香川県の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館にて、「山城知佳子 ベラウの花」展が開催されている。会期は3月21日〜6月4日。沖縄を拠点に映像や写真などによる作品を制作してきた山城知佳子(1976〜)の、西日本では初の大規模個展となる。担当学芸員は同館学芸員の松村円。
山城は沖縄に暮らす生活者として、政治や歴史、自然環境といった様々な事象と向き合いながら作品を制作してきた。初期はパフォーマンスの様子を収めた映像作品など、自身の身体を通した表現が中心であったが、2010年代以降より物語性の強い作品を継続的に発表し、高く評価されてきた。美術館での発表に加え、国際的な映画祭にも多数参加している。
2021年には東京都写真美術館で個展「山城知佳子 リフレーミング」が開催、2022年には東京都現代美術館で「Tokyo Contemporary Art Award 2020-2022受賞記念展」が続き、東京ではまとまったかたちで作品を見る機会に恵まれたが、今回はついに西日本での開催となった。
初期作から新作まで18点が集まった本展。その大きな特徴は、新作《ベラウの花》(2023)へと至る一貫した作家性が感じられる作品がセレクトされていること。
そして、会場の特性を生かすことで、それぞれのインスタレーションがポリフォニーのように響き合い、空間全体がサウンドインスタレーションのようになっていることだ。代表的な近作も、本展ではまた違った新鮮さを放っていたことは大きな驚きだ。「サウンドという点でひとつ次のステージに進めた気がします」と、山城もその手応えを語った。
松村学芸員は言う。
「本館の展示室はひとつの大きな空間で、細かな部屋に分かれていません。映像作品の音が互いに響き合うのですが、山城さんにはそこを逆手に取っていただきました。ひとつの作品を見ているときにほかの作品の音が聞こえてくることで、より重層的に作品を読み込めるようになっています。ほかの館では味わえない鑑賞体験ではないかと思います」。
展示室横の通路にある初期3部作「オキナワTOURIST」(2004)をへて、3階の展示室は《沈む声、紅い息》(2010)から始まる。本作は作家が初めてフィクション的手法に移行した映像作品だ。
山城は2008年から16年まで、戦争を体験した人々の記憶に迫る「継承シリーズ」を手がけており、《沈む声、紅い息》の前年にあたる2009年には本シリーズのひとつ《あなたの声はわたしの喉を通った》を発表している。本作は当時70代の男性が語った、戦時中にサイパンで家族を失った悲劇的な体験を山城が語り直す姿をとらえた映像作品。このときに“飲み込んでしまった”男性の声が自身の身体の中でたゆたっているという感覚を覚えた作家は、次第にマイクの花束が揺れているイメージが離れなくなったという。(*)
《沈む声、紅い息》は、このイメージを自身の外に出すようにして制作されたものだ。
「やはり『声』というのはキーワード。フィクションに移行した1作目から声が象徴的なイメージとなり、それらを視覚化してきました。本展はこの声の行方を辿るというか、探るというか、グルーっと歩きながら感じてもらうインスタレーションになりました。沈んだ声が、また地上に出てきて、時に増えたり、日常の忙しさに追われ声を失ってしまう労働者の話へと変化したり……」(山城)。
写真作品《コロスの唄》(2010)のあいだを通り、その奥には《肉屋の女》(2012)。3面プロジェクションによる映像インスタレーションで、米軍基地敷地内の黙認耕作地に実在した闇市や、鍾乳洞を舞台に抽象度の高いストーリーが展開される。
《チンビン・ウェスタン 家族の表象》(2019)には楽しい驚きがあった。
これまで東京で2度見た際には大きな1面スクリーンに映像が流れていたが、今回はかわいらしいベビールームが設えられ、その中の小さなテレビモニターに映像が映し出されている。(内覧会に同行した幼児もこのスペースを気に入り、くつろぎながら映像を見ていたのも予想外の驚きだった)。
ここにもまた、印象的な声が登場する。チンビンとは沖縄のお菓子のことで、「マカロニ・ウェスタン」ならぬ「チンビン・ウェスタン」と題された本作。西部劇の要素が取り入れられるなか、登場人物たちが歌うオペラや琉歌が朗々と響く。アメリカ軍の基地移設に向けて辺野古の海を埋め立てるため、山を削る男性。その罪悪感や家族との関係に生じるジレンマが描かれる。沖縄の人々が直面するシリアスな現実と対峙しながら、そこには神話的な寓意性や、人間の尺度を越えた大きな地球への視座もある。
このベビールームの窓から外をのぞけば、新作《ベラウの花》(2023)が視野に入る。
シングル・チャンネルのループ再生による本作は、ひとりの高齢男性(じつは父の山城達雄)がバスに乗り移動する沖縄の風景と、8ミリフィルムで撮影されたパラオの風景が組み合わされた映像作品だ。
山城達雄は作家で、「ベラウの花」はその短編小説から採られたタイトルだ。山城達雄は戦時中、子供時代の3年間を母親や姉妹と共にパラオで過ごした。小説「ベラウの花」はフィクションだが、こうした経験が生かされた作品だ。主人公である高齢女性のヨネは、戦時中にパラオに住み、やむを得ず娘を同地に残して沖縄に帰ってきた過去を持つ。
