公開日:2024年11月27日

「アジアン・アート・ビエンナーレ 2024」(国立台湾美術館)レポート。不確かな未来に対処するための、深い潜水の実践

会期は11月16日〜2025年3月2日。「How to Hold Your Breath(息を止める方法)」をテーマに据え、台湾最大の公立美術館に35組のアーティストが集う。

会場風景より、ソン・イェファン《(Whose) World (How) Wide Web》(2024)

5人のキュレーターによる共同キュレーション。35組のアーティストが集う

11月16日、台湾・台中の国立台湾美術館「アジアン・アート・ビエンナーレ 2024」が開幕した。会期は2025年3月2日まで。

台湾最大の公立美術館である国立台湾美術館の主催により、2年に1度開催されている「アジアン・アート・ビエンナーレ」。9回目の開催となる今回は、「How to Hold Your Breath(息を止める方法)」というタイトルのもと、35組のアーティストによる83点の作品が展示されている。

キュレーションは、台湾のインディペンデントキュレターである方彥翔(ファン・イェンシャン)が国際的なキュレーションチームを招集し、5人のキュレーターによって共同で手がけられた。ファンに加え、アルメニア生まれでパリを拠点とするアン・ダヴィディアン、フィリピンのアーティストでリサーチャーのマーヴ・エスピナ、シンガポールを拠点に活動する韓国のキュレーター、キム・ヘジュ、イスタンブールとパリを拠点とするアスリ・セブンが参加している。

国立台湾美術館 外観

「How to Hold Your Breath(息を止める方法)」が呼びかけるもの

今回のテーマであるHow to Hold Your Breath」は、「息を止めないで」、転じて「期待しないで」という意味を持つ「don’t hold your breath.」というフレーズを反転させ、変化はすぐには訪れないという警告と、それでも存在する希望を示唆している。待ち構える不確かな未来に向けて重要な行為を一時停止することで、「いまこの瞬間」に私たちを固定することの可能性を探る、という意図が込められている。

オープニングに際し行われた記者会見で「2024年のアジアン・アート・ビエンナーレは、集団的なキュレーションモデルを採用し、今日の世界とアジアにおける社会、文化、エコロジー、美学、そしてこれらにおける共生のダイナミクスを探求します」と挨拶した方は、「私たちはたんにキュレーションを行うだけでなく、集団的な作業や議論、交流、交渉の場を生み出す対話を促進するために集まった」と説明し、今回の展覧会では各キュレーター独自の視点を維持しつつ「多声的」なプレゼンテーションを展開している、とした。

さらにテーマについては、「『息を止める方法』は、暴力を永続させる可視性の領域やシステムから退き、新たな主体性が生まれうる不透明性のある空間を創出するための呼びかけとしてとらえることができます。私たちはこれを、不確実でまだ定義されていない未来に直面する前の深い潜水と考えています」と話した。

左から、アン・ダヴィディアン、マーヴ・エスピナ、陳貺怡(国立台湾美術館館長)、方彥翔、キム・ヘジュ、アスリ・セブン

作品は通常の展示室に加え、1階のメインロビーや「ギャラリーストリート」と呼ばれる展示室の前の空間など、1階と2階の複数の展示空間を使って展開されている。

美術館のメインロビーでは、丹波良徳によるネオンの作品と、台湾原住民プユマ族のアーティスト、ミレー・マファリウによるインスターレションが来場客を出迎える。中国語で「生存を維持するためにやむえず行う作業」と書かれた丹波の作品は、思い思いに休憩する来場客たちの頭上に吊るされており、ユーモラスな状況を生み出していた。

会場風景より、丹波良徳《Unavoidable Work in Order to Keep Us Alive》
会場風景より、ミレー・マファリウ《The Unseen Presence, Series III: The Coalescing Breath》

