ミロコマチコら5人の美術家が「自然」の中でとらえた生命の輝き。「大地に耳をすます 気配と手ざわり」展(東京都美術館)学芸員インタビュー

豊かな自然と風土の中に身を置きながら活動する現代作家5人を紹介。素材の手ざわりや匂いを感じさせる作品など、個性に富んだ成果が並ぶ本展はどのように企画されたのか? 成り立ちや各作家の特徴などを聞く。

ミロコマチコによるインスタレーション作品 島 撮影:すべて編集部

東京都美術館で、自然と深く関わりながら制作する現代作家5人を紹介する企画展「大地に耳をすます 気配と手ざわり」が7月20日から開催されている。参加作家は、美術家の榎本裕一(1974~)、写真家・美術家の川村喜一(1990~)、植物画家の倉科光子(1961~)、木版画家のふるさかはるか(1976~)、画家・絵本作家のミロコマチコ(1981~)。会期は10月9日まで。

会場には、自然の美しさや驚異、野生の生命の輝き、風土に包まれた暮らしなどを伝える個性に富んだ作品が並ぶ。ときに牙をむく自然の厳しさ、素材の手ざわりや匂いを感じさせる作品もある。本展を担当した同館の大橋菜都子学芸員に、企画した意図や各作家の特徴などを聞いた。

──企画展「大地に耳をすます 気配と手ざわり」はタイトル通り、豊かな自然と風土の中に身を置きながら活動する現代作家5人を取り上げています。まず、本展の成り立ちについて教えていただけますか?

大橋菜都子学芸員(以下、大橋) 本展は、自然に深く関わり、人間と自然との関係性を問い直し、結び直すような活動を続けている5人の現代作家を紹介しています。手がける作品の種類は写真、木版画、水彩画、油彩画、インスタレーションなど様々です。5人ともまとまった数の作品が都内の美術館で展示されるのは、今回が初めてとなります。

本展を構想し始めたのは、コロナ禍のさなかの2021年1月ごろです。東京にある美術館としてどのような企画を行うかに考えを巡らせているとき、東日本大震災(2011年)や新型コロナウイルス感染症を経験したこの十数年間は、大都市に住む利便性とともに脆弱さを感じることが多かったと思いました。一例を挙げると、感染症拡大のため物資の生産や流通が滞り、あるいは滞るといううわさによって、買い占めが起きたり、品物が手に入りづらかったりした時期がありましたが、それは東日本大震災のときもありました。自らの手でものを作り出さずに金銭で遣り取りする社会構造に慣れっこになっているとあらためて自覚したのもコロナ禍のときでした。

また都市で生活していると自然がやや遠くなり、人間中心の暮らしに慣れ、四季の移ろいや天候の動きなどを感じ取る力が弱まっているとも感じていました。たとえば、こんな暑い日はクーラーを使って室内を快適に保ち、まるで気温も湿度もコントロールできるような気になっていますが、いざゲリラ豪雨が来ると一歩も外に出られないほど強い雨脚に呆然とします。大都市に住む人間が圧倒的な自然の存在を感じるのは、気候急変や大地震、台風といった災害に見舞われるときくらいかもしれません。

そうした個人的な思いが本展を企画したきっかけでしたが、調査を進めるうちに大都市を離れて自然豊かな地域に移り住み、感覚を研ぎ澄ませようとする作家が増えていると気づいて、企画が固まっていきました。ただ今回参加した作家は移住者に限りません。また本展は、未開の自然ではなく、人間の生活域と重なる里山や里浜に分け入って活動する作家に絞ったことも特徴です。

大橋菜都子学芸員と参加作家の榎本裕一、川村喜一、倉科光子、ふるさかはるか、ミロコマチコ(五十音順)

──会場のギャラリーA・B・Cは、吹き抜けの空間と複数の展示室で構成されています。入口から降りていくと、まず目に入るのは川村喜一さんのインスタレーション《We were here.》(2024)。北海道・知床の四季の暮らしや身近な野生動物を撮影した写真、土や自然物を用いた立体作品が並び、川村さんが「家族」と呼ぶアイヌ犬ウパシの姿も随所に登場します。

大橋 川村さんの愛犬のウパシは、実は本展を企画したきっかけのひとつです。コロナ禍だった2020年、Twitter(X)を眺めていたら川村さんの写真集『アイヌ犬・ウパシと知床の暮らし』(玄光社、2020年)に関する投稿がたまたま流れてきました。最初はウパシの愛らしさに惹かれて写真集を購入したのですが、ページをめくるうちに対象を見つめる川村さんの眼差しの瑞々しさに驚き、「移住」による美術家の変化に関心が湧きました。

