沸騰する世界のコンテンポラリーアートマーケットの中で、日本は個性的なプレゼンスを未だ表せていない。丹青社がサービスを提供するアート・工芸作品のプラットフォーム「B-OWND(ビーオウンド)」は日本の現代工芸の真価を伝えるべく、2023年には、世界最大のアートフェアである「アートバーゼル・マイアミビーチ(*1)」でのサテライト「SCOPE MIAMI BEACH 2023」に出展。ニューヨーク・ソーホーで陶芸家・古賀崇洋&人形師・中村弘峰の二人展を開催した。2024年、「SCOPE MIAMI BEACH」に再度出展する。コンテンポラリーアートの牙城に現代工芸で斬り込む意義を、B-OWNDプロデューサー石上賢と、出品作家が語り合った。
石上 今回のアートバーゼル・マイアミビーチでの「SCOPE MIAMI BEACH」の出品作家、中村さん、古賀さん、酒井さんの3人は、日本のアイデンティティをちゃんと引き継ぎながらも、3者違う方法で、時代性を掛け算して化学変化を起こせる作家だと思っています。伝統って、それを作った最初の人たちはアヴァンギャルドだったわけじゃないですか? 前の時代のやり方を守るだけとか、今風のものを足すだけでなくて、3人は歴史の本質を理解したうえで、過去とつながっていると思います。すごくポップで、インパクトもある。
——そうした新しい表現があるいっぽうで、長らく日本の工芸の評価を担ってきたのは「日本伝統工芸展」のような保守的な公募展でした。 (*1)
中村 石上さんが言う「掛け算」ってのを、ピーキーな(トンがった)挑戦ってふうにとらえると、「伝統工芸」は、マンネリ化して「足し算」ぽい、ありきたりに見えてしまっているかもしれない。でも1950年代から50年間ぐらいは、すごく挑戦してきたと思うんだよね。
日本伝統工芸展(*2)っていうのは、「工芸=使うもの」という前提を持ちながら、職人仕事の技術を突き詰めて、ある種「使えない」レベルまで持っていった。ここには本質的な工芸の変化っていう「掛け算」はあった。技術の保存のために重要無形文化財保持者(人間国宝)を認定するんだけれど、以前と同じ技術では感動しない。それで技術の細分化、超絶が極まってきたんですよね。「工芸をどう現代に残すか」という挑戦が、日本人のその普段の生活と、かけ離れ過ぎた。
古賀 「民藝とか生活工芸みたいなもののほうがいい」ってなった。
酒井 自分は、もともと伝統工芸の公募展に出していたんです。何回か入選したあと、審査員から「これは伝統工芸じゃない」て、言われて。理由がわからなくて、そこでやめたんですよ。理由は多分、作品の形状が、伝統工芸じゃない、ということなんだろう、と。「伝統とは、革新あってこそ」と思っていたので、そこの境目が全然わからなくて。
中村 僕も、同じ悩みに何回もぶち当たりました。日本伝統工芸展に出して、何度か入選していたのが、突然落選して。ある先生が、その理由を、単純に一言で、僕に説明されたんです。
古賀 気になる、なんですか?(笑)。
中村 先生がおっしゃったのは、「伝統工芸展には、面白いもの、新しいものはいらない。“素晴らしいもの”が欲しい」。
古賀 難しいなあ(笑)。
中村 僕も酒井さんと同じで「若い世代が、面白いものとか、新しいものを出して、伝統工芸を次の世界に持っていかなきゃいけない」と思ったんですよ。じつはそうじゃない。「変えよう」とはしなくていい。本当に微妙に、すごくゆっくり変わっていくものが伝統工芸。僕はそういうスピード感の文化があってもいいかも、と、ちょっと思ったんですね。それが腑に落ちたんで、新しいものや面白いものは、別の場で発表しようと。
古賀 それは弘峰さんしかできない。
中村 日本伝統工芸展というのは、文化庁が主催なんですよ。総裁は皇族。日本の文化って天皇家に結びついている。僕ら工芸に携わる人間は、その歴史をないがしろにはしたことがない。僕は「ここではこういう作品を作ったら、賞が取れるかもしれない」っていう「傾向と対策」を攻略して公募展で賞を狙いつつ、なおかつアートでも認められるのが、いちばん楽しいと思った。
酒井 古賀さんは、公募展に出そうと思ったこと、ありました?
