演出家の三浦基が主宰する京都の劇団・地点(合同会社地点)が、パワーハラスメントを受けて不当解雇されたと主張していた元劇団員Aに対して「両者間で成立していた和解契約に違反し、報道関係者を集めて記者会見を行った」などとして、和解契約の有効性の確認を求めていた訴訟で、京都地裁の平工信鷹裁判長は3月29日、原告の訴えを却下、および棄却した。
なお、本件はAに対する三浦のパワハラや合同会社地点による不当解雇の是非を問うものではない。争点となった和解契約は地点とAのあいだで2020年3月5日に結ばれたとして、地点側がその有効性を主張していた(詳細は後述)。
判決によると、請求の趣旨(1)「原告は、被告との間で別紙和解書記載のとおりの和解契約が締結されたことを確認する。」と(3)「被告は、別紙和解書第6条記載の行為をしてはならない。」(※「記載の行為」とは原告に対する誹謗中傷や口外禁止を指す)は、いずれも却下。
また、そのほかの(2)「原告と被告との間において、令和2年3月5日に締結された別紙和解書の契約が有効であることを確認する。」と(4)「訴訟費用は被告の負担とする」の請求も棄却。訴訟費用は原告である地点の負担となり、地点の訴えがすべて却下および棄却される判決となった。
京都地裁の判断では、請求(3)での誹謗中傷や正当の理由のない口外の禁止では、いかなる内容の表現が「誹謗中傷」にあたり、いかなる理由が「正当の理由」であるかが一義的に明確であるとはいえず、同請求の趣旨は十分に特定されているともいえない。したがってこの請求は不適法として却下された。
請求(2)での和解契約の有効性に関しては、地点との団体交渉にあたっていた労連の担当者とAのあいだで、地点から出された和解案を受け入れる意思決定の同意が十分に成されていたとはいえず、A自身には和解案を受諾する意思はなかったことが認められた。また、和解書に地点と労連担当者の捺印は押されているがAの捺印はなく、また労連に対してAが自身の決定の代理権を与えていたことも認められなかった。以上のような理由でこの請求は棄却となった。
本件は、非常に長期にわたるAと地点のあいだでの交渉の経緯を前提としている。以下で、その概要を解説する。
原告である「地点」が団体ホームページで公開している訴状によると、
原告及び被告は、被告が退職後に所属した労働組合連合映連フリーユニオン(以下、「本件組合」という。)を交えた団体交渉を行い、令和2年3月5日、別紙契約書の内容(甲2)で和解(以下、「本件和解契約」という。)した。しかしながら、被告は、本件和解契約成立から半年以上が経過した令和2年9月16日、突如、抗議文を原告代理人宛に送付し、和解を受け入れることはできない等と主張した。さらに、原告代表社員が就任予定であったロームシアター京都館長内定に関連して、京都市長宛に書簡を送ることに加え、メディアを集めて記者会見を行う等といった本件和解契約第6条の口外禁止条項に違反する行為を次々と強行した(甲4)。
(中略)
本件訴訟は、当事者間において、本件和解契約が成立したことを確認し、被告が、同契約に違反する行為を行わないことを求める訴訟である。
とある。地点代表の三浦基による元劇団員Aへのハラスメントに端を発する一連の経緯は、Aを支援する「表現者の権利と危機管理を考える会による元劇団員Aさんを支援する場」ホームページに掲載されている。
上記サイトによると、2017年6月に「地点」の劇団員オーディションに合格したAは、同年9月から2018年7月まで複数公演の稽古・上演に参加していたが、同年7月23日に三浦との面談で退団するよう伝えられた。Aがこれを拒否したにもかかわらず、地点は同月内に「三浦による劇団のメーリングリストでのAの退団の通知」や「Aの送別会の開催」などを実施。またAの退職理由を自己都合として解雇であると認めず、ハローワークへの離職票提出を拒否していた。これに対してAは様々に抗議と交渉を行い、2019年5月からは先述した労連を介した団体交渉を重ねていた。
事態が大きく動いたのは2020年1月から3月にかけて。同年1月16日、京都市が三浦のロームシアター京都館長就任を発表するが、ハラスメント問題が起こっているにもかかわらずその確認と検討を怠った京都市、また京都市とロームシアター京都を管理・運営する京都市音楽芸術文化振興財団による不透明な館長選考のプロセスに対してSNS上などで疑問の声があがり、2月14日には演劇関係者有志による京都市への公開質問状が発表された。
またこれと同日、地点から2月21日までの回答を期限としたAとの和解案についての提案が労連に届けられている。地点、労連、Aの三者による再度の団体交渉を経て同年3月5日に地点と労連の連名で以下の共同声明が発表された(※2023年3月30日時点で、本共同声明は地点と労連、双方のホームページから削除されている)。
映演労連フリーユニオンと合同会社地点(劇団地点)との間で元劇団員への解雇ならびにハラスメントに関する争いがありました。この点に関しては、両者の立場に隔たりがありましたが、話し合いを通じて、元劇団員を含め関係当事者間で解決に至ったことをご報告します。
劇団地点代表三浦基は、本件により、元劇団員が結果として精神的苦痛を受けたことを理解し、陳謝いたします。
また、松原俊太郎氏著書「山山」上演記録において、元劇団員のみ出演者氏名が「ほか」と表記されたことに関して、劇団地点は、本人に了解を得なかったことを謝罪いたします。映演労連フリーユニオン・劇団地点 共同声明
その直後の同月19日には、京都市から「三浦基氏のロームシアター京都館長就任の延期について」が発表。同発表では京都市と劇場の信頼回復に向けた取組みを確実に実施するため、三浦の館長就任を翌年の4月1日に延期するとあったが、12月24日に京都市、京都市音楽芸術文化振興財団、三浦が登壇した記者会見で、館長就任の見送りが正式発表された。
しかしながら、上記した共同声明はAの合意を十分に確認したものではなく、2020年9月16日、Aは地点と京都市に対して抗議文を送付。以降は、Aとその代理人である藤森純弁護士(東京弁護士会)らと地点とのあいだでの交渉が続けられた。その間に、同年12月1日には地点からAに対して2500万円の損害賠償請求訴訟を求める通知書の送付、21年1月26日にはそれまでの経緯を受けてのAと弁護団によるオンライン記者会見の実施(内容はこちらの記事が詳しい)などがあり、それらを経て、同年6月18日、地点が京都地裁にAを訴える今回の裁判の訴状を提出したかたちだ。
これらの経緯は新型コロナウィルスの流行とともに推移したため、傍聴人を入れての公判は2022年10月27日に京都地方裁判所で行われた第九回期日(A・証人の尋問)のみとなったが、その内容を受けて、原告である地点と被告であるAの支援グループの双方が、各自のホームページで以下の報告を発信している。
地点→2022/11/01 元劇団員との裁判についてのご報告
表現者の権利と危機管理を考える会→訴訟に関する活動報告
以上が、今回出された判決までの経緯の概要である。
Aを支援する「表現者の権利と危機管理を考える会」は、ホームページ上で「今後の計画等に関しては後日改めてご報告差し上げます。引き続きご関心をお寄せ頂けますと幸いです。」と声明を出している。いっぽう地点のホームページでは、3月30日時点で判決に関する見解は示されていない。
4月13日、地点は劇団公式ホームページに「元劇団員との裁判について」を投稿。
判決の骨子は、元劇団員が退団後に加入し団体交渉を行っていた映演労連フリーユニオンの交渉担当者が本人の意思を的確に捉えられず、誤解に基づき和解合意の意思を地点側に伝えていたというものでした。(略)これまで多数の団体交渉を行っていたユニオンの交渉担当者が元劇団員の意思を誤って伝えるなどとは到底考えられないことから、同判決について非常な驚きをもって受けとめております。この点に関して、地方裁判所の判断の是非を問うため、高等裁判所において判断を仰ぐことといたしました。
として控訴の意思を表明。また、元劇団員Aとの話し合いは団体交渉開始以前の状態に戻ることになると仮定したうえで、高等裁判所での訴訟手続きと平行して、元劇団員との協議を行っていくとしている。地点による投稿の詳細はこちらを参照。
いっぽうAを支援する「表現者の権利と危機管理を考える会」は4月14日、団体ホームーページにおいて以下の内容を投稿している。
同判決に対し、4月12日、原告側である合同会社地点(劇団地点)より、控訴の申し立てがございました。同裁判は今後、大阪高等裁判所での控訴審にて審理されます。弁護団と控訴状および控訴理由書の内容を確認したうえで、対応してまいります。
また、劇団地点がHPで公表している協議については、Aさんの許可を得て掲載されたものではありません。地点からAさんに協議の申し入れもなく、両者間に協議の約束はありません。