20世紀の代表的芸術運動「キュビスム」に焦点を当てた「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」が10月3日に東京・上野の国立西洋美術館で開幕した。会期は2024年1月28日まで。その後、京都市京セラ美術館に巡回する(2024年3月20日~7月7日)。
20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックが始めたキュビスムは、あらゆる対象を幾何学的に平面化したかたちに還元して画面を構成した。それは西洋絵画伝統の遠近法や陰影法による三次元的な描写を脱却し、二次元の絵画ならではの表現を目指す試みでもあった。ふたりの挑戦はパリの若い芸術家に衝撃を与え、彫刻やデザイン、建築など幅広い分野まで大きな影響を及ぼした。
本展は、パリのポンピドゥーセンター(1977年開館)が誇る近現代美術コレクションから絵画、彫刻、版画など約140点が来日。同センター/国立近代美術館前副館長のブリジット・レアル監修のもと、14章構成でキュビスムの誕生から展開までをたどるものだ。国立西洋美術館の久保田有寿・特定研究員は次のように説明した。
「展示には50点以上の初来日作品が含まれ、キュビスムの重要作品も多い。キュビスムは、多種多様でダイナミックにパリで展開した芸術運動だった。本展は、それがどのように生まれ、発展していったかをストーリーのように紹介している。日本におけるキュビスム展は約50年ぶりになるが、これほど多数の作品で包括的に全貌を紹介する内容は国内で初めてと言っていいのではないか」
なお本展には、ピカソの絵画12点が出品されているが、報道内覧会での作品撮影は著作権保護の関係により適わなかった。あらかじめお断りしておきたい。
本展の1章「キュビスム以前―その源泉」は、ポール・セザンヌの風景・静物画3点をはじめ、素朴派のアンリ・ルソーやポスト印象派のポール・ゴーギャンの絵画、コートジボワールの仮面やガボンの守護像、コンゴの立像を展示。
植民地支配を進めるヨーロッパには、様々な国の文化の産物がもたらされ、博物館に収められていた。古典的技法を用いた「青の時代」などを経て、新しい表現を求めていたピカソは1907年に訪れたパリの民族誌博物館でアフリカやオセアニアの造形物と出合う。概念的で力強い表現に衝撃を受け、描き上げたのがセザンヌの水浴図にもヒントを得た《アヴィニョンの娘たち》(本展不出品、1907、ニューヨーク近代美術館蔵)だ。
2章《プリミティヴィズム》は、ピカソによる《アヴィニョンの娘たち》の習作の女性像と、ブラックが同作に刺激されて描いた《大きな裸婦》が並び、キュビスムの始まりを告げる。マリー・ローランサンが恋人の詩人ギヨーム・アポリネールとピカソらを描いた作品も展示されている。アポリネールは、非難を浴びたキュビスムを「芸術の大革命」と呼んで擁護し、積極的に論陣を張った。
「自然を円筒形と球形、円錐形によって扱う」と述べたセザンヌも、キュビスムの始まりに寄与した。3章「キュビスムの誕生—セザンヌに導かれて」は、ゆかりの地レスタックでブラックが制作した風景画などを紹介。セザンヌ的な単純化された幾何学形を積みかさねたような作品群は、パリの批評家から「すべてをキューブ(立方体)に還元している」と批判され、「キュビスム」の名称につながった。
1907年に知り合ったピカソとブラックは、翌年から毎日のように互いを訪ね合い、人物や静物など身近なモチーフによる造形的実験を重ねていった。4章「ブラックとピカソ―ザイルで結ばれた二人(1909-1914)」は、ピカソ7点、ブラック9点もの油彩画や版画が並び、壮観だ。本章では、対象を複数の視点から分解し、切子面の集積のように構成した「分析的キュビスム」、コラージュなどの技法も取り入れイメージの統合を図った「総合的キュビスム」の代表的な作品を見ることができる。なお章名の「ザイルで結ばれた二人」は、当時のピカソとの関係を回顧したブラックの言葉に基づいている。
1910年に制作されたピカソの《肘掛椅子に座る女性》は、複雑に断片化された女性の身体が暗色の背景の中で強い存在感を放つ。ブラック《ヴァイオリンのある静物》は、楽器の細分化されたかたちを積み上げ、心地よいリズムを生んでいる。ブドウやトランプなどの具体物が見えるブラックの《果物皿とトランプ》は、室内の木目を絵具で再現した騙し絵風の技法も用いて画面を組み立て、キュビスムのひとつの到達とも言える重層的な空間性を感じさせる。