古賀 ゼロです(笑)。僕の場合は反骨心だけ。やっぱ、心ときめくほうに全振りしたほうがいいやって。
石上 コンテンポラリーアートは、まず概念があり、素材を選び取るプロセスがあると思います。逆に工芸は、素材や技法に関してある程度決まっていて、作家はそのうえで表現する。そこに制限は感じませんか?
酒井 自分は表現として陶芸を選んでいますね。自動車部品の工場で回転体の部品を作っていて、小さな部品から、天体、宇宙船とかSFチックなものを想像するのがすごく好きで。その後、大学に入ってろくろを触ったときに、回転体に自分の感情とか記憶も入り込むっていうことに気づいたんです。この、ろくろの回転と、可塑性の高い粘土っていう素材は、自分の内面を表出させるために、すごく合うってわかった。
古賀 ろくろを使うことによって、技術と素材が媒介となって、インスピレーションがどんどん浮かんで来るんですね。素材が「アウトプットのための手法」じゃなくて、インプットそのものにもなるというか。
酒井 そうです。ダイレクトに触って即興的にやれる粘土は、身体性がすごく強くて、自分の中の無意識とつながれる。逆に言うと、ろくろがなければ、自分は物を作れない。手びねりでやったとしても、意識的になりすぎて、デザイン的になってきちゃって。
古賀 酒井さんの場合、ろくろで挽きながら、ずっと自分に向き合っている。何か、禅的っていうか……。
中村 一体化してるよね。
古賀 僕は大学で陶芸に出会って、「これだ」と思ったんで、素材か、表現かという問いの以前に、素材から入っちゃった(笑)。
酒井 陶芸で「これだ」ってなった理由は?
古賀 「陶芸には、全部が詰まってる」と思ったんです。絵を描くことも、プロダクトデザインも、伝統工芸も。いま、挑戦しているコンテンポラリーも入っている。しかも、全部ひとりで完結できる。土をこねて、作品が窯から生まれ変わって出てくるっていうのが、衝撃的にうれしかった。
中村 純粋か!(笑)
古賀 決定的だったのが、大学の先生とスペインにワークショップに行ったとき、陶芸がめちゃくちゃ尊敬されていたことなんです。ヨーロッパって偉大なアーティストもたくさん出ていて、ファインアートでは強いけど、陶芸では日本が強い。楽焼は「ラク」って日本語のまま輸出されて、定着している。
古賀 アートの考え方って西洋と日本とで全然違っている。それはなぜなのか?とかいうところはすごく興味があって。そのうえで「こういう方法なら、工芸がいまのアートの文脈に入れるんじゃないか」とかを考えるのが好きになって。それが現在の僕の作風にもなっていった。
西洋と日本とは、逆なことが多いじゃないですか? 写真みたいに描いて輪郭線を描かない西洋画に対して、日本の絵は輪郭線を描く。海外では、この「逆」のスタイルから入るほうが斬新だし、いろんなアプローチがあると思う。
石上 西洋のコンテンポラリーアートって、言葉や概念でくくることが、もうやりつくされている。言葉を突き詰めるなら、ものとしての作品をつくる意味はあるのか?とも思っていました。さっきの「素材と表現」の話の延長ですが、概念が上、その下に素材、技法があるんじゃなくて、その上下が逆、または並列になっている日本の工芸の価値基準でもって、工芸の評価を変えられないか?と思っているんです。
中村 僕らって、僕の親の世代と違って、西洋的なものに対する憧れって、ない世代じゃない? 西洋の美意識の呪縛が解けてきた世代なのかな。
古賀 憧れじゃなくて、基本アンチですね(笑)。「負けたくないな」っていう思いがある。
石上 SNSの発展で、ワールドワイドに流行るものって、時差があんまりないじゃないですか。だからなのか、僕と同世代の起業家とか経営者の方に、「日本文化を学ばなきゃ」って人が増えている。自分のアイデンティティってなんなんだろう?て思い始めている。
石上 この10年くらい、コンテンポラリーアートのギャラリーが工芸を展示することは増えたけど、まだ工芸はカテゴリーとして成立してない。我々は、どこにポジションを取るかを選べる状態だと思う。応用美術の「デコラティブアート」でなく、僕はあえてコンテンポラリーアートのほうにポジションを取ろうとしている。でも「工芸をコンテンポラリーアート化する」っていう方向は、本当にそれでいいのか?
