シビック・クリエイティブ・ベース東京[CCBT](以下CCBT)は2022年に東京都及び東京都歴史文化財団が推進する新たな活動拠点として渋谷に誕生し、アートとデジタルテクノロジーを通じた人々の創造性の発展を構想している。
活動の中核を担うコアプログラムのひとつが、次世代を負うクリエイターとCCBTがパートナーとなり、企画の具体化と発表、創作過程の公開等を行うアート・インキュベーション・プログラムだ。2023年度の公募を受けて選出された5組のクリエイターの1組、リサーチユニットTMPR(岩沢兄弟+堀川淳一郎+美山有+中田一会)によるイベント「動点観測所(35.39.36.02/139.42.5.98)」が1月12日〜21日にかけて開催された。
同イベントでは、渋谷の街中を散歩しながらAIと人間が協働して世界を「観測」してみるワークショップに加え、展示、トークプログラムが行われた。現地の模様をレポートでお送りする。
「TMPR(てんぷら)」は体験設計と空間デザインを行う兄弟ユニット・岩沢兄弟、プログラマー/アルゴミックデザイナー・堀川淳一郎、グラフィックデザイナー・美山有、コミュニケーションプランナー・中田一会により結成される、異なる技能を持つ5名によるリサーチユニット。
1月12日〜21日にかけてCCBT内に「動点観測所(35.39.36.02/139.42.5.98)」と名付けられたリサーチ拠点を構え、AIと人間が協働しながら「観測」を行う参加型ワークショップや展示、トークプログラムを展開した。黄色いプラスチックケースが積み重なった観測所、公共施設の掲示板のようなサインボード、観測に必要なすべてのツールが積まれた台車、過去の参加者による日記などが展示される会場。参加者はテーマパークのアトラクションのように設えられた世界観に心を躍らせながらオペレーションに従いワークショップを体験することになる。
今回のワークショップで「作業員」と呼ばれる参加者は、その場に居合わせた数名でチームを構成し、渋谷を散歩しながら街の観測を行う。出発地であるCCBTの「観測所」ではまず、アーケードゲーム風の筐体が表示する複数のコースの中からカウントダウンに急かされるように歩行ルートのコースを決定。作業員のうちひとりはウェアラブルカメラ付きのベストとモバイルデバイスを装着し、チームで記念撮影を行った後、スタッフの指示によって会場の外へと促されるという流れだ。
いざ渋谷の街へ。しかし私たち作業員に散歩ルート以外の情報は与えられないうえ、装着したデバイスを通して観測所とのコミュニケーションは意外にもなく、想像していたような「AIとのコミュニケーション」のラリーもない。そのため、ルート表示を頼りに周囲を「観測」しながら、自然と作業員同士で和やかに会話をはずませて街を歩いた。目的を持たない放浪地図を片手に散歩しているようであった。見慣れない街並みや出来事から街の知られざる側面に触れながら、頭の片隅では「いま身につけているデバイスは、私たちのリアルタイムの情報を取得しているのだろうか? どのようにAIとつながっているのだろうか?」と推測しながらおおよそ30分ほどで渋谷の一角をぐるっと一周、出発地であるCCBTにたどり着いた。
ワークショップはクライマックスへ。観測所では、さきほどまでの散歩の記録をAIが記した紙を渡され、内容の添削作業を指示される。作業員の特徴、散歩の体験がリアルタイムに「日記」のように記述されていたことに少しの不気味さも感じながらテキストを読み進めると、所々は当たっているが実際との違いを多く含んでいることに気づく。
「日記」に書かれたお互いの特徴、街歩きのルート、固有名詞を確認し、記憶をもとに正誤を確認する作業では、それぞれの関心の違いや生成された文章表現の独特さに触れる面白さが感じられた。しばし修正作業で盛り上がった後は、添削した「日記」をスタッフに手渡してワークショップは終了へ。いったい、街歩きをする自分たちから取得されたデータや「日記」生成のプロセスはどのようなものだったのだろうか?