展示エリアに向かうと、入り口ではパク・シュウン・チュエン (白雙全)の映像作品《Breathing in a House》が上映されている。ある日、「この部屋の空気を全部吸うにはどれくらいの時間がかかるだろう?」と考えた作家が、10日間かけて、自室の空気を吸い込んでビニール袋に詰め、部屋中を満たしていく様を映した作品。「恵比寿映像祭2024」でも展示されていたので、見覚えがある人も多いかもしれない。キュレーターの方は、本展の「息を止める方法」というテーマと共鳴するものとして、導入にこの作品を持ってきたかった、と明かした。

土地の搾取と所有をめぐる問い

1階の最初の展示室には、土地や大地を様々な方法で扱った作品が集う。そこで扱われているのは、土地の搾取や所有、あるいは土地がどのように帰属意識を生み出すかといった問題だ。

たとえば、ニューカレドニア生まれのアーティスト、ナタリー・ムチャマドの《Breadfruit, Mutiny and Planetarity》は、台湾、ポリネシアの島々、カリブ海をつなぐパンノキの歴史や移動を主題とした作品。パンノキは、英領西インド諸島のプランテーションの奴隷に食料を供給するためにジャマイカへと運ばれた植物で、実だけでなく、花や樹皮も様々に活用されてきた。ムチャマドは、そのパンノキで作られたテキスタイルや紙を用いた作品群や壁に直接書いたテキストを通じて、植民地主義の物語と同時にパンノキという植物の豊かさも描き出す。会期中、観客からパンノキを使った料理のレシピを集め、それらをシェアするワークショップも行われるという。

会場風景より、ナタリー・ムチャマド《Breadfruit, Mutiny and Planetarity》

レバノンのマルワ・アルサニオスは、ベイルートにある私有地を共有の農地にするプロジェクトをとらえた映像作品や、有害廃棄物処理場で見られる生態系を描いたイラストレーションなどを通して、土地と人々の関係や「所有」に代わる土地の扱い方を探求する。作品の一部として、作家が台湾の農家の人々と行った読書会の成果も紹介されている。

会場風景より、マルワ・アルサニオス作品
会場風景より、マルワ・アルサニオス作品
会場風景より、ヒットマン・グルン《‘The Revolutionary Dreams’, Performative Photography Project, from the series “I Have to Feed Myself, My Family and My Country”》

パレスチナのアーティスト、ノール・アベドが故郷の古代遺跡で撮影した映像作品《A Night We Held Between》は、2023年に撮影されたものだという。いなくなった人を恋しがる歌と歴史の積み重ねの上にある土地、そしてそこに生きる人々が織りなす静かで抽象的な映像世界が、この地で紡がれてきた長く豊かな、そしていままさに失われているかもしれない営みを強調する。

会場風景より、ノール・アベド《A Night We Held Between》
会場風景より、シャロン・チン《Portal》

国とアイデンティティ、交差する時代と場所

2階へと進み、最初の展示室で壁一面に並ぶモノクロの写真は、キリ・ダレナの《Erased Slogan》。街頭デモの模様を写した写真のようだが、よく見るとどの写真もプラカードの文字だけが真っ白に消されている。本作は作家が2008年から取り組む、戒厳令によって1970年代に閉鎖されたフィリピンの新聞マニラ・クロニクルのアーカイヴを用いたプロジェクトで、主張が書かれた文字だけを消すことによって当時起こった弾圧を象徴的に再演しようという試みだ。キュレーターのマーヴ・エスピナは、2022年に中国で起きた「白紙運動」とも共鳴する作品だと話す。

会場風景より、キリ・ダレナ《Erased Slogans》

イギリス生まれのタオ・レイ・ゴフは、ジャマイカとニューヨークから香港と深圳に戻った自身の祖父と曽祖父の旅路に光を当て、新作映像作品《Black Pacific, Chinese Atlantic》を発表。家族にまつわる個人的な記録映像とイギリスの植民地支配に関する歴史的なドキュメントが2つのスクリーンで交差し、アフロ・チャイニーズのディアスポラによる帰還の物語を描き出す。またナム・ファヨンの映像作品《2》では、韓国のチェ・スンヒ(1911〜1969)、台湾のツァイ・ジュイユエ(1921〜2005)という2人の女性舞踏家を現代のソウルと台北から見つめ、2人の生きた過去をいまに浮かび上がらせる。

