなく、太古の昔から世界や国内各地とつながり、様々な人が行き来してきた場所に見えてきます。そうした一面を、大勢の人が交錯するここの会場立地(表参道交差点)とも少し重ね合わせてテーマを設定しました。そして移動が当たり前になった現代は、さらに人の流動性は高まっていますよね。なので本展は出身や在住にこだわらず、青森の色々な土地と縁を結んだり、複層的なレイヤーを持っていたりする作家たちの作品を紹介したいと考えました。多声的でポリフォニックな様々な活動を会場でご覧いただければと思います。

会場風景より、田附勝の作品 撮影:編集部(ハイスありな)
会場風景より、桝本佳⼦の作品 撮影:編集部(ハイスありな)
会場風景より、工藤麻紀子の作品 撮影:編集部(ハイスありな)

小林:青森は、人間と時間と自然の交差点だというお話は腑に落ちます。本展は(ほかの作家の)皆さんが違う青森の視点を持ちつつ、それぞれの「青森愛」が作品ににじみ出ているのが素晴らしくて、作品を拝見しながら気持ちが昂りました。東京の、それも真ん中の表参道から青森へ思いを馳せられるのもいいですね。

木村:現代アートを介して、青森の色々な面を知っていただきたいと思って企画しました。この場所だと、通りがかりの方にも気軽に寄ってもらえますよね。

会場風景より 、 岩根愛 《The Spring River》 (2025) Photo:shinya kigure

──交差点に面した野外モニターは、岩根愛さんの映像作品が流れアイキャッチになっています。

木村:表側の海の俯瞰映像は、じつはカリフォルニアで撮影したものです。海は世界中つながっていて、米国に渡った日本移民を継続的に取材する岩根愛さんの作品に、領海の線引きはあまり意味をなさないと考えたからです。反対面は、雪の八甲田連峰(青森市)を流れる雪解け水を航空撮影した岩根さんの作品を流しています。

──弘前出身の奈良美智さんが、新作絵画を出品しているのも話題です。

木村:奈良さんのペインティングは、アクリル絵具の特徴でもある明度や透明感を生かした色彩が特徴のひとつですが、最近は油絵のような落ち着いた色を塗り重ね、筆触も残す描き方に挑戦しているそうです。そのなかで生まれたのが本展の《Girl from the North Country (study)》で、この新しいタイプの作品を公開されるのは今回が初めてだとお聞きました。ここが美術館でない、ややラフな会場なので、スタディー的な段階の作品を出品していただけたのかもしれません。

会場風景より、奈良美智《Girl from the North Country (study)》(2025)撮影:編集部(ハイスありな)

小林:奈良さんは、つねに挑戦を続けながら、故郷への深い愛情と関心を持ち続けていらっしゃるのが素晴らしいと思います。弘前に行くと、奈良さんの作品が大事そうにお店に飾られていたり、地元の方たちが活動をよくご存じだったりと、とても故郷でも愛されているのがわかります。

無名の女性や子供たちに目を向ける

──小林さんは東京の出身・在住ですが、どのように青森と関わってきたのでしょうか?

小林:父(作家、翻訳家の小林司)は、弘前に生まれて2歳まで過ごし、その後は軍医だった祖父の転勤に伴い金沢やハルビン(中国黒竜江省)などを転々としました。母(東山あかね)とともにコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズの翻訳をしたのですが、本のプロフィール欄に必ず「弘前生まれ」を入れたので父の故郷は弘前だとずっと意識していました。

私自身が青森とご縁が出来たのは、2013年の十和田奥入瀬芸術祭のときです。芸術祭に合わせ刊行されたアンソロジー(『十和田、奥入瀬 水と土地をめぐる旅』)のためにしばらく滞在し、十和田湖をテーマにした短編小説を書きました。湖周辺を歩き回り、地元の歴史の話を住民の方にお聞きしたりして、なんて素敵な場所だろうと思いました。

その後、弘前れんが倉庫美術館に「りんご前線」展に参加する話をいただき、新作のリサーチ旅行で私が記憶している限り初めて弘前の街を訪れました。雪が残る岩木山が美しくて、亡くなった父も見たと思うと「いま生きている私」と時空間を超えてつながる感覚がありました。空襲を受けなかった弘前の街は、戦前の建物があちこちに残り、築100年を超すれんが造の倉庫を改修した弘前れんが倉庫美術館の空間に歴史を感じました。かつて祖父が勤務した旧陸軍第8師団の師団長宿舎はスターバックスになっていて、ここは過去と現在が地続きなのだと思いました。

「りんご前線— Hirosaki Encounters」(弘前れんが倉庫美術館、2021)会場風景より、小林エリカ《旅の終わりは恋するものの巡り逢い》(2021)

そうした実感を伴う体験と、岩木山にまつわるスピリチュアルな伝承や津軽地方で信仰されてきた「カミサマ」(憑依巫女)の存在など多くの発見があり、「生」と「死」が交われるような空間を意識して《旅の終わりは恋するものの巡り逢い》を制作しました。実家にあった津軽塗の重箱など家族の歴史を物語る品々も作中に使いました。その思い入れがある作品が美術館に収蔵されて、弘前が「第二の故郷」になったような気がします。

──小林さんの本展出品作は、著作『女の子たち風船爆弾をつくる』の関連作品ですね。

木村:小林さんの活動は多彩なので、そのエッセンスが伝わる作品を紹介したいと思いました。私が最初パリで拝見した《SKY》は、真鍮板に白い雲がスプレーで描かれて一見綺麗ですが、よく見ると表面に銃弾の薬きょうが並んで、暴力的な印象も受けます。雲は普遍的な存在ですけれども、この作品を見ると、戦闘機に乗る兵士が見た雲、風船爆弾の近くを通った雲、地面に落ちた薬きょうを拾う子供たちが見上げた空など色々な連想が浮かんできます。いっぽう《春のをどり》は、支持体に小林さんのおばあさまの着物の裏地が使われ、その繊細で柔らかいイメージは《SKY》の真鍮素材の強さと対比的です。小林さんの作品は、テキストや小説を含めて歴史の大きな出来事に巻き込まれた無名の女性や子供たちに目を向けるのが特徴のひとつですが、それを感じていただける展示ではないかと思います。

会場風景より、小林エリカ《Sky》(2024) 撮影:編集部(ハイスありな)
会場風景より、左から小林エリカ《春のをどり(愛の夢)》(2024)、《桜1945》《桜2024》《桜2024》(2024) 撮影:編集部(ハイスありな)

小林:《春のをどり》は、宝塚歌劇団が戦後初めての公演で披露したレビューを撮影した映像を参照して描きました。夢を抱いて宝塚に入った少女たちは、戦時中に勤労動員され、戦禍で亡くなった方もいて、東京宝塚劇場は米国本土を攻撃する風船爆弾の製造場所に使われました。戦後再開した団に戻り、ようやく初めての舞台に立ち、未だ残る焼け野原の中で華やかな衣装を纏った少女たちのことを想い、作品に女性の肌に最も近い着物裏地を使いました。

桜の絵画3点は、私が去年見た桜と1945年に撮影された写真を元に振袖の裏地に描きました。戦前海外公演でドイツやイタリアを訪れた宝塚歌劇団の団員たちが桜柄の着物を着ていたように、桜は様々な象徴性やイメージが付与されてきました。でも毎春咲く姿はただ美しく、私たちに様々に感じ、考えさせてくれます。

弘前は、さくらまつりが有名ですよね。今年こそと張り切って宿を予約したのですが、その時期は桜は散っているかもと後で聞いて、「ガーン!」となってます(笑)。

小林エリカ 撮影:編集部(ハイスありな)

木村:最近は弘前も桜の開花が早まっていますから。満開になるのは大体4月20日前後じゃないでしょうか。弘前は樹齢100年を超すソメイヨシノがたくさんあって、それだけ桜の古木が残っている場所は珍しいそうです。「桜守」と呼ばれる方たちが、リンゴ栽培技術を使った独自の手入れをしているので樹勢が保たれているんですね。

──ソメイヨシノの平均寿命は6、70年位と言われてるのにすごいですね。以前春に三内丸山遺跡から青森県立美術館まで歩いたことがあるのですが、まだ冷たい空気のなか、一面に咲いていた菜の花やタンポポの生命力と色鮮やかさが忘れられません。

木村:青森は冬が長いので、雪が溶けて緑が現れる春を待ちわびる気持ちは、やはり格別だと思います。青森の春は、心臓がドキドキするくらい(笑)、一気にやってくるんです。桜の開花を弘前の方たちは心待ちにしていて、5月はリンゴの花が一斉に咲き出します。

市民の思いで生まれた現代アートの美術館

──木村さんは2023年に弘前れんが倉庫美術館副館長になり、24年4月に館長に就任しました。現代アートの発信地として青森をどうご覧になりますか。

木村:現代アートを扱う公立の美術館が、ひとつの県内に5館あるのは特異だと思いますし、それぞれの館がユニークな個性を持ち、独自に企画する展覧会や多彩な活動を展開しています。たとえば、青森公立大学国際芸術センター青森は、活動の柱のひとつがアーティスト・イン・レジデンスで、その滞在制作で青森を訪れる国内外の作家は多く、海外に行くと「日本では青森に行った」という作家に会ったりします。

弘前れんが倉庫美術館は、日本の公立美術館として珍しい成り立ちを持っています。美術館になる前、地元の酒造会社社長の吉井千代子さんが所有するれんが倉庫で奈良美智さんの個展を3回開催(2002、05、06年)し、市民ボランティアが中心になって展覧会を運営しました。それが出発点になり、市民の「美術館にしてほしい」という要望に応えて市が土地建物を取得し、改修工事を経て開館しました。そうした経緯で設立された美術館なので、「自分たちの美術館」という市民の思いや関心は高いと感じています。その期待に応えていきたいですね。

弘前れんが倉庫美術館外観 ©︎ Naoya Hatakeyama

最近は、作品制作や着想を得るために県内に移住したり長期滞在したりするアーティストが増えています。私自身の関心もあるかもしれませんが、青森は自然や歴史、生き物、様々な事象の間の「つながり」を見つけたくなる、そして見出すことができる土地だと思います。そうしたところも作り手を引き付けるのかもしれません。

こばやし・えりか
作家、マンガ家。1978年東京都生まれ。現在、東京にて活動。目に見えない物、時間や歴史、家族や記憶、場所の痕跡から着想を得た作品を手掛ける。近年の主な展覧会に「りんご前線 — Hirosaki Encounters」(弘前れんが倉庫美術館、青森、2022)、「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」(国立新美術館、東京、2019)など。『女の子たち風船爆弾をつくる』(第78回毎日出版文化賞)など、小説・マンガ作品も数多くの賞を受賞。

きむら・えりこ
キュレーター、弘前れんが倉庫美術館館長。2000年より横浜美術館に勤務、2012年より2023年まで主任学芸員。2005~2023年まで横浜トリエンナーレのキュレトリアル・チームに携わり、2020年の第7回展では企画統括を務めた。主な展覧会企画に「蜷川実花with EiM:儚くも煌めく境界 Where Humanity Meets Nature」(2024、弘前れんが倉庫美術館)など多数。多摩美術大学・金沢美術工芸大学客員教授、美術評論家連盟会員。

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。