わたしはクラフトビールが好きだ。冷えたグラスに泡がたたないよう、静かにビールが注がれる様子。注ぎ終わったあとに上の泡をバースプーンですくいとり、グラスのまわりについたビール液が丁寧に水でながされ、なみなみとビールの入ったグラスがこちらまで運ばれてくる時の高揚感。各ブルワリー(醸造所)がおのおのの配合で麦やホップを醸すことで生まれる華やかな香りや苦味のヴァリエーションは、いつだってわたしをワクワクさせてくれる。
ただ、クラフトビールを飲んでいると、お財布には優しくないなと思ってしまうこともある。パイント(約500ml)で2000~2500円くらいするビールもあるし、ご飯も一緒に食べたら知らぬ間に5000円くらい財布からなくなっていて、次の日にちょっと悲しい気持ちになったり、このビールひと缶で市販のビールの約5倍か……なんてことをふと思って落ち込んだりもする。少量生産かつ状態管理にコストのかかるクラフトビールは、決してもともと安いお値段ではないが、最近は原価や輸送費の高騰にともなって値上げを行うブルワリーも少なくない。
しかし、それでもなおクラフトビールに熱中する理由は、クラフトビールをとりまくエコロジー、つまり、ブルワリーに関わるひとびとや、彼ら/彼女らのビールを仕入れている飲食店での出会いにあるのだと思う。その地域ならではの原材料や微生物発酵などの特殊な手法にこだわるブルワー、日本の土壌でホップを作ろうと試みる生産者、昼に事務の仕事をしながら夜だけ飲食店で働いているお姉さん、地元の高校を出てすぐにブルワリーに就職した若者、店にたまたま通りがかったサラリーマンや、アナーキズム研究をしている常連のお兄さんなど、出会うはずのなかったひとびとがビールの持つ不思議な引力によって集まり、ローカルで新しいエコロジーが生成される様子は見ているだけでも面白い。
また、こうしたコミュニティは、個人と社会の分断が進む今の「不確定な時代」におけるシェルターのような役割も果たしてくれる。初めて会った人とこれまで訪れたブルワリーや、飲んだビールについて話をしたり、隣にいたイギリス人のおじさんとギャラガー兄弟のソロ活動の是非について議論をしたり、カウンターの数人を巻き込んでウィーン分離派の画家、エゴン・シーレの話をして盛り上がったり。数分前まで顔も名前も知らなかった人と、同じ酒を飲み、他愛のないことを話すことは、現代社会における「自分の所在のなさ」をすこし和らげてくれるような感じがするのだ。
2020年以降のコロナパンデミックを経て、自分と他者、コミュニティと個人の距離感が問い直された今だからこそ、こうしたローカルで非人間中心的なコミュニティは、すべての人が普遍的に抱える小さな孤独や、所在のなさにちょうどいい安心感と居心地を与えてくれるのかもしれない。
と、ここまでなんだか聞こえのよさそうなことを書きましたが、結局は飲みに出かける言い訳を探しているだけなのかもしれません(笑)次回の日記ではもうすこしハッピーなことが書けるように、今日からネタ探しを始めようと思う井嶋でした。
井嶋 遼(編集部インターン)