会場風景より、タオ・レイ・ゴフ《Black Pacific, Chinese Atlantic》
会場風景より、ナム・ファヨン《2》

この展示室で存在感を放っていたのが、韓国のソン・イェファンによる《(Whose) World (How) Wide Web》。パソコンの内部を思わせる複数のスクリーンと韓国語仕様の巨大なキーボードを模した造形などで構成されるこの作品では、非英語圏ユーザーの視点から西洋のテック企業が作り出す英語主導のオンライン環境に批判的な視線を投げかける。アルメニアのアーティスト、マシンカ・フィルンツ・ハコピアンも、南西アジア・北アフリカ地域で行われるタッセオグラフィーを学習させたAIを用いた作品などで同様のテーマを追求する。

会場風景より、ソン・イェファン《(Whose) World (How) Wide Web》

本展で複数の作品を発表している丹羽良徳は、ひまわり学生運動直後、台北の路上で偶然出会った100人以上の人に「私が死ねば、台湾も消滅する」とカメラに向かって宣言してもらう様を映した2014年の映像作品を、今回の展示のために台中で新たに制作。映像内では、美術館のある台中の路上で出会った人々が次々に映り、「私が死ねば、台湾も消滅する」というフレーズを繰り返す。国家を定義するものはそこに生きる人々なのか、何が国家を存続させるのか。2024年の台中に生きる多様な人々が口にする宣言は、普遍的な問いを見る者に突きつける。

会場風景より、丹羽良徳《Requesting People in Taiwan Who I Met by Chance to Declare if They Die, Taiwan Will Disappear》
会場風景より、アジザ・シャデノヴァ《Textures of Grieving》

都市の風景と移民労働者の境遇

1階に戻り、美術館の奥へと進むと屋外に面した「ギャラリーストリート」という開けたスペースが広がる。ここには都市の生活や移住・移民を扱った作品が集められている。

垂れ幕のように天井から吊るされたカラフルな作品群は、韓国のイ・ウソンによる新作。バイクに乗る人や道路の標識、食べ物など、作家が台中と台北を旅して出会った景色を描いた絵がパッチワークされて並べられている。色鮮やかなこれらのテキスタイル作品を取り囲むようにして展示されているモノクロの作品は、韓国の都市や路上で肩を組みプロテストを行う人々を描いたもの。その場所で営まれる生活とそこで生きる一人ひとりへの温かいまなざしや連帯が感じられる。

会場風景より、イ・ウソン《Hot Wind》
会場風景より、イ・ウソン《A song for today, not tomorrow》

ドイツ系フィリピン人アーティストのジャスミン・ヴェルナーは、国外で働くフィリピン人労働者が故郷の家族や愛する人に送る小包「Balikbayan Boxes」をモチーフにしたプロジェクトに取り組んでいる。今回は、台湾の移民労働者シェルターと協働してコーヒーやチョコレート、シャンプーといった食料品や日用品などボックスに詰め込みたい品物を選び、それらを積み上げて彫刻作品として展示している。積み上げられた日用品は、実際にフィリピンへ送られるという。背後の展示壁に貼られているのは、フィリピン政府が公開している現在募集中の求人リストだ。

会場風景より、ジャスミン・ヴェルナー《self-supporting》

こうした作品群と響き合うように、トルコにルーツを持つフランスのアーティスト、ニル・ヤルターの1992年の映像作品《I AM》も紹介されている。本作は、「I AM」で始まる文章で自身の多層的なアイデンティティを表現した詩と、1970〜80年代のフランスやヨーロッパの移民労働者たちをとらえた映像で構成される作品。今回の出品にあたり、台湾で活動するフィリピン移民のヒップホップアーティストであるAr~Em Sicat、Angelito、The Thirdとコラボレーションし、本作のためのサウンドトラックを新たに制作した。数十分に1回流れる音楽が、ノマディズムや人種、民族、労働といった複合的なテーマを持つ作品をさらに多声的なものにしている。