わずか5年ほどの間に絵画の大転換を成し遂げたブラックとピカソ。ふたりが創始したキュビスムは、たちまち若い芸術家たちに認知され、多くの追随者を生んだ。5章「フェルナン・レジェとフアン・グリス」、6章「サロンにおけるキュビスム」、7章「同時主義とオルフィスム―ロベール・ドローネーとソニア・ドローネー」は、同じ大展示室に作品が集結。キュビスムの広がりと8人の作家の豊かな個性を目の当たりにできる。ピカソ、ブラック作品の抑制的な色調に対し、ここでは鮮やかで多様な色使いも目を引く。
ふたりに続くキュビスムの代表的画家とされるのが、ピカソと同年生まれのフェルナン・レジェと同じスペイン出身のフアン・グリス。ともにキュビスムを吸収し、レジェは機械社会を反映した幾何学的作風、グリスは明晰な構図と色彩が特徴の画風を確立していく。またピカソとブラックはパリのカーンヴァイラー画廊以外ではほとんど作品を発表しなかったが、公募のサロン展にもロベール・ドローネーやジャン・メッツアンジェらによるキュビスム作品が登場するようになり、注目を集めた。
大きな見どころは、レジェとドローネー、アルベール・グレーズによる大作が並ぶ一角。2012年、独立派のサロンに出品したドローネーの《パリ市》は、古典的な三美神を思わせる裸婦像にパリの街やエッフェル塔など現代の要素を組み合わせた。プリズムのようにきらめく色彩や都市の断片に、抽象画を先駆けるドローネーの志向を見て取ることもできるだろう。ドローネーは、キュビスムの新たな展開として「同時主義」「オルフィスム」と呼ばれる色彩を重視した抽象絵画を追求し、その時期の作品も会場に展示されている。
8章「デュシャン兄弟とピュトーグループ」は、キュビスムの信奉者ジャック・ヴィヨンとレイモン・デュシャン=ヴィヨン兄弟に、末弟のマルセル・デュシャンやフランティシェク・クプカ、フランシス・ピカビアが加わり、結成されたピュトー・グループを紹介。その後、米国で「レディメメイド」作品を手掛けたマルセル・デュシャンの初期絵画などが並ぶ。ピュトーグループは、1912年のサロン・ドートンヌで行われたキュビスムを建築や室内装飾に応用する試みにも参加し、9章「メゾン・キュビスト」では展示風景を大判写真で再現している。
キュビスムの国際的な伝播力を実感するのが、10章「芸術家アトリエ『ラ・リュッシュ』」と11章「東欧からきたパリの芸術家たち」、12章「立体未来主義」。日本でも人気が高いルーマニア出身のコンスタンティン・ブランクーシの彫刻、イタリア人のアメデオ・モディリアーニの彫刻と絵画、パリで活動した東欧の作家らの作品が次々に現れ、その多様性に目を見張る。
ブランクーシやモディリアーニが住んだモンパルナスの集合アトリエ『ラ・リュッシュ』は、キュビスムが浸透した場のひとつで、ロシア(現ベラルーシ)出身のマルク・シャガールも住人だった、パリ移住後まもなく描いた《婚礼》は、幾何学形を取り入れた画面構成とドローネー風の鮮やかな色彩が目を引く。故郷のユダヤ系風物を追慕したシャガールは、キュビスムの影響も受け、現実と幻想が入り混じる独自の作風を成熟させていった。
フランスのキュビスムとイタリアの未来派を合体させたようなロシアの立体未来主義にも注目したい。素朴な描法がイコンを思わせるミハイル・ラリオーノフ、活気に満ちた色彩で女性や工業製品を表現したナターリア・ゴンチャローワの絵画などだ。日本では鑑賞機会があまりないので、どうぞお見逃しなく。
様々に変奏しながら広がったキュビスムは、1914年の第一次世界大戦勃発とともに収束へ向かった。ブラックやレジェ、グレーズらは前線に送られ、銃後のピカソは写実的な「新古典主義の時代」へ移行していく。13章「キュビスムと第一次世界大戦」は、戦時下の作品やピカソが手がけた舞台芸術の資料を紹介。パネルによると、ピカソとブラックの作品を扱った画商がドイツ人だったため、キュビスムも敵国と結び付けられ、攻撃されたという。
ラストの14章「キュビスム以後」は第一次大戦後、アメデ・オザンファンとル・コルビュジエが提唱した芸術運動「ピュリスム(純粋主義)」に焦点を当てる。ふたりは、工業化社会を前提として秩序立った普遍的な「機械の美学」を唱え、キュビスムを乗り越えようとした。言うまでもなくル・コルビュジエは本展会場の国立西洋美術館を設計した近代建築の巨匠。彼の静物画を見ると、簡潔なフォルムが手がけた名建築と重なって見え、機能性と通じるピュリスムの性質を感じる。第一次大戦後も独自のキュビスム探求を続けたブラックやレジェの作品も並ぶ。
運動として短命だったキュビスムだが、同時代や後世のクリエーションに与えた影響は絶大だった。本展監修者のレアルは、「この運動を担った芸術家たちと彼らの形式および理念が現代の芸術の起源であることは、広く認められている」と図録で述べる。約100年前、若いアーティストたちが挑み、打ち上げた新しい芸術の軌跡。そのマルチな視点や手法に力づけられる人は多いのではないだろうか。