1月13日に開催されたトークでは、TMPRの5名と前年のCCBTアート・インキュベーション・プログラムで採択されたメディアアーティストの木原共が登壇。ワークショップの種明かし、AIを活用した体験設計の思考、AIと人間の共存の在り方についてディスカッションが繰り広げられた。
まずはTMPRより、このワークショップでAIをどのように設計し、体験として活用したかが明かされた。意外だったのは、実際の体験とAIが生成したテキストはほとんど紐づけられていないこと、作業員が身に付けたカメラも情報を取得していなかったことだ。観測所で撮影された作業員の集合写真から生成したプロフィールと、ルートマップの情報から抽出した任意数の固有名に基づき、日記ベースで文章を考えるようなプロンプトをAIに与えているという。「ワークショップ冒頭で“日記”を生成することが可能ではあるが、取得情報がどこまで生成結果に反映されるかをあえて隠した。歩くという体験は曖昧で記憶が残りづらいことでもあるから、状況の理解が曖昧な状態で日記を読んだ方が認知的な誤解が生まれると思った」と、今回TMPRでは「平面デザイナー」の役割を持つ美山が語る。
AIのプロセスをあえてブラックボックス化することで、体験者は生成された「日記」が間違えているのか、あるいは自分たちの記憶が抜け落ちたのかと錯覚を起こす。また、「日記」における誤読を喜ぶような反応もあったという。
TMPRで体験設計を担う岩沢兄弟の弟・いわさわたかし(以下、岩沢弟)は、試作を重ねるなかで体感した、自身の記憶とAIが生成した日記とが交錯する際に感じた「ゾワっ」とした不思議な感覚が残るよう設計したという。
「スマートフォン上に現れる地図をナビゲーションのように表示してしまうとそれを逸脱するか否かという選択肢が生まれてしまう。全体像を明かさないことが、ただ歩くという自由な行為を参加者が獲得することにつながる」(岩沢弟)
特徴的な日記の文体は、TMPRの一員で編集者の中田がこれまで書いた膨大な日常の記録から抜粋した数万字分のデータセットの特徴をAIに定義させ、それを参照して文章を生成する方法をとっている。自身に記録癖があると述べる中田は、膨大な日記を本としてまとめるほど日頃から几帳面に書いているそうで、情景描写や心理描写が入り混じるエッセイのような文体が生成テキストにも表れるように調整された。
「私が書いてきた日記は私を取り巻く関係性、引き起こる記号、行動、感情、選択、日記を綴るときの構成、言葉選びによって“私らしさ”が定義されているわけで、AIによって生成された“日記”は文体は似ていようともまったく私の日記ではない。その差分が面白かった」(中田)
TMPRとともに登壇した木原共は、遊びを通して人々の新たな疑問や批評的な問いを引き出すことをテーマに作品制作を行うメディアアーティスト。AIと人間が相互に進化していく関係性の在り方を探究しながら、AIの認知を逸脱することで表現の領域を拡張することを模索している。近年は、昨年度のCCBTで「Tomo Kihara + Playfool」として参加し、AIに判別できないが人間には理解可能な絵を描くゲームを通じて、過去から逸脱した表現の可能性を探求する作品「Deviation Game」や、自動運転技術を活用して画像認識AIに人間として検知されないようにゴールまで向かう「How (not) to get hit by a self-driving car」などを発表している。
木原は「動点観測所」のワークショップについて、「体験の後から語りが付与されることの面白さ、詩的な営みがある」とコメント。自身がワークショップに参加した際には、あえて寄り道したり、デバイスのレンズに向かって特徴的なアイテムを映したりすることで「日記」に変化を与えられるか試行錯誤したそう。生成された「日記」には実際の人物との関係性と異なる事象が組み上げられている反面、部分的に間違いとも言えない記述があることでゾワっとした感覚を覚えたという。
会場のオーディエンスからも、「自分が日常的に利用している喫茶店が日記に記述されていたことで、記憶と紐づいているのか気になった」という感想や、「事実と異なるプロフィールを示すAIのトンチキさが面白かった」と意見が上がった。
中田はこれらの意見を受け、「AIを可愛い存在として見出すような、近しい距離で触れられる温度感を動点観測所の体験に取り入れたかった」とコメント。続いて、「AIには過剰な期待が寄せられたり、逆に危険で恐ろしい存在だと受け取られたりと、反応が二極化しがちだが、実際には私たちの活動や過去のデータをもとに動くプログラムの一つ。もう少し日常的な体験や人々の体感に結びつけて付き合うことができるはず」として、TMPRが活動テーマに掲げる「技術と人間の平熱の共存」の背景にある思いを語った。また岩沢弟は「人工知能がさらに発展した未来、私たちの記録や記憶と、デジタルデータは並列になるのではないか。その先にどのような振る舞いが可能か、みんなで練習ができる実験場が必要だ」として、今回のワークショップが来るべきAI時代においてどのような意味を持つかを伝えた。
トーク後半では、TMPRのAI生成でも活用された顔認証システムとの向き合い方について議論が繰り広げられた。ヨーロッパを中心とした国々での展示経験のある木原は、AIとの関わり方やプライバシー保護への反応は国や地域によって異なるのではないかと話す。