今回の映像作品は小説のストーリーをなぞるものではないが、作家にとっての父親の存在の大きさや、パラオという場所への関心が反映されている。今後、小説を原作にした劇映画を撮りたいという希望を持っているそうで、本作はそこへ向けた第一歩という位置付けだ。
「父が7〜9才頃にパラオで経験した話を、私は幼い頃からずっと聞いてきましたが、具体的な風景は思い浮かばなかった。父がそこで何を見たのか、いつか行ってみたいなと思っていて、昨年末に初めて行きました。
父は認知症の初期症状が始まっていて、毎日バスで出かけて小さな旅をするんです。昔の記憶がどんどん失われて、かつては軍事基地反対闘争の舞台としてその問題を熱く語ってきた場所でも、バスに乗って帰ってくると『今日はきれいな花を見つけたんだよ』という風に、いままでとは違う語りですごく楽しそうに報告してくれるんです。
昔の父とは違う。記憶を失うことで、逆に思い出したくない戦争の記憶をようやく忘れることができて、いろんな文脈やトラウマを通してしか見ることができなかった沖縄の風景が薄れていき、初めて出会う島の風景を見始めているのではないか。そのようなことは起こり得るのではないかと考えるうちに、父の認知症をネガティブに受け止めていた私の悲しさや寂しさのような気持ちがほどけていきました。そしてその姿を記録として撮影してきました。
いま父が見ている風景の先には、幼い頃のパラオの記憶もあるんじゃないかと思い、今回はパラオの風景を8ミリフィルムで撮影しました。それらを組み合わせて、父の脳裏に映る映像を想像したロードムービー的な作品にしました」(山城)。
2021〜22年に続いた個展でこれまでの作品と対峙する時間を経たことで、山城の気持ちは「大きな物語から、そのうねりの中で生きてきた個人の個人史へとシフトした」という。「ふと、そういえばいちばん身近な家族の語りをまだかたちにしていないなと思ったんです」(山城)。
戦争や大震災などの災害のあと、残された人々にとっては「記憶の継承」が非常に大事になってくる。沖縄に暮らす多くの人々にとって、そのことは日常においても切り離すことができないだろう。山城も「継承シリーズ」と名付けた作品を制作してきた。
しかしいまは、「忘却」ということに作品を通して向き合っていることに興味をひかれた。《ベラウの花》に続いて展示されている《彼方》(2022)も、過去の記憶を忘れていく父の姿から着想を得た作品だ。子供から大人まで様々な人々がいる浜辺のような場所に、ひとりの老人が佇んでいる。その目はここではないどこかを見ているようで、周りの人々とは違う時空間に存在しているような雰囲気がある。
「『沖縄戦を生きぬいた人びと:揺れる想いを語り合えるまでの70年』(吉川麻衣子、2017)という本からも影響を受けました。沖縄戦の体験者たちが集まり、その体験を語らう場を記録したものです。たとえば自分の手で家族を殺めたなど壮絶な記憶を持つ方や、亡くなるまで証言できない方々もいらっしゃる。そのなかで、自分は体験を話さないと決めているけど、自主的に語りの場に参加し、ほかの方々の証言を聞き続けるという方もいます。
そうして何年にもわたり自分以外の方の戦争証言を聞き続けるうち、人生の終わりにやっぱり自分の経験を語ろう、と気持ちの変化を迎える方が出てくるんです。そして、そのような方のなかには、何十年も背負ってきた記憶を話したあと、あまり時間を置かずに亡くなる方も少なくないといいます。本著には、自身の経験を語ったあと、「家族にも話さなかった戦争の経験を、互いに話し聞き続けた仲間と出会えて、これまでの人生で今がいちばん幸せだと思う」という言葉を残して、翌年に亡くなった方のことも書かれていました。
それほど語ることの難しい戦争の記憶や、自分だけが生き延びたと自分自身を責め続ける思い、癒えない傷を、もしも、可能性として、老いという自然現象で少しでも忘れることができるなら、それは救いなのではないかと思えた。父を見ながら戦争を生き延びてきた多くの体験者の方々についてそう思えたことは、私にとっては微かな希望のような発想の転換でした」(山城)。
また、近年は作品の方向性にも変化が訪れてきているという。
「《沈む声、紅い息》から《チンビン・ウェスタン 家族の表象》までは、劇映画を意識してナラティブな映像を作ってきましたが、《彼方》からは少し変わってきたなと思います。またインスタレーションの方向に戻ってきたというか。劇映画の場合、その物語に没入させる環境が必要で、それは見る人の身体を忘れさせるということですよね。でもインスタレーションでは、空間とそこに立つ人の身体をつねに意識させ続ける。歩いたり振り返ったりと、見る人の能動性が関わってくるので、イメージの想起の仕方が個々人で異なってくると思います。そうした場を作ることに気を遣いました」(山城)。
本展を訪れると、沖縄の歴史や政治情勢、そこに暮らす人々の個別的なありように耳を澄ますことになる。しかしそれに留まらない、より大きな時間の尺度や、人間にとって普遍的な問いや気づきにも、鑑賞者の意識を開かせてくれるはずだ。ぜひ体験してみてほしい。
*──国立国際美術館「コレクション1 遠い場所/近い場所」展 山城知佳子インタビュー」 https://www.youtube.com/watch?v=vcsnzL_q1GQ
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)