川村さんは東京で生まれ育ち、東京藝術大学大学院修了後の2017年に知床半島の斜里町へ移住しました。本人の言葉によると、「自然と表現、生命と生活」を学び直したい思いがあったそうです。知床で狩猟免許を取得して、ウパシを連れて山で狩猟を行い、移住者から次第に生活者になっていきました。

今回発表した《We were here.》は、本展のために構築した新作インスタレーションです。春は生まれたばかりの小鹿を慈しみ、でも親鹿を銃で撃って肉を食べもする。川を遡る鮭の姿に心を打たれながら、脂がのった秋味を口にする。そうした知床の日常と生命の循環が、その中に暮らす実感を伴って立ち現れているのが川村さんの作品だと思います。

川村喜一 We were here. 2024
川村喜一 We were here. 2024

──透ける布にプリントした2点の写真を重ねたり、紐で写真を吊り下げたりする展示手法を用いていますね。

大橋 2点の写真を重ねる手法は、相反するものが共存している世界を示唆しているものでもありますが、薄い布にプリントされた写真が透けて向かいの写真と重なって生み出される、美しい空間をぜひ体感いただきたいです。展示に際して川村さんは、美術館の建物にも作品にも居心地の良い空間を目指し、壁を立てたりせずに展示室をそのまま生かす道を検討して、アウトドア用ロープで写真を吊り下げる設営方法を選びました。北海道産木材のフレームは折り畳み式で、作品も含めすべて1台の車に積んで北海道からご自身が運びました。生活と制作、展示の連続性を大切にする川村さんの姿勢がうかがえます。

川村喜一 We were here. 2024 

──隣の展示室には、ふるさかはるかさんの木版画や版木、素材など約30点を展示しています。

大橋 大阪で生まれ育ったふるさかさんは、コロナ禍を機に長野県の北軽井沢に移住を決め、現在は青森県に滞在して制作をされています。フィンランドやノルウェーでの滞在制作で北欧の遊牧民サーミの手仕事と自然観に惹かれ、帰国後も厳しい自然の中で生きる人々を題材にした木版画を制作しています。本展では、サーミへの取材に基づき2014~2017年に手がけた「トナカイ山のドゥオッジ」、青森の山間地で取材から生まれた「ソマの舟」、そこで働く人々の言葉に注目したドローイング「ことづての声」の3つのシリーズを紹介しています。

ふるさかさんは、木版画を自然と関わる手段ととらえ、木の形や木目をそのまま版木に使い、自分で採集した土や育てた藍を使って木版画を摺ります。藍の絵具作りは、種まきから始めて数カ月かけて育て、収穫後は深い青色に発酵させて乾燥し、さらに粉末にして……と非常に時間と手数がかかります。会場では、自然の素材と丁寧に向き合い、やり取りしながら作品を作る過程が分かる映像なども展示しています。ちなみに映像は出品作家である川村さんに撮影いただきました。

ふるさかはるか 展示風景
ふるさかはるか 織り 2014

──使われる色彩は主に藍と茶(土、漆)の2色ですが、色調はバリエーションに富み、自然素材の豊かさを感じました。木のかたちがそのままプリントされた冬の木立を思わせる大型作品も印象的です。

大橋 ふるさかさんは2017年から青森で厳しい自然とともに生きるマタギ(猟師)やソマ(木こり)、漆かきの方に話を聞き、その仕事や言葉から作品を生み出してきました。近年は青森で出合った漆に注目し、樹木を版木に、樹液を色材に取り入れた版画を制作しています。大型の作品は、漆林で版木とする木の伐採から立ち合い、自ら育てた藍と青森の漆で刷った新作で、展示の見どころの一つです。漆は湿度が少し変化しただけですぐに色が変わり、ふるさかさんは制作中「毎日、生き物を扱っているよう」と仰っていました。今回は展示空間も木立のようですが、ふるさかさんの制作は、生きている素材の命をいただき、それに手を加えて再び作品として蘇らせるようでもあります。

一本の漆の木から採れる樹液

──さらに下の階に下がると、広い吹き抜けの大空間にミロコマチコさんの世界が広がります。奄美大島をイメージしたという新作インスタレーション《島》を中心に、壁面には大型のライブペインティングや島で描かれた近作絵画などが並んでいます。

