「イギリスを代表する現代作家であるダミアン・ハーストの最新作“桜”シリーズがこの春来日する」。このニュースは一躍大きな話題を呼び、国立新美術館で5月23日まで開催中の「ダミアン・ハースト 桜」展はこの春もっとも人気の展覧会のひとつとなっている。30年以上のキャリアのなか、芸術、宗教、科学、生や死といったテーマを深く考察してきたハーストは、なぜ「桜」を描いているのか? 画家の諏訪敦が展覧会を訪れ、考察した。【Tokyo Art Beat】
何を“見物”させられているのだろうと、広々とした会場を見回した。国立新美術館の展示室に漂う雰囲気は、文化施設というよりも、汚れや不測の事態を嫌うオフィスビルの空間に近い。行列を成す観客の年齢層は若者に偏っていて、会場に流し込まれた人々はダミアン・ハーストによる力業に包囲され、思惑通りに“お花見”を身体全体で楽しんでいるようだ。これは移動の自由や宴会を開く機会さえ奪われてもなお従順な日本国民へ、アート・ワールドのトリックスターから贈られた、束の間の祝祭か。それとも「死んだ絵画」の弔いか。
SNSにあげるためなのだろうか。巨大な絵画をバックに衒いもなくナルシスティックなポーズを決めて念入りに撮影する、カップルやインスタグラマーたち。写真家のセシル・ビートンは1951年に、ジャクソン・ポロックによるドリップ・ペインティングの前にモデルを立たせ、撮影した作品を『VOGUE』誌に載せているが、ポロックは絵画の自律性を侵されたと感じたのか、「自分の描いているものは、絵なのか、壁紙なのか」とうめいたといわれる。……大空間の喧騒の中、状況に入り込めずにぼんやりと立ち尽くす私の間抜けな姿は、来館者の自撮り画像にいくつも映り込み、彼らが手にかざしたスマートフォンに保存されていることだろう。
狂い咲く絵具の飛沫と、叩きつけられ押し付けられた色彩の塊、そのレイヤーの下に這い視線を導く黒い枝振り。壮大な画面に取り囲まれた観衆のリアクションは、それ自体が即座に作品の一部として取り込まれてしまう。そして人々の感嘆は展覧会場内にとどまらず、リアルタイムでネット空間へと共有される。それを可能にした通信環境が整うに従い、人間の環世界も加速度的に拡張されつつあって、状況がアートとして包括される。いまや絵画も構成要素のひとつに成り下がったのかもしれないが、本稿ではハーストの描いた絵画それ自体を見ていこう。
言わずと知れたダミアン・ハーストは、1980年代後半に国際的なアートシーンに出現して以降、美と醜、宗教と科学、生と死などの両義性を考察しながら、インスタレーションのほかに彫刻のような伝統的技法も駆使し、コンセプチュアルな制作を繰り返してきた。通奏低音として響くのは、メメント・モリといったお説教とは別のレイヤーに潜在する、彼が自醸してきた思想、「死の不可避性」だ。
私はハーストの2歳下。先達を批評する無粋に加え、自らを棚に上げなければならない立場であることを断っておかなければならないが、カルティエ現代美術財団が制作したドキュメンタリー「Damien Hirst CHERRY BLOSSOMS」(2021)を眺めながら、少し上の先輩たちの行動に注視していた学生時代の感覚に引き戻された。
ハーストはこう語っている。「絵画は俺のデビュー時より世間に受容されている。俺も学生時代は画家を見下していた」。この発言には生々しい記憶とともに胸がうずいた。それは私こそが、その見下されていた側に居たからだ。業界に生きる多くの先輩たちが回想しているように、80年代後半から90年代前半の画学生界隈の空気はそんなものだった。真面目な勉強家であるほど、時代遅れにならないように周囲を見渡しながら絵画を棄てた。抽象画でさえ時代遅れの謗りを免れなかったし、むしろ悲惨なほど古く見えた。見方によっては過激だったかもしれないが(笑)、具象画を描くことは不勉強な馬鹿と言われかねなかった。それでも描き続けたい者は、ギリギリ同時代の成果物として成立させられるスペースを探した。1962年生まれのジョン・カリンなどがそうしていたように。
