アーツ前橋で企画展「リキッドスケープ 東南アジアの今を見る」が9月21日に開幕した。会期は12月24日まで。ディレクターはアーツ前橋の南條史生特別館長、担当キュレーターは同館の高橋由佳。
急速に経済発展と都市開発が進む東南アジア。本展は、同地域の変動する社会、文化状況を「リキッドスケープ(流動する風景)」と名付け、6ヶ国(タイ、インドネシア、カンボジア、シンガポール、アフガニスタン、パキスタン)12組の22作品を4章構成で展示し、多面的でとらえがたい東南アジアを見つめ直す機会を提供する。参加作家のうち8組を1980年代以降に生まれた若手が占め、5人の女性作家が含まれているのも特徴だ。
南條はプレス内覧会で、国際展である本展を企画した意図を「前橋のまちを、国際的なアートマップの中に位置付けたい」と説明。近年国内で開催された東南アジア現代美術展としては、2017年に東京の国立新美術館と森美術館が共催した大規模な「サンシャワー」展がある。当時森美術館館長だった南條は「本展は、サンシャワー展の後をカバーするような意味合いでより若い世代の作家を意識的に集めた。本展を第一歩として、将来的にアジアとつながりを保って展覧会プログラムを当館は作っていきたい」と抱負を述べた。
第1章「もつれあう世界」は、インドネシア・ジョクジャカルタを拠点とするコレクティブのゲゲルボヨ(Gegerboyo、結成2017年)による赤を多用したインスