イノヴァ美術館は、起業家・王玉鎖により2019年に設立された、半民営・非営利の美術館だ。北京・天津・河北地域の中間地となる廊坊(ランファン)市の総合文化芸術コミュニティー「シルクロード国際芸術交流センター」内にあり、いずれの都市からも車で1時間ほど、大興空港にも近い。日本の建築家・千鳥義典が「流れる雲」をイメージした、柔らかな流線型が近未来を思わせる建物が特徴で、総面積は、27万㎡超え。展示室は、3万㎡という規模に圧倒される。劇場やコンサートホールなどの多機能スペースも擁し、様々な文化と触れ合う機会を創出する。
同館が主催する初の国際展「Ennova Art Biennale vol.01」が始まった。中国内はもとより、日本人作家11人を含む、世界24ヶ国・地域から82組、91名のアーティストが参加する最大級の規模だ。ここには、近年中国で開催される展覧会の多くが国内の美術を焦点とする傾向のなか、海外との新たな交流を開き、世界のアートを中国の人々にも知ってほしいという、館長・張子康の想いがある。総合ディレクターには国際展の経験豊富な人物として、日本の南條史生が招かれた。 「中国のアート・マーケットも多作家の輩出から限られた作家が残る時代になってきた。そうした力を感じられる作家、作品を紹介したいと考えた」と述べる南條のもと、キュレーターは、Shen Qilan(中国)、Andrea Del Guericio(イタリア)、沓名美和(日本)の3名が、リサーチャーにはNTTインターコミュニケーション・センターの畠中実が参加する。
科学技術の飛躍的な進歩で、グローバル化が進み、利便性も高まった現代は、同時に、地球環境の悪化や食糧危機、人口格差の拡大など、生存としての問題も世界的に多様化、深刻化している。人工知能や再生可能エネルギーといった最先端技術も、使い方を誤れば、人類のみならず地球にも大きな損害を与える可能性を持つ。いまこそ、従来の常識や考え方にとらわれない、柔軟で広く高い視野と新しい発想、つまりは創造性が必要なのではないか。いっぽうで、最新テクノロジーは現代アートにも応用され、アートと科学技術の領域は接近している。アートの創造性を、人類が未来のために獲得すべきそれに照射したとき、現代アートの様相と、未来への可能性が見えてくるのではないか。それがテーマとなった。
会場は4セクションで構成される。キーワードは「越境」と「未来」。それゆえ、作品はテーマに限定されることなく、あちこちで重なり合い、響き合いながら、感覚を、思考を刺激する。とにかく広大な空間なので、章立てにはこだわらず、休憩を入れつつ自由に、思うように廻るのがよいだろう。
目に見えず、消えてしまう「音」は、はかなくも、古来人類にとって重要な表現・伝達手段である。身体から発せられる音(声)、道具を使用する音から機械音やデジタル音源まで、現代は多様な音に囲まれている。意識的に音を使用するアートが一般的になったのは20世紀半ばころ。いまではアート表現の重要な要素となっており、未来へと拓きつつある。声や音を重視したヨーゼフ・ボイスや、演奏しないことで音を意識させたジョン・ケージらを筆頭に、「音」を表現の素材とした作品が紹介される。
ドイツのHans Peter Kuhnは、光と音のミニマムな空間にいざない、視覚と聴覚の差異やズレを自覚させる。エジプトのMoataz Nasrは、陶製のタブラ(インドの太鼓)の演奏を視聴しながら実際に手にすることで原始の記憶を思わせる。
坂本龍一と真鍋大度による劇場型空間でのサウンド・インスタレーションに音の視覚化を実感し、宮島達男の、どこか懐かしさを感じる廃品から聞こえるカウントには、失われた記憶や時、そして死を思う。
ブラウン管テレビモニターの電子楽器による和田永のライブ・パフォーマンスでは、「祭り性」を楽しもう。
人類は、世界を認識し理解するために、現実を分類し概念化してきた。だが、現実にはそんな区別や境界はない。創造性もまた、境界を越えて、異なる領域と混ざり生じる刺激をインスピレーションとすることがある。ファッション、建築、デザイン、哲学、触覚や味覚など、アートに隣接する分野との境界線上で生み出された作品に、新ヴィジョンを発見する。
北京を拠点にするアーティストと経済学者のデュオChow and Linは、世界の貧困地域の食物を写真で提示し、多様な食文化の差異や経済格差とともに、生きることを浮かび上がらせる。アメリカのパフォーマーMaria Hassabiは、鏡に映る自身のダンスを鏡上に転写して、動きと時間、身体性へのまなざしを刷新する。
フランスのPatrick Tressetは、コンピューティングシステム、AI、ロボット工学などを使用した自動デッサン機で、「描く」ことの意味、人間存在と経験を問う。
フランスの建築家François Rocheは、環境に応じて成長(変形)する建築モデルに、人間と自然の共生を考えさせ、同時に男女も年齢も可変なアバター自画像とともに、固定概念を打ち崩す。
インターメディア・アーティストのZheng Daは、プログラミング・データを水面を含んだプールに色光として流す。様々に変化する流れは不思議と自然の景観に重なっていく。
アメリカのバイオ・アーティストとして知られるAmy Karleは、バイオ生成で衣服を作った。美しくも生々しいドレスは、生物学とAI技術の融合可能性を視覚化し、衣服と身体との関係性、さらには肉体の概念にゆさぶりをかける。
いまや世界の課題である人類の持続可能性と環境問題。両者は密接に関わり合いつつ、様々な検討がなされ、アートでも、現状や予測しうる未来を提示して警告する作品や、廃材や再生可能な素材を使用する作品など、多様な手法・表現が生まれている。改めて環境と持続可能性を作品から考える。
ロンドンを拠点にするイスラエルの作家Zadok Ben-Davidは、床一面に様々な植物の葉脈を配した。まず目に入るのは炭化したような真っ黒の草花。巡っていくと、それらは色鮮やかな景色へと変化する。生と死、破壊と再生、人類ができることを、静かな希望のなかに考えさせる。
ドバイで活動するMohammed Kazemのビデオ・インスタレーションで波のうねりに漂うのは、経緯度の数値。青く染まった静謐な空間では、海の脅威と豊饒に、地球の自転・公転に思いが飛んでいく。Jaffa Lamは、拠点とする香港で集めた古着とベルギーの労働着をパッチワークした巨大な布で、空間を変貌させつつ、都市や労働についての問題を提示する。
加速するテクノロジーは、宇宙を近づけ、ナノテクノロジーまで潜り、マクロでもミクロでも不可視を可視化して、その視野も概念も拡大した。モノの見方/見え方は、人間観や生き方、価値観にも大きな変化を及ぼしている。当然、世界観や哲学も含めた人間の存在そのものをテーマにするアーティストも少なくない。彼らの作品に、未来へのヴィジョンを読み取る。
中国生まれのフランスのアーティストShen Yuanは、巨大な椀の内側に居住空間を造る。窮屈に連なる小屋は、タイトルの「飛ぶ」には遠い重量感のシニカルさも相まって、環境を考慮した新しい形態とも、もはや地上に住めなくなった人類の末路とも。現代中国美術を代表するひとりXu Bing(徐冰)は、日本でも公開された《蜻蛉の眼》をさらに展開して宇宙まで拡張した。誰もが読める記号文字を衛星のモニターに映し、定期的にキャッチした映像は、異次元のコミュニケーションや伝達の可能性を提示する。フィンランドの夫婦Pekka & Teija Isorättyäの作品では、廃材でできたロボットたちがバーでおしゃべりを始める。コミカルでグロテスクな情景は、近い未来には当たり前となるかもしれない。
映像化された電子データが音とともに流れる池田亮司の空間は圧倒的だ。巨大なスペースいっぱいに、これまでにない迫力で身体を光と音に浸す。自身の輪郭があいまいになり、肉体のデジタルデータへの置換をも体感できるだろう。
本展には、イノヴァ美術館の所蔵作品も組み込まれており、いずれも美術館のスケールにあった、ここでしか見られないだろうもの。なかでも上海出身のSon Dongの《A Quater》は必見。レトロな風情の店から入ると中には湖のようでいて、懐かしい物語の世界のような夢幻的空間が広がる。遠近感も距離感も心もとなくなる異世界で時を忘れるだろう。
中国では年間150件もの美術館がオープンし、人びとは開館情報に倦んできているという。イノヴァ美術館は、こうしたマーケット視点の美術館とは一線を画し、学術的にも文化的にも世界水準の現代アートの展示を旨としている。そこで触れる意義は、「学び」でもなく、「理解」でもなく、なんらかの「つながり」を見つけ、多様な認識を持ってもらうこと。「わからなくても感じる」、感性の体験がきっと未来への新しい視座をくれるはずだ。
「Ennova Art Biennale vol.01」(イノヴァ・アート・ビエンナーレ vol.01)
会場:Ennova Art Museum(イノヴァ美術館 中国、ランファン市)
会期:10月27日~2025年5月7日
オフィシャルサイト:https://ennovaartmuseum.com.cn/en/exhibitions/97.html