6月29日、東京・六本木の国立新美術館で蔡國強(ツァイ・グオチャン/さい・こっきょう)の個展「蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」がスタートした。企画担当は逢坂恵理子(国立新美術館長)。国立新美術館とサンローランの共催。
蔡國強は1957年中国の福建省・泉州市生まれ。上海戯劇学院で舞台芸術を学んだ後、86年末に来日し、89年から91年まで筑波大学に在籍。その後、東京、取手、いわきなどで生活・制作するなかで、火薬の爆発による独自の絵画を開拓して一躍注目を集めた。95年からはニューヨークに拠点を移し、メトロポリタン美術館(2006)やグッゲンハイム美術館(2008)での回顧展をはじめ様々な国や地域で重要な個展を開催。2008年の北京オリンピックでは、開閉会式視覚特効芸術と花火監督を務めた。また、2015年に蔡の故郷の泉州で行った爆発イベント《スカイラダー》はNetflixでドキュメンタリー化され、蔡の認知をさらに拡大させた。
展覧会タイトル「宇宙遊 ―<原初火球>から始まる」の「原初火球」とは、蔡國強が30年前に東京で行った個展「原初火球 The Project for Projects」(P3 art and environment、東京)に由来。その展覧会を蔡の芸術における「ビッグバン」の原点ととらえ、この爆発を引き起こしたものはなんであり、その後今日まで何が起こったかを探求する。コロナ禍で身動きがとれず、スタジオに篭って過去の日記を読み返したという蔡が、いまあらためて原点を振り返る展覧会でもある。
展覧会は「『原初火球』以前─何が『ビッグバン』を生んだのか?」「ビッグバン:『原初火球:The Project for Projects』(1991年2月26日〜4月20日)」「『原初火球』以後」、「《未知との遭遇》」「〈原初火球〉の精神はいまだ健在か?」の5章で構成される。それぞれの章を、プレスカンファレンスで蔡が語った言葉とともに巡っていこう。
まず会場に足を踏み入れて驚くのは、国立新美術館の企画展示室1Eの広々とした空間。いつもであれば展示室内を区切る壁や柱などがあるが、今回は初めてそれらを取り払って展示が構成されている。
絵を描くのが好きだった父親の影響で、自身も幼少期より芸術に親しんでいた蔡。1章「『原初火球』以前─何が『ビッグバン』を生んだのか?」では、自らの殻を破るように、あるいは中国社会の統制への反発心を反映するように、20代後半から火薬を用いた表現を探究し始めた作家の足取りを追う。
今日まで30年以上にわたって継続する「外星人のためのプロジェクト」シリーズは風水や気功、老荘思想、中国古来の宇宙観をベースに活動を展開した蔡の思想が結実したもので、火薬の爆発を紙の上で爆発させることで図像を描く。第一弾《人類の家:外星人のためのプロジェクトNo.1》(1989)は、蔡の来日から3年後の1989年、多摩川で行われた。
蔡は当時のことを次のように振り返る。「ひとりで中国から日本に渡り、見えない世界と対話するというコンセプトで東洋と西洋、過去と現在を横断するような作品を作りました。来日から半年後に絵描きの彼女も来日し、板橋区で長女が生まれました。当時、私は家族と一緒に4畳半のアパートに暮らして、みんなが寝静まった後に台所で火薬ドローイングをしました。子供用の花火の火薬やマッチ箱を利用して爆発させていました。空間も小さくて生活は大変だったけど、宇宙がとても近いと感じていたんです。私は地球人ではなく“外星人”として宇宙や地球の問題を考えていて、生活は貧しいけど、いつも空の星空は私を照らしていました」。
2章「ビッグバン:『原初火球:The Project for Projects』(1991年2月26日〜4月20日)」からは、いよいよ作家としての人生が開花する蔡の起点となる作品群が並ぶ。蔡は1990年12月8日、33歳の誕生日を迎えた日の日記にこう記している。
あたかも長い年月、辛酸を舐め尽くすように、人生は慌ただしく過ぎていく。時を刻む速度は、加速度が増す。私たちが目にする太陽系の外の星の光は、200年前に瞬いたもので、その時私たちはまだ誕生すらしていないのだ。さらに遠い星が光を発した時、紀元前6世紀に生きた老子さえ誕生していない。もっと遠い星が光を発した時には人類の物語も始まっておらず、人類はまだ微生物だった。こうして考えると、33歳の私が若いのは勿論のこと、老子も人類もみな若いのである。
この2ヶ月後、東京のP3 art and environmentで個展「原初火球 The Project for Projects」を開催。宇宙に思いを馳せた蔡は宇宙物理学の「原始火球」に老子の宇宙起源論の理解を重ね、「原初火球」と名付けた活動を展開。本章には、外星人、そして人類全体に向けた、蔡自身のありあまるエネルギーがそのまま投影されたかのような作品が並ぶ。「私はつねに、いまもその頃の考えや精神を持っているかを再考しています。東京で今回展覧会をするのは、もう一度自分が原点から出発するためです」と蔡。
