アーツ前橋の開館10周年記念展「ニューホライズン 歴史から未来へ」が10月14日に開幕した。国内外30組のアーティストが参加し、同館のみならず、街中や廃墟ビルに88点の作品を展示する大規模な企画展だ。会期は2024年2月12日まで。
アーツ前橋は2013年、市中心部の商業施設を改修した市立美術館として開館した。「創造的であること」「みんなで共有すること」「対話的であること」をコンセプトに掲げ、住友文彦前館長(2021年3月退任)のもと様々な展覧会やアートプロジェクトを行ってきたが、2020年に借用した作品の紛失を発表(その後、市と作家遺族は和解)。出展アーティストに対する契約違反も判明し、館の運営やコンプライアンスが問題視された。今年新たに特別館長に南條史生、館長に出原均を招き、チーフキュレーターに宮本武典が就任して再出発を図るなかで開催されるのが本展となる。
芸術監督を務める南條は、森美術館館長(2006~2019)や数々の国際芸術祭のディレクターを歴任してきた国際派のキュレーター。「次の10年」へ向かっていく思いを込め、本展を「新しい地平線(ニューホライズン)」と命名した。開幕前日に行われたプレス内覧会で、南條は次のように語った。
「本展では、新しいテクノロジーを使った作品、いままさに活躍する新世代の作家やユニークな外国作家の作品を紹介している。アートの面白さや多様な形態、そこに組み込まれた創造性を味わってもらえたらと思う。作品が見せる新しい風景や自然は、次の時代の社会や産業を作りあげていくクリエイティブな発想の源になる。前橋に新しい風を起こしたい思いを込めて、本展を構成した」
メイン会場のアーツ前橋では、18組の作家による絵画や彫刻、映像作品、インスタレーションを展示。1階のエントランスでは、抽象と具象を行き来しながら謎めいた人物像を描く五木田智央、マルチな文化的要素を日本画を思わせる平面的なイメージに構成する松山智一、火薬を使った作品で世界的に活躍し日本とも関わりが深い中国の蔡國強らの絵画が並ぶ。
一見すると、絵具を分厚く盛り上げて描いたように見える武田鉄平の人物画。近づいてよく見ると、それが絵具の立体感を含め精緻に描かれたトロンプルイユ(騙し絵)ふうの絵画だと分かる。「五木田作品と同様、武田の作品も人物の顔が潰れたように表現され、いまの時代を生きる不特定多数の人間の苦悩を感じさせる」(南條)。
元百貨店を改修したアーツ前橋はユニークな展示空間を持つ。地下へ降りる階段の梁上から鑑賞者を迎えるのが、小便小僧の彫像を模した袴田京太朗の《ジュリアンーScatter》。くすりと笑える姿に心がなごむ。天井からは、作家自身の家族の「遺伝」をモチーフにした色鮮やかな人体像も下がり、開放感がある空間に彫刻による人間の気配が生まれている。
青色LEDの光を受け妖しく発光する女性の衣服。スプツニ子!の《トランスフローラ》は、バイオ技術を使い、ホタルイカの遺伝子を挿入して品種改良したカイコの生糸を用いている。生糸は養蚕技術がある前橋で育てられたもの。先端技術を駆使する作品を手がけるスプツニ子!は、この地とゆかりが深い作家のひとりだ。
大小のサイズの、年齢も衣服も違う人々の群れがびっしりと白い砂の上に並ぶ。イエメン生まれでロンドンなどを拠点に活動するザドッグ・ベン=デイヴィッドの《出会ったことのない人々》は、金属シートを切った6000個の人間像で構成したインスタレーション。着物やサリー姿の女性も見え、国籍や人種を問わず、日常を生きる普通の人々の多様な姿が表現されている。
「本作には、人間同士のコミュニケ―ションというグローバルな課題が含まれている」とデイヴィッドは話す。SNSの浸透や新型コロナウイルス感染症のため、人間同士の直接交流が疎外されがちな現在。その状況に一石を投じるヒューマニズムと鋭い人間観察を感じさせる作品だ。
中盤は、世界的な巨匠の作品群が見どころ。ビデオアートの先駆者で人間精神を探求するビル・ヴィオラ、哲学的な光のインスタレーションを制作するジェームズ・タレル、自然現象や気候変動をモチーフとするオラファー・エリアソンの作品を紹介する。それぞれの作品はゆったりと展示室に配され、アートの可能性を押し広げた彼らの表現と世界観に浸ることができる。
