3月26日より、東京・上野の東京藝術大学大学美術館で「大吉原展」がスタートした。約250年続いた江戸幕府公認の遊廓、吉原について美術作品を通じて丁寧に検証していく展覧会は、5月19日まで開催される。
1618年(元和4)、現在の中央区日本橋人形町、日本橋葺屋町に幕府公認の遊郭、吉原が誕生した。そして、明暦の大火直後に吉原は1657年(明暦2)に浅草寺北の日本堤に移転、以後、新吉原と称される。本展における吉原とは、この吉原と新吉原の両者を総称したものである。
独自のしきたりやルールが定められた非日常の空間である吉原は、多くの文化人が集い、浮世絵や文学をはじめ多様な文化の発信地となっていった。しかしながら、その華やかな世界は、多額の借金を背負わされた遊女たちの売春によって作り出されたものでもある。
本展は開幕前、広報の在り方が吉原の華やかな部分のみに焦点を当てたもので、吉原で働き人権侵害されていた女性たちの扱いを軽視しているとの指摘や議論がSNSを中心に巻き起こった。これを受け、本展は今日までに広報の方向性を大きく変え、「大吉原展 江戸アメイヂング」というタイトルを「大吉原展」に改め、開催に至っている。
開幕前日に行われた報道内覧会では、本展学術顧問である法政大学名誉教授の田中優子によるステイトメント「『大吉原展』開催にあたって:吉原と女性の人権」が配布された。
田中はステイトメントにおいて「遊廓を考えるにあたっては、このような日本文化の集積地、発信地としての性格と、それが売春を基盤としていたという事実の、その両方を同時に理解しなければならない、と思っています。そのどちらか一方の理由によって、もう一方の事実が覆い隠されてはならない、と思います。本展覧会は、その両方を直視するための展覧会です」とし、4月から施行される「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律(女性支援新法)」が売春する女性への扱いを「更生」から「福祉」へスタンスを変える法改正であるものの、いまだ女性だけが罪を問われる一方的な状況に対し「この展覧会をきっかけに、そのような今後の、女性の人権獲得のための法律制定にも、皆様に大いに関心を持っていただきたい」と発信している。なお、展示の内容はもとの予定から変更はない。
展覧会は3部構成。本展のために描かれた福田美蘭《大吉原展》からスタートする。本作は展覧会に登場する作品の絵柄をモチーフに構成したものだ。福田はこの作品を当初は彩色する予定でいたが、デザイナーの制作したロゴをできるだけそのまま借用し、ピンクの半透明色を使って再構成している。
第1部では、吉原の入門編として文化や生活、しきたりなどを浮世絵と映像を交えて解説する。冒頭の「吉原入門」のセクションでは、作品の真上に画中の登場人物がどのような役割なのかを解説する映像が映し出され、鑑賞者は吉原の構造を把握できるようになっている。
第2部は吉原約250年の歴史を風俗画や美人画を、大英博物館からの里帰り作品やそして資料も交えて辿っていく。
吉原の遊女は、しばしば浮世絵の題材となっていた。旗本出身の浮世絵師、鳥文斎栄之は寛政の時代に活躍した人気絵師。すらりとした優美な姿で数多くの遊女たちを描く。
来年のNHK大河ドラマの主人公にもなっている蔦屋重三郎は、吉原を拠点に活躍した版元。喜多川歌麿や東洲斎写楽などの浮世絵のほか、洒落本や黄表紙、狂歌本など次々とベストセラーを生み出している。『吉原細見』は、蔦屋が出版した吉原のガイドブックだ。
しかし、栄華を誇った吉原も、相次いで起こった火災や、明治に入ってからは法律制定などにより次第に翳りが見え始める。高橋由一の重要文化財《花魁》は、廃れつつある花魁の姿や髪型を記録に留めておきたいと考えた依頼主が由一に制作を頼んだことがわかっている。しかしながら、この絵のモデルとなった花魁の小稲は、絵を見たときに「自分はこんな顔をしていない」と泣いて抗議をしたというエピソードも残されたそうだ。
《花魁》は修復後の初展示。黄化したワニスを除去し、当初の筆のタッチがわかるようになってる。
そして、本展では明治以降に描かれた吉原をモチーフにした作品も展示している。鏑木清方は樋口一葉の『たけくらべ』に非常に関心を寄せ、何度となく『たけくらべ』の主人公、美登利や樋口一葉をモチーフにした作品を制作していた。その清方の作品は第二部の最終セクション「『たけくらべ』の世界」で前後期で3点展示される。
ただ、図録には掲載されているものの、『たけくらべ』がどのような話であるかなどの解説が会場にはがない。主人公の美登里が遊女にならざるを得ない環境にあることや、清方の心情の寄せ方などが展覧会の力強いステートメントとそぐわない部分があったのかもしれないが、物語を知らない鑑賞者にとっては、この展覧会にこの作品がある理由がわかりづらいように感じた。
続く第三部では、吉原に見立てた空間で作品を展示、三味線のBGMが流れるなごやかな雰囲気で、浮世絵のほか、工芸品や模型などを展示する。
吉原では、客へのおもてなしのため毎年春にメインストリートの仲之町に数千本の桜を植え、花が散ったあとは再び抜いていたという。
その様子がわかるのがアメリカのワズワース・アテネウム美術館の里帰り作品《吉原の花》だ。本作は《深川の雪》(岡田美術館)、《品川の月》(フリーア美術館)と3点からなる「雪月花」三部作の一点。喜多川歌麿が描いた肉筆画のなかでも最大級の作品で、吉原の茶屋で花見を楽しむ人々が描かれている。
伝 玉菊使用三味線は三味線の名手であった遊女、玉菊が使っていたと伝えられている三味線。名工の石村近江の作と考えられており、下棹の中子に玉菊の墨書が認められている。わずか若くして亡くなった玉菊を偲び、有志が新盆に灯籠を飾ったことがきっかけとなり、吉原では新盆に店先に灯籠を飾る「玉菊灯籠」が夏の欠かせない行事となった。
そして、3m四方の立体模型《江戸風俗人形》は、吉原のリアルな日常を感じられる成功なミニチュアだ。吉原の日常を立体的にとらえられる空間を絵画作品とともに楽しみたい。
開幕前から注目されていた本展は、展覧会関係者だけでなく鑑賞者である私たちもあらためて人権意識について考えさせられるきっかけともなっている。展示されている作品だけでなく、それらが生みだされた背景、そこで生きていた人々にも思いを馳せることができる展覧会だ。