とはいえ、ハーストにはいくつもの絵画への取り組みがあって、それはシリーズ作品として明確に線引きが為されている。長期に渡り継続されハーストを象徴する「Spot Paintings」、描くという行為を切り離し絵画のオブジェ化を試みたという「Spin Paintings」、網膜的快楽に委ねた「Visual Candy paintings」、フランシス・ベーコンからの影響が顕著な「After Beautiful paintings」、プライベートで内省的な「Two Weeks One Summer」、そして規則性を排した「Color Space Paintings」を経て「Veil Paintings」に至るまで、粛々と段階を踏んできたようにみえる。
「Spot Paintings」は作品の抽象化と均質化を極め、ブリジット・ライリーや草間彌生のような、ハードエッジで錯視的なオプ・アートの変種の趣だったし、感情を排除して、絵画の“野暮ったさ”を退けてきたような印象がある。しかし「Veil Paintings」に至っては、1940年代の抽象表現主義に回帰を果たしたかのよう。「そもそも独創的になるのは不可能だ」と達観するハーストではあるけれど、行為の痕跡としての身体性を再評価しているかのように見えた。
そしてこの「CHERRY BLOSSOMS」である。このストレートな激情がほとばしる巨大な連作について、ハーストのインスタグラムのアカウントには、2019年から制作過程がアップされ続けてきた。絵画の“野暮ったさ”を受け入れる覚悟を決めたのだろうか、絵具だらけになりながら、精力的に絵筆を振るう彼の姿は、懐かしい画家たちの身振りを思い出させ、ちょっと感動的だった。巨大な画面に没入感を与える機能を実装させるべく、色彩が及ぼす効果の検討がされたようだ。また、樹木の断片を見せることで、画面の外にまで広がる樹木の全体までを想起させる企みは、鑑賞者の既視感を起動させる装置としての機能だ。
力強い印象はそのシンプルさからきているが、じつは様々な絵画史上のアイデアが引用されていることにも気付かされる。脳内で起こる視覚混合の結果が、鑑賞距離により1枚の絵の中に違う印象を呼び起こす手管には多くの先例があるだろう。アクション・ペインティング的なダイナミックさは「Veil Paintings」からすでに継続しているものだ。しかし影響を公言していたジョルジュ・スーラの点描とはあまり関係を感じられない。確かにドットこそは共通しているが、スーラは物体の固有色ではなく分解された光そのものの色相を対比し、並置配色により明るさを引き出そうとする加法混色を試みていた。「科学者ども」と揶揄されながらも、ただ感覚的に色を選んでいたのではないからだ。
本展ではじつに107点からなるシリーズのなかから、24点を選び出し再構成している。ハーストのアトリエには当初は助手が通ってきていたが、コロナ禍の影響が深刻になってからは、濃厚接触を避けるために断り、最終的にはたったひとりで大量の制作を完遂したらしい。ミケランジェロのようなバイタリティとスケール感には感服するほかない。
そして何よりこの絵画群はどれも断片的で中心がなく、差し替え可能な、いわば“量産型”である利点は大きいのかもしれない。展示面積に合わせてその都度ユニットを組み直し、世界中の遠く離れた空間で、クオリティを揃えた展示をすることも可能だからだ。このような展開は写真家や版画家ならば可能だったが、画家にとっては無理な芸当だった。もちろん人の手で描いたものだから、吟味すれば完全に均質なものではあり得ないし、いずれこのシリーズの一点一点を解析し記憶する専門家だって現れるだろう。とはいえ制作のプロセスは形式的で、接木で増えたために均質な花を一気に咲かせるソメイヨシノさながらだ。近代以前の絵画は特別で唯一無二であるからこそ価値があった。しかし現代のシーンは、記号的で平明なもの、ポケモンカードのように誰もが知っているものを欲しがるし、みんな、同じものを見たがる。
ハーストは前述したドキュメンタリーのインタビュー中、桜の油絵を描く母親にまつわる幼児期の記憶を持ち出し、木を描くことで抽象画と具象画を往復する可能性を意識していたことを強調していた。これは絵画の永劫回帰を希求するものだろうか。あるいは満開の桜が、数日のうちに散ってしまう運命を内包するからこそ、季節の循環を人々に知らせる役割を担ってきたように、ハーストにとっても何かの「終わりの始まり」を暗示するものなのだろうか。桜花はその運命ゆえに生と死の象徴であり続けてきたが、展覧会場の外では政策研究大学院大学の前庭に植えられた桜が満開を過ぎていて、「CHERRY BLOSSOMS」は現実に追い越されつつあった。
諏訪敦
諏訪敦