会場風景より、ニル・ヤルター《I AM》

自然や人間でないもの、想像の領域に誘う

ギャラリーストリートの奥に並ぶ展示室では、自然や人間の本質を探究するような作品群も並ぶ。

キリル・サブチェンコフは、制御不能な自律的なAIシステムによって紛争がコントロールされる未来を、3つのスピーカーから流れる声の対話によって表現する。地主麻衣子の映像作品《Brain Symphony》は、自身の祖母の認知症や、ハードドライブの故障といった個人的な経験、社会の手段的な記憶喪失といったテーマからインスピレーションを受けた作品で、アクセスすることのできない記憶を持った脳が、無機質な石と重ねられて描き出される。

会場風景より、地主麻衣子《Brain Symphony》

映画監督としても知られるタイのアピチャッポン・ウィーラセタクンの《A Conversation with the Sun》では、作家が日常生活で記録した映像の断片を通して、個人的な記憶を持たない存在の可能性が追求される。日本で今年VR作品として発表された本作は、ここでは映像インスタレーションとして公開されている。

会場風景より、アピチャッポン・ウィーラセタクン《A Conversation with the Sun)》
会場風景より、Ri《Is It Sweet Like Honey?》

本展の最後のセクションである2階の展示室へ向かう。音と光、鏡を組み合わせたインスターレション《Under the Cold Sun》は、2022年の「ヴェネチア・ビエンナーレ」アルメニア代表のアンドリウス・アルチュニアンによる作品。真っ暗な展示室のなかではパイプオルガンが奏でる4つのコードがループで鳴り響いており、鑑賞者が鏡の前に立つと、スポットライトの効果で鏡の中に自分のシルエットだけが浮かび上がる。これまでも「時間」を重要な要素のひとつとして扱ってきた作家は、本作でアルメニアに伝わる神話に登場する2人の悪魔を4つのコードによって現代に呼び出し、それらが西洋音楽の伝統を象徴するオルガンを乗っ取ることをイメージしているのだという。

会場風景より、アンドリウス・アルチュニアン《Under the Cold Sun》
会場風景より、チュオン・クエ・チ&グエン・フォン・リン《Sourceless Waters: White. Shadows.》

パリを拠点に活動するウズベキスタンのアーティスト、サオダット・イズマイロボもまた土着的な文化や神話、民話などに関心を持つ。未完の映像作品《Arslanbob》では、幻覚を引き起こすガスを放出することで知られるキルギスタンのクルミの森を舞台に、人間や人間でない存在、そして想像の世界へと観客を誘う。人間が意識外にアクセスする方法としてガスを吸い込む「呼吸」を扱うこの作品により、本展は世界の別の見方を獲得するための「息を止める」実践というテーマに立ち帰り、展覧会は締めくくられる。

会場風景より、サオダット・イズマイロボ《Arslanbob》

本展のキュレーターのひとり、アン・ダヴィディアンは、この展覧会が「集団的な息詰まりの感覚から生まれた」と述べる。戦争や紛争、民族浄化、ジェノサイドといった現在も世界中で起こる様々な暴力と抑圧に対し、「アーティストたちとともに、無力感に対処する方法が必要だった」という。そこでたどり着いたのが「息を止める」という実践だった。20を超える地域からアーティストが集まった本展では、世界の複雑さを表すかのように、多様な視点や歴史、文脈が交錯する。長尺の映像作品も多く、とても1日では十分に見切れないボリュームだが、一つひとつの作品とじっくりと向き合うことで、不確かな未来と向き合うための可能性の断片を見出すことができるかもしれない。

後藤美波

後藤美波

「Tokyo Art Beat」編集部所属。ライター・編集者。