大橋 大阪で生まれ育ったミロコマチコさんは、画家・絵本作家として幅広い活動を行い、近年は個展「いきものたちはわたしのかがみ」が各地に巡回したのでご存じの方も多いと思います。2019年に「生きること」に軸を置きたいと東京から奄美大島に移住し、2023年に4年ぶりとなる新作の絵本『みえないりゅう』を出版しました。

ミロコマチコ 展示風景

本展のために制作した《島》は、外側に『みえないりゅう』の原画、内側に現場で描き上げた絵画や「たゆたういきもの」と呼ばれるパペット(人形)を展示しています。外側の絵画を鑑賞したあと、絵本原画、《島》の内部と、展示室をめぐるようにご覧いただけるつくりになっています。近年ミロコさんは奄美大島の伝統工芸品・大島紬の染色方法である「泥染め」を制作に取り入れ、その染料はこの《島》の大地やパペットの布にも使われています。

その場の空気や風、奏でられる音楽に合わせてミロコさんが描くライブペインティングは、まさに生き物のような作品です。その映像と作品を展示している角の小屋は、表面の塗料にヒカゲヘゴという奄美大島に多く自生する植物から取った染料を使っています。奄美の自然と恵みを、ミロコさんの多様な作品を通じて体感していただければと思います。

ミロコマチコ 海を混ぜる 2020
ミロコマチコ うみわたり 2023

──ミロコさんの絵画は、鮮烈な色彩と様々な生物が登場するのが特徴ですが、移住後の作品に変化は感じますか。

大橋 大きく変わったと思います。移住前は図鑑に載るような動物が主要なモチーフでしたが、移住後は身近な生き物に加えて、目に見えない生き物もたくさん描くようになりました。ミロコさんによると、奄美大島では精霊や龍など目に見えない存在を身近に感じる人が多く、島の人々と生活するうちに描きたいものが変わってきたといいます。

本展のメインビジュルアルになった《2匹の声》(2022)は、奄美の森を歩いたときの経験から生まれた絵画です。自分が来る直前まで何かがいたような気配を感じ、その感覚を基に制作したそうです。《木の記憶》(2021)は、地元で妖怪が住むとされるアコウの木が動くような姿で描かれ、見えない「気配」を伝えています。移住後の絵画作品の多くは、金色の絵具が効果的に使われ、ミロコさんが実感している生命のきらめきや自然の濃厚な気配が如実に表れていると感じます。

──隣接する展示室は、倉科光子さんの水彩による植物画が並びます。

大橋 青森県出身の倉科光子さんは、20代から東京で手描き友禅の仕事をされ、結婚を機に離職した後、2001年から植物画を始めました。2013年から東日本大震災の被災地に通い、浜辺や浸水域に芽生えた植物を「tsunami plants」と名付けて描き続けています。近年は、復興事業で変わりゆく植生にも目を向けており、本展は、これまで倉科さんが手がけてきた「tsunami plants」全17点が一堂に会す初めての機会となります。

通常の植物画は典型的な姿を描きますが、倉科さんの作品はその土地に育ったまさにその個体であることが重要なため、緯度経度をタイトルにしています。たとえば、《37˚33'22"N 141˚01'31"E》(2016-20)は、福島県南相馬市の津波被害を被った田んぼに、この地域では絶滅したと考えられていたミズアオイが繁茂する様子を描いています。大震災から11年後の仙台市を取材した《38˚12'55"N 140˚59'02"E》(2022-23)は、海辺に内陸のシロツメクサが辛うじて育つ姿をとらえ、工事の重機が持ち込んだ角ばった砂利も地面に見えます。倉科さんの作品は、植物のたくましい生命力や静かな生存闘争ばかりではなく、ときに人間の営みも垣間見えてきます。

倉科光子 38°13'51"N 140°59'42"E 2022-
倉科光子 「tsunami plantsのための習作」 2015-

──植物や生えている場所は克明に描写するいっぽう、海は描いていませんね。

大橋 東北での展示を念頭に置いて制作されているため、被災された方に海を見せないという配慮だそうです。植物と目を合わせるような低い視点からの構図は、植物の生命を深く慈しむ作家の眼差しや被災地の人々に対する思いも感じさせます。倉科さんの作品は描写が非常に精密で、また同時に複数の作品を手がけるので完成まで何年もかかることがあります。会場には制作中の作品や習作も展示していますので、二度と目にすることができない制作過程の作品もぜひご覧ください。