中村 それ、さっきの工芸展の話と似てない? 結局「傾向と対策」で、今度はホワイトキューブのギャラリーに映えるものに、日本の工芸をトランスフォームしようとしているってことだから。でも、本来、僕たちは自由になりたいわけでしょ?
石上 そうですね。
中村 日本の感性って「生きている空間すべてを美ととらえる」、僕たちは「すべてをアート化させる民族」ということじゃない? コンテンポラリーアートのフォーマットに則って、陳列台に陳列したら、めっちゃ、それが伝わりにくいと思うんだよね。
石上 明治時代に、国を挙げて「工芸作品」を売り出したことが、いまの僕たちにとって結構、足かせになっているなって思う。明治時代の欧米での万博(*3)で、高く評価されたことが、逆にボディーブローのように効いてきてるな、みたいな。日本の工芸は、茶室みたいな空間に調和しながら受容されるものだった。それが、明治時代に西洋からアートの概念を取り入れて、一つの作品を際立たせるためのホワイトキューブで展示されるようになってしまった。だから、次回のマイアミでの展示は、茶室を作ることにしました。茶の湯って「物に価値を宿す方法論」をフォーマット化して、ルールにしたものだと思う。僕がいまいちばんやりたいのは、「物に価値がある」のか、日本人の伝統的な所作によって「物に価値が宿る」のかを問うこと。
中村 茶室って、柱を四つ立てたら、どこでも茶室になるじゃない? 神社も、もともと誰もいないところに、祝詞を上げて神様を召喚する。それと一緒で、茶室っていうフォーマットは、じつは「どこでもアートギャラリーに変えられる」というゲームだと思う。なんか、そういう考え方が日本人的ですよ。
古賀 さっき工芸に「制限」があるか?という話をしましたが、僕は、茶道のような装置を通して、「工芸が、物からコトに広がる」拡張性のほうに、いますごく注目している。
中村 アートのほうが、値が高いのって、面白いよね。
古賀 やっぱ「未知なものとか、意味わかんないことを初めに評価できる俺ってかっこよくね?」みたいな(笑)。
酒井 よく「作品を現代アートとして見られるためには、どうすればいいんだろう」って話題になるんです。でも、それって、ただたんに劣等感ですよね。工芸かアートかで、当たり前のように値段が変わって、認知度も変わる。もし、工芸とアートが同等に扱われるんだったら「現代アートに見られたい」なんて言葉は出ないと思うんですよ。おもいっきり工芸をやりたい。
古賀 「アートは、他人にはわからないすごいことを考えているから、価値がある」じゃないすか? 逆に言うと僕たちは、自分の作品を伝えたい。そこからまず違いますよ。
中村 だから高い価格がつきようがないよね(笑)、でもそれでもいい。
石上 アメリカで、日本文化を見る目がここ数年、変化している。「機能がある」ことが工芸のコンプレックスだったけど、去年の展示では、茶碗みたいなファンクショナルアート、「機能があることの方が面白いじゃん」みたいな評価が、印象的でしたね。
古賀 本当にそれ。10年ほど前にイタリアと、アメリカで展覧会やったときに「ちょこちょこドリンクを飲む文化はないから、ぐい呑みなんて売れないよ」と言われた。それが、今回行ったら逆になっていて。SAKEカップでかっこいいのがないから、とてもウケた。
石上 アメリカでびっくりしたのは日本食の進出。SAKEと抹茶の認知度がとても高かった。もう日本食が最高峰だという評価になっている。
古賀 日本は、食文化と工芸のあいだに、密接不可分なつながりがある。茶室も懐石料理も、フォーマットがあって、一碗のお茶を飲むことを、文化的な軸を立ててプレゼンテーションするなんて、ちょっとクレイジーじゃないですか?
