公開日:2022年6月4日

ブライアン・イーノの待望の大規模個展「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」を最速フォトレポート

アンビエント・ミュージックの創始者の展覧会がスタート。京都中央信用金庫 旧厚生センターで2022年6月3日から9月3日まで

ブライアン・イーノ 77 Million Paintings Photo by Juliana Consigli

ブライアン・イーノの世界を凝縮した展覧会がスタート

ブライアン・イーノの大規模個展「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」が2022年6月3日から9月3日まで、京都駅にほど近い「京都中央信用金庫 旧厚生センター」で開催中だ。そのオープンに先駆け、6月2日に関係者に向けて行われた内覧会を訪ねた。

展示では、かつて実際に銀行として使われていた建物の1階から3階までが活用されている。大小の空間を使ったイーノのインスタレーションはもちろん、1階にはスペシャルなショップ、さらに会場の廊下や階段には、日本人作家が設えた盆栽や石も展示空間の一部として設えられている。

匿名性の強い、シャープで近代的なデザインの、しかし地域や建築の固有の歴史を有しもするこの空間を、イーノはひとつの鳴動する巨大な楽器あるいは1枚のアルバム(ネット上でのサブスク視聴が一般的になった今日では、ある主題に沿って多数の曲が編纂されたCD=アルバムというアイデアは、人々から遠いものになっているかもしれないが)に作り替えた、と見なすこともできるだろうか?

会場になった「京都中央信用金庫 旧厚生センター」の外観 Photo by ICHIKAWA Yasushi
会場内のところどろこに盆栽などが設えらえている 撮影:筆者

今回の「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」には都合5つの作品が出品されている。会場入り口で手渡される小さなリーフレットにはⅠからⅤまでのナンバーがそれぞれ振られており、その最初の「Ⅰ」には、この展覧会の情報が公開されてから中心的に紹介されてきた映像インスタレーション《77 Million Paintings》が据えられている。そのために、今展でイーノが提示している視聴覚の世界を構築する核が同作であると思ってしまうかもしれない。

だがリーフレット左側の会場地図をよく見てみよう。たしかに《77 Million Paintings》は1階のもっとも巨大な空間に割り振られているが、次なる「Ⅱ」《The Ship》は3階、続く「Ⅲ」《Light Boxes》は2階……とバラバラに配置されている。さらに世界初公開となる新作「Ⅳ」《Face to Face》は再び3階に上がり、「Ⅴ」《The Lighthouse》に至っては後述するように特定の場所を持たない作品である。展覧会の「順路」の制度を撹乱するかのようなこの設えには、どのようなイーノの意図が込められているのだろう?

ありきたりな日常を手放し、別の世界に身を委ねることで、自分の想像力を自由に発揮することができるのです。

By allowing ourselves to let go of the world that we have to be part of every day, and to surrender to another kind of world. We’re freeing ourselves to allow our imaginations to be inspired.

これは会場入り口のアクリルパネルに記されたイーノからのメッセージだが、ある意味でこれが今回の展覧会のコンセプトを代弁している。かつて銀行だった四角い建物は、日常(外)と別世界(内)を区切る「箱」となり、そのなかで響きわたる様々な音や光を順番や作法にこだわらず触れることで、来場者は自分の創造性を自由に造形していける(とはいえ、写真・動画の撮影はフラッシュやシャッター音は禁止されているけれど)。内覧会を訪ねた筆者にとって、この「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」は、そのような思考の実験場としても立ち現れたのである。

「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」キー・ヴィジュアル

7700万通りに変化する光と音と色彩のペインティング

さて、ここからは一つひとつの展示作品を見ていこう。《77 Million Paintings》は、2006年にラフォーレミュージアム原宿で世界初公開され、その後様々にアップデートを繰り返してきたイーノの代表作だ。東京で生まれた同作は、16年ぶりの帰郷の地として京都を選んだ。

ブライアン・イーノ 77 Million Paintings Photo by Juliana Consigli

「77 Million(7700万)」が意味するのは、同作のシステムが生み出しうる視覚表象の組み合わせの上限である。聖堂を思わせる巨大な空間の壁面には、4種類のサイズの映像が魔法陣のように計13個配置され、そこに映されたイメージは時間が経つごとにゆっくりと変化し、そのつど異なる「絵画(Painting)」のコンポジションを生成していく。イーノはこれを「Visual Music(視覚的音楽)」として着想したそうだが、幾何学的なパターンや色とりどりの描線は、音楽を視覚化に挑んだカンディンスキーの抽象絵画を思い起こさせる。ちなみに展示空間には天井と床を結ぶ10数本の木の柱、円錐形に整えられた小さな砂山も設えられている。

ブライアン・イーノ 77 Million Paintings Photo by Juliana Consigli

タイタニック号に託された文明社会への眼差し

《The Ship》は、今回もっとも明晰にイーノの「音楽」を堪能できる空間になっている。薄暗い部屋のなかには様々な機種・形状のスピーカーがいくつも点在し、そこから流れる音楽や音をじっくり聴くためのソファも置かれている。来場者は寝転んで聴くこともできるし、歩きながら音の変化を楽しむこともできる。