評価を高めている新星の絵画表現にも注目したい。1990年生まれの川内理香子は、大胆なストロークで人間の姿や身体の内側を抽象的にあらわした16点を出品。「湧きあがった人体のイメージを瞬間的に画面に落とし込んでいる」という。川内と同年生まれの井田幸昌は、友人をモデルにした3点の肖像画を展示。人物の内奥をあぶりだすような荒々しい筆致と多層的にうねる強い色彩が印象的だ。井田は現在、美術館で初めての個展が京都市京セラ美術館で開催されている。
巨大な軟体生物のようにうねりながら、刻一刻と色相を変える粒子状の集合体。横9m縦3mのLEDスクリーンに映し出されるレフィーク・アナドールの《LAの風/太平洋/カリフォルニアの風景》は、自然の美しさや生命力、恐ろしさを圧巻の映像美で伝える。トルコ出身のアナドールは、データと機械知能(AI)を用いる作品で知られる世界的なメディアアーティスト。数億枚に及ぶ自然の画像が使われた本作では、鑑賞者は映像に飲み込まれるような没入感を得られるだろう。
アーツ前橋を出て、市街地で行われている展示へ。アーケード商店街の中央通りに足を踏み入れると、巨石を思わせる物体がふわりと雲のように浮かんでいる。タイで仏教僧として過ごした経験を持つハワイ在住のアンドリュー・ビンクリーによる《Stone Cloud》。この場に合わせて設置したサイトスペシフィックな作品で、絶え間なく変化する自然に対する畏敬を込めたという。
メディアアーティストの木原共は、AR(拡張現実)を用いた体験型の作品《Future Collider》を商店街に設置。来場者は専用アプリで未来の看板や交通標識を作り、現実の風景とドッキングさせることができる。新聞紙とガムテープを使った彫刻を手がける前橋市出身の関口光太郎が、子供たちと共同制作する大きな「辻神」の像も街角に出現。身近な素材を使い、自由に想像を羽ばたかせるダイナミックな造形は、祝祭感や創作への関心を盛り上げてくれそうだ。
様々な領域とのコラボレーションを行う劇団マームとジプシーを主宰する演劇作家の藤田貴大。今回、劇団とともに初めてアート作品を制作した。展示場所は、老舗百貨店スズラン前橋店の新館。化粧品や雑貨が並ぶ店内を通り、3階の特設会場へ向かう。
インスタレーション作品《瞬く瞼のあいだに漂う》は、序章と幕間に挟まれた5つのシーンで構成されている。前橋に生まれ北海道で育った藤田は、かつてここで暮らした母や祖父母の思い出を辿りながら、映像作品やコラージュ、音声、詩句のようなテクストを制作した。それらを記憶の断片が浮かび、現代の街の景色と混ざり合うように展示。同じ会場で、本作にちなむマームとジプシーの演劇公演も行う。
繁華街に立つ廃ビルのHOWZE(ハウゼ)は、入口にある手の彫刻にちなみ「グーチョキパービル」と呼ばれる7階建て。ここでは5組の作家が展示を行っている。
写真家の蜷川実花は、元キャバレーだったフロアを会場に使い、十数個のブラウン管やガラスボックスに映像が揺らめく《Breathing of Lives》を制作。映像は、都会の街並みやネオンサインきらめく夜景、川の流れを映し出し、バブル期の残り香が漂う造花や調度品が室内に飾られている。映画監督でもある蜷川の、映画の一場面のような濃密な気配が漂う空間だった。
ビジュアルデザインスタジオ・WOW(ワウ)は、電球と鏡が林立する会場のある地点に鑑賞者が立つと特異な視界が開ける体験型インスタレーションを設置。パンクカルチャーに根差す表現を行う書家のハシグチリンタロウ、日本のモチーフを取り入れたアニメーションを手がけるカナダのマッド・ドッグ・ジョーンズ、川内理香子の作品が並ぶフロアもある。アーツ前橋に絵画を出品している川内は、こちらではネオン管を使った彫刻作品を披露している。
アーツ前橋だけでなく、徒歩圏内の様々な場所で作品を展開し、“ミニ芸術祭”のような趣がある本展。アーティストによる公開制作やワークショップのほか、アートと親和性が高い施設(白井屋ホテル、まえばしガレリア)を回る街歩きツアーなど、気軽に参加できるプログラムも多い。過去に不祥事は起きたが、「街に開かれた美術館」の理念は健在だと感じる充実した展覧会だ。足を運んで、館の再生と進化を後押したい。