「画像認識技術を活用したゲームを展示した際、日本では自分の顔や身体の画像データを気軽にAIに学習させるデータとして送信することを選ぶ体験者が多かった。それに対して、イギリスではデータの削除を選択する人が多く、この違いが興味深かったです」(木原)
画像認識技術はプライバシーの監視や軍事利用につながることも問題視され、開発倫理や取得情報の公平性が求められる。そうしたことへの意識の差が反応の違いにつながっているのではないかと木原は考察する。加えて今回、「動点観測所」のワークショップで顔情報が取得される怖さを感じなかったのは、「TMPRのメンバーが顔見知りだからこその安心感」だったと言う木原。AIをはじめとしたテクノロジーへの信頼には背景にどのような人物がいるかが大きく影響するという印象的な指摘だった。
「技術は使う人によって薬にも毒にもなる。AIと呼ばれる物から出てきた情報に中立性と客観性を感じてしまう人がいるが、これは誤解である。実際には、出力される情報はAIの元の学習データの偏りと、それを利用する人の影響をかなり受けると理解する必要がある」」(木原)
TMPRの活動はリサーチプロジェクトとしての側面を兼ね備えており、CCBTでの企画内容は最終的に冊子としてまとめる予定だという。「異なる技能や技法を持つメンバーそれぞれの関心からどのような軸でまとめられるか楽しみにしている」と中田。
また今後の展開として、システムのモバイル化や衛星通信を活用した、規定のルートに制限されない自由な散歩や異なる街にベースを構えたリサーチへの可能性が語られた。「動点観測所」そのものが場所を変えて移動していく願いがこの名称に込められているのだという。
トークの終盤では、AIとの共存と共創の先にどのような未来が見据えられるか議論され、木原は「遊び」がキーになると予測。そして、AIと人間の付き合い方についてはTMPRの各人もそれぞれに異なる意見を持ち寄った。順に紹介していこう。
「AIが進化することで、子供も含め多くの人が成果物のクオリティを上げられる面白さがあるいっぽうで、作りながら考えることが困難になるのではないかと感じることがあった。動点観測所の体験に歩くことが含まれているのは、身体性を伴った行為が先行することがAIとの共存には必要と考えたからだ。」(岩沢弟[いわさわたかし])
「私はいまのところAIをそれほど恐れていない。いまのAIに対しては目と脳しかないような身体性のなさを感じているが、反対に人間は身体を使って考えるような部分があると思う。だからAIが身体を獲得しない限り、AIには人間を越えられない領域があるように思う」(美山)
「日常的にものを観察して動きながら考えることはあるが、AIのすべてを知った状態から考えるような生成は根本的に異なる。今回はAIに過度に興味がないからできる空間設計でもあったが、イメージ生成を解釈したもの作りもいつかトライしてみたい」(岩沢兄[いわさわひとし])
「僕の夢見るAIの在り方は、AIのことをAIと呼んだら差別になるくらい、人間とAIを分けることを考えない環境になっていること」(堀川)
「AIに限らず、未知でよくわからないものと向き合うときに“遊び”が必要で、ユーモアや相手を知るうえで生まれる余裕が鍵になるはず。私は日頃、福祉のメディアを運営しながら、異なる立場の人同士がある種の遊びを持って付き合うことの大切さについて考えている。TMPRというチームで、これからもテクノロジーや人間、まちに関わる未知のものとの付き合い方を、遊びやいたずら心を潜ませた“表現”として、提案してみたい」(中田)
AIと人間が平熱を共存する先にいったいどのような未来が見据えられるのだろうか? テクノロジーの発展とともに、ステップの短縮やコスト削減が利便として追求される社会規範。それに対し、TMPRの活動からは自由な移動を再獲得する余白や身体に人間の営みを担保することへの働きかけが見えた。そのような訂正可能性を含む誤読が異なる知性モデルとの擦過から再帰的に考えるところにAIと人間の関係性の在り方が示されるだろう。TMPRメンバーや木原のあいだでもAIに対する態度や向き合い方が異なるが、多様な解釈を含む交雑な土壌にこそ、潜在的な可能性が秘められている。
CCBTでは今後、2023年度のアーティスト・フェローで採択したTMPR含む5組のクリエイターによるプログラムの開催が予定されている。身体の衝突を起因に多様な作品形態から独自の方法論を構築する「contact Gonzo」や、先端的なテクノロジーを駆使して持続可能なスペキュラティブデザインを創造する「Synflux」、7つの感覚を刺激する「スヌーズレン」に基づき子供とその周りにいる大人たちのためのインクルーシブな環境を作りだす「SnoezeLab.」、クリーンエネルギーを用いて改造した古家電を演奏しながら新たな祭を市民と作り上げる、和田永が率いる「ELECTRONICOS FANTASTICOS!」など、幅広いジャンルのクリエイターによって今後展開されるプログラムも必見だ。参加型ワークショップやトーク、レクチャープログラムも随時開催されており、デジタルテクノロジーとアートを通して想像力が育まれる、市民にひらけた活動拠点としてのCCBTのこれからにも期待が高まる。