音源として選ばれているのは、2016年にリリースした同名アルバム『The Ship』。「Ship(船)」が意味するのは、大ヒット映画にもなった豪華客船タイタニック号の沈没事故である。第一次世界大戦が開戦する2年前に建造され、最初の航海で氷山に衝突して1513人の命を奪った海難事故を、イーノは文明社会における人間の傲慢さとパラノイアの象徴的事例として見なしている。アーティストとしてだけでなく社会活動家でもあるイーノにとって、この歴史的な沈没事故は前世紀初頭に起きた過去の出来事ではなく、今日の社会にも届く警句としてあるのだろう。

しかし、彼が作った空間のなかで聴く「The Ship」は繊細で美しい。そして鑑賞者一人ひとりの耳と身体に届けられる音の質感も、多様に変化し、ひとつのかたちというものに留まることはない。変化し続けることによって生じる音楽的な「快」は、立場や視点によって容易に変化する歴史の流動性や矛盾を思い起こさせもする。

変幻自在の3つの箱

《Light Boxes》は、《77 Million Paintings》同様に、イーノの視覚的な関心を端的に伝える作品だ。室内に設えられた3つの半透明のボックスはLEDによって部分部分を様々な色に変えていく。マーク・ロスコやバーネット・ニューマンが手がけた60年代の抽象絵画の動向である「カラーフィールド・ペインティグ」を思わせるこのシリーズは、この動向の始祖ともされる「シュプレマティスム」の目指した絶対的な純粋性にも通じているだろうか。

ブライアン・イーノ Light Boxes Photo by Juliana Consigli

穏やかな音楽(これは《Light Boxes》とはまた別の作品だ)に同期するように移り変わっていく色彩は穏やかだが、1910年代にロシアから始まったシュプレマティスムの動向が同時代の「革命」の雰囲気と不可分だったことを思えば、本作から受け取ることのできるメッセージにも、異なる意味を見出せるのではないかと思う。

ブライアン・イーノ Light Boxes Photo by Juliana Consigli

世界初公開の新作は、人々の「顔」がテーマ

《Face to Face》は今回が世界初公開となる新作だ。実在する21名のポートレイトを特殊なソフトウェアを使って変化・合成し、別人の顔からまた別人の顔へ、実在する顔から実在しない顔へ、次々と変化させていく。その組み合わせによっては、まるでミュータントやロボットのような質感の顔が生まれるのも面白い。解説によると、毎秒30人ずつ生まれ出づる「新しい人間」は、3万6000人以上にも及ぶそうだ。人種や性別の問題が様々に取り沙汰される今日の世界に思いを馳せる作品である。

会場全体を結ぶ「音」とは?

最後に紹介する《The Lighthouse》は、やや特殊な背景を持つオーディオ作品である。会場全体が一つのアルバムのようであると冒頭で述べたが、会場の廊下、階段、化粧室などで流れる本作は、個々の作品や、それを鑑賞者の経験をシームレスに結ぶものである。

そして興味深いのが、本作のオーディオは《Light Boxes》《Face to Face》の展示空間にも流れ続けている点。つまりイーノの別の作品同士が、今展では視覚的・聴覚的に混ざり合っているということだ。

「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」が体現する作家の哲学

今展のために編集された展覧会図録にはイーノが自身のキャリアを振り返る少し長めのテキストが収録されている。彼はそこで、美術学校在学中の1967年に制作した小さな箱型の作品《An Early Experimental Light Display Unit》について言及している。いくつかの小さな電球と様々な色のジェルシートなどで構成された同作は、明滅と色彩の組み合わせによって多様な光を作り出すことができ、それが自身の「ジェネレイティヴ・アート」(「単純で基本的なシステムから予測不可能な変化を多く生み出すことができる」アートとしてイーノ自身が定義したアイデア)の始まりであったとイーノは述べている。

会場で限定発売されている展覧会図録 Photo by ICHIKAWA Yasushi

この自動生成する光の作品が生まれる以前から、イーノは「カレッジでの時間の大半をハプニングやコンセプチュアル作品の企画・組織と音楽制作とに費やし」て、美術学校の教官たちを不安がらせていたというが、このエピソードは数十年にわたって一貫し続けるイーノの関心……自動生成による作品性の創出と、その相互介入による融合性・流動性を伝えるものだ。

この展覧会では、その関心と発展をきわめて精度の高い展示空間のなかで実感することができるが、その起源にあったのが1967年の小さな箱であり、そして今展の会場である旧銀行も、ある種の箱としてとらえることができるのは興味深いことのように思う。イーノの作り出した「箱」は場所とかたちを変えて、2022年の京都に届けられたのだ。

会場内の「ENO SHOP」では図録をはじめとする様々な限定アイテムが販売されている Photo by ICHIKAWA Yasushi
老舗和菓子屋・鍵善良房が展覧会のためにつくった和菓子も限定アイテムのひとつ。イーノ作品をイメージした幾何学模様を州浜と落雁で表現 Photo by ICHIKAWA Yasushi

島貫泰介

島貫泰介

美術ライター/編集者。1980年神奈川生まれ。京都・別府在住。『美術手帖』『CINRA.NET』などで執筆・編集・企画を行う。2020年夏にはコロナ禍以降の京都・関西のアート&カルチャーシーンを概観するウェブメディア『ソーシャルディスタンスアートマガジン かもべり』をスタートした。19年には捩子ぴじん(ダンサー)、三枝愛(美術家)とコレクティブリサーチグループを結成。21年よりチーム名を「禹歩(u-ho)」に変え、展示、上演、エディトリアルなど、多様なかたちでのリサーチとアウトプットを継続している。