倉科光子 39°42'03"N 141°58'15"E 2015-2021

──本展を締めくくる榎本裕一さんの展示は、一転モノトーンの世界です。

大橋 榎本さんは東京出身で、2018年から北海道根室市にアトリエを構え、2024年から新潟県糸魚川市にも拠点を持ちました。現在は東京を含め3拠点で活動されています。根室では、寒冷な風土を歩きまわり、自然が織りなすかたちや色に着想を得た作品に取り組んでいます。

本展では、根室の冬の体験から生まれた新作の《結氷》10点を発表します。アルミパネルを分厚い氷に見立て、表面には海からの強い風で雪が飛ばされ色々な表情が生まれる様子をとらえた写真をプリントしています。宇宙のようにさえ見えますが、動物の足跡が見える作品もあります。4センチ厚みのある側面には氷を表すようにギザギザが刻まれていますので側面にもご注目ください。10点並ぶ展示室は圧巻です。制作のための資料として撮影された写真には、根室で出合う景色への瑞々しい歓びが溢れています。このスライドショーもぜひ併せてご覧ください。

——ギザギザした側面が見える《結氷》は、平面とも立体とも言い難い作品ですね。白黒の2色に見える絵画作品も展示されています。

大橋 油彩による《沼と木立》(2022-24)は、一見すると抽象画に見えますが、目を凝らすと黒い部分に木立が浮かび上がります。根室の暗い森を歩いていたときに、突然現れた白い雪が積もった沼面に驚きや喜び、恐怖を感じて、その印象から着想した作品とうかがっています。榎本さんの展示はモノトーンが基調ですが、ラストに根室で春に咲く花の色を取り込んだ新作が登場します。

榎本裕一 展示風景
榎本裕一 展示風景

——本展で紹介する5人の作家は、年齢や手法、自然との関わり方も様々です。

大橋 様々なのですが、自然への敬意をもった関わり方や慈しむまなざしに共通するものを感じます。相手を無理に変えようとするのでなく、対話を重ねながら制作をされている印象が強くあります。実際の展示でも、5人の作品にゆるやかなつながりがあることを感じていただけることと思います。

来場される方には、5人のつくる心地の良い空間を散歩するような気分で肩の力を抜いてご覧いただければ。当館がある上野公園も緑が多い場所で、本展には各地の自然や風景、素材が感じられる作品が集まっています。いつもの東京と違う、非日常感も楽しんでいただけるのではないかと思います。

——先ほど本展を企画したきっかけとして、移住者の視点を挙げられました。本展は、土地にとっていわば「ニューカマー」と言える作家をおもに紹介していますが、その地に生まれ育ち制作する作家との違いはあるのでしょうか? ケースバイケースで一口では言い難いと思うんですが。

大橋 そうですね、少し違うと感じます。生まれ育った地に新鮮な目や好奇心を持ち続けるアーティストもいらっしゃるとは思いますが、やはり新入者だからこそ気づける魅力やフレッシュな視点はあるようです。知らなかった自然や風土に接した心の弾みや喜び、気づき、瑞々しい眼差しが、とくにその地で初めて作る作品に化学反応として表れやすいのではないでしょうか。いっぽう、長く暮らして生活者として根を下ろすことで得られるものも多くありそうです。

——大橋さんは、自然を新しい手法で描いた印象派などフランス近代美術が専門です。当時の美術家と本展の作家の間に通じるものはありますか?

大橋 19世紀末は近代化・工業化が急速に進んだ時代で、パリは地方から人口が流れ込み大都市に変貌しました。その中で都市化により何か大切なものが損なわれたと感じる芸術家が現れますし、また都市生活者の需要に応えて自然への憧憬を反映した風景画も多く制作されました。

たとえば、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)は、弟テオに書き送った手紙の中で文明の倦怠感にうんざりしている思いや四季を感じる大切さを述べています。当時ファン・ゴッホは、パリなどで働いた後に画家を志し、故郷オランダの農村で農民の生活に心を寄せて描くことに情熱を注いでいました。彼のように都市生活を経て、自らを見つめ直し、生きる喜びや実感を求めて自然との共存に可能性を見出した芸術家が出現したのもこの時代でした。

ファン・ゴッホが生きたのは130年以上も前ですが、彼の思いと重なるものを本展の作家にも感じます。アーティストに限らず、近年は都市部で地方移住への関心が高まり、とくに若い世代は自然豊かな環境に惹かれる人が増えているようです。本展が、見る方が人と自然の関係を考えたり、自分の中の感覚を見つめ直したりするきっかけになれると嬉しいですね。

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。