中村 日本の工芸って、機能も担保しながら、ギリギリまで攻めるみたいな、「ブレーキとアクセルを両方かける」みたいな力学があるでしょ。世界の表現の中で、ぶっちぎっているのかもしれない。たとえばロエベのクラフトプライズとか見ても、他国の作家はオブジェの側に傾いているというか、「日本とちょっと違う」じゃないですか? 日本の工芸って、どこにいるのか? トップランナーかどうか、俺たちのいまの現在地点がよくわかんない。カーナビで教えて欲しい(笑)。
石上 その現在地点を知るためにも、海外のアートフェアに出るのは重要だと思っています。工芸作品を展示していても、その素材すら誰も知らない。ただ、ほかのブースの作品とはあまりにも違うから、「何これ?」みたいなリアクションが大きい。批評家やキュレーターの目にも留まりやすいし。
古賀 ニューヨークで展示したとき、興奮したお客さんが、本当に大げさに「ユーアーファイヤー!」って叫ぶみたいな感じで、反応が良くて。売れるラインも日本とはちょっと違いましたね。基本的には「かっこいい」かどうか。でも、本当に伝えたかったことが伝わったかどうか。石上さんはそこを詰めたいと思っていますよね。
中村 ニューヨークの地下鉄で、アーティストのアイ・ウェイウェイに遭遇したんです。スマホで自分の作品見せたら、聞かれたのが「2D? or 3D?」。そんだけ。僕は「ドールじゃなくてフィギュラルクラフトで‥‥」とかいろいろ言わなきゃとか考えたんだけど、「二次元か三次元か?」。それでいいんだ(笑)。めっちゃ、なんかパーンと抜けた感じがして気持ちよかった。ややこしく考えているのは、評論家とか、一部のアートピープルだけかもしれない。そこに入っていこうとすると理論武装するじゃない? 聞かれたらバッチリ言ったほうがいいけど、それを前面に出すと、なんかね、野暮ったいなと思って。軽やかさがない。
石上 「これは工芸なのか、アートなのか」という問いを立てて、その違いとか、プレゼンの戦略とかを考えますけど、「工芸でもありアートでもある」っていうか、「その両方であることの何がいけないの?」と問うことも大事かも。
——最後に、作家の皆さんが東京でなく福岡、愛知を拠点に活動し、発信することについて聞かせてください。
古賀 福岡以外に選択肢なくないすか?(笑) 単純に僕は有田焼で学びましたし、素材も世界でいちばん白いって言われている天草陶土を扱ってますし。
中村 僕は福岡に家業があるけど、そうでなくても、福岡に住むだろうな。
酒井 僕は愛知ですが、近くには活気のある多治見もあるし。いまでは、どこでもネットで粘土も買えますし、窯さえあればどこでも作品は作れる。自分としては地域性とかって、どうでもよくなっちゃっている。もう「日本から」でいいじゃんって。
古賀 作りやすいところで作ればいい。でも海外から人がたくさん来る時代、福岡とか金沢とか京都とかは案内してあげられる場所が多いし工房にきてもらいやすい。
中村 京都、東京に行ったことある人が多いから「その次」を求められたときに出てくるっていう場所になるね、福岡は。いままで京都―東京っていう二重らせんできたところに、福岡ってのが浮上してきた。住みやすいとか、山と海が近い、ご飯が美味しいとか。なんかいろんな強みが出てきた。アートって「端っこ」から出てくるものじゃないですか? 中央からじゃない。
*1──アートバーゼル・マイアミビーチ
1970年にスイスのバーゼルで始まったアートフェア「アートバーゼル」のアメリカ版。2002年に始まり、毎年12月初旬に開催される。メイン会場のほか、スコープなど、サテライト会場がいくつもオープンする。パーティやディナー、コンサートも開かれ、コレクターと関係者の社交の場となる。アートバーゼルは香港、パリでも開催される。
*2──日本伝統工芸展
重要無形文化財指定・重要無形文化財保持者(人間国宝)認定制度が発足した1954年(昭和29年)から、陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形、諸工芸のジャンルでの公募出品の入賞作を展示する。全国の百貨店などで展示される。工芸の公募展の中でも権威が高い。日本工芸会:https://www.nihonkogeikai.or.jp/about
*3──万博
万国博覧会。「博覧会」は、諸国の文物を博覧するイベントとして1789年にフランスで初めて開催され、同様の博覧会がロンドン、ニューヨークなど欧米各地で開催された。日本は殖産産業の復興と外貨の獲得のために、すぐれた工芸品を出品。日本の有田焼が、パリ万国博覧会(1900年)で金賞を受賞した。
取材協力:KOZENDO