1990年代には、蔡の活動が加速度的に拡張していく。この時代、蔡は「外星人のためのプロジェクト」を世界各地で行い、それを大型のドローイングとして展開した。1993年には中国のゴビ砂漠で、世界各地のボランティアと現地の人々の協力を得ながら、壮大な爆発プロジェクト《外星人のためのプロジェクトNo.10:万里の長城を1万メートル延長するプロジェクト》を実現。94年にはいわき市立美術館、世田谷美術館で個展を開き、95年にはアジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)の日米芸術家交流プログラムの助成を受け、ニューヨークへ。以降、ニューヨークを拠点に生活を続けている。
当時について蔡は「私はACCのプログラムで、日本人の立場で日本からアメリカに移住しました。宇宙の視点から見ると本当に小さく、東洋と西洋もそれほど違いはない。同じ村の中で家を移動したくらいに見えるかもしれませんね」と笑顔を見せる。
蔡と言えば、2008年の北京オリンピックでの壮大な花火プロジェクトを思い出す人もいるかもしれない。これは、人間が定めた様々な境界や障壁を超えていく巨人の足跡というコンセプトで行われたが、本会場ではそのコンセプトを表した33mもの火薬ドローイング《歴史の足跡》(2008)が披露されている。その大きさは、蔡の俯瞰的で壮大な視野をそのまま投影しているかのようだ。
本展でひときわ存在感を放つのは、LEDの大型作品《未知との遭遇》だ。本作品は、企画者の逢坂が本展のテーマにあわせて「ぜひ展示したかった」と話すもの。銀河、ワームホール、宇宙船、アインシュタイン、ホーキング、原始人と宇宙人、UFOなど宇宙にまつわる古今東西の多彩なイメージがLEDで表現されており、蔡のユーモアや遊び心さえ感じる作品だ。LEDの作品と火薬による作品群が併置される展覧会は日本で本展が初となる。
4章「〈原初火球〉の精神はいまだ健在か?」は、蔡が自問自答するせりふがそのまま反映されている。蔡は次のように語る。「今の時代は混乱で複雑。コロナは乗り越えたように見えるが、人間社会に大きな変化がありました。経済も悪くなり戦争もあって、AIなどの技術はこれまでにないスピードで変化している。“じゃあ未来はどうする?”と、みなさんにも問いかけています」。
本章では、〈原初火球〉の頃の未知なるものを求める精神はそのままに、蔡がAIやNFTなどと関わりながら制作した作品が並ぶ。とくに会場で目立って配置されるのは、蔡の考えを学習されたAI、その名も「cAI™」(蔡[Cai]とAIを掛け合わせて命名)と対話しながら作品化した《cAI™の受胎告知》や《月にあるキャンバス:外星人のためのプロジェクトNo.38》などの作品だ。七曲屏風のこれらの作品には、ガラスや鏡といった作家がこれまで用いてこなかった素材が取り入れられ、幽玄的なイメージを作り出している。
「目に見えない世界と通じて、宇宙規模から自分を見ることが大切だと思う。そのことを展覧会を通して伝えたい」と蔡は、近視眼的な見方から離れることの重要性を強調する。
これまでに蔡が行った展覧会やプロジェクトの数は2023年4月時点で561で12件が進行中。また、まだ実現していないプロジェクトが111件もあり、そのうちのいくつかは宇宙のために構想したものだという。
並外れたパワフルな活動の一端は、私たちを遠い知らない世界から叱咤激励するような不思議な力を持っている。会場に足を運べばきっとそのことを体感できるはずだ。
じつは本展には、こうしたメインの章に加えていわきの人々との交流を示すコーナーがある。静と動、優美さと激しさなど相反するものが同居する蔡の作品だが、その人間性自体も宇宙規模の破天荒なスケールと身近な人間関係を大切にする地に足のついたヒューマニティが共存していることを実感させられる。これは、6月26日にサンローランのコミッションで行われたいわき白天花火《満天の桜が咲く日》でも筆者が感じたことだ。
プレスカンファレンスで、蔡は最後に次のように語った。「私自身は、作品は平和のメッセージだと言いたくはないけれど、暴力や戦争を彷彿させる火薬を使って平和な作品を作っている。美しいものをつくる人間には希望があると思う。自分自身は種のように世界各地に出向いて、人々と対話して花が咲いてきた。いわきのことからもわかるように、歴史と政治を超えて人はなんでもできる。愛と友情、その美しさこそ人生のあるべき姿だと思う。私のアートは、そうしてお互いに繁栄するための種であってほしいと思う」。
人間とは、人類とはどうあるべきかという大きなテーマを根底に持つ本展。見た者それぞれが自分の来た道、これからの道を問い直すような大きなきっかけを与えてくれるのではないだろうか。
野路千晶(編集部)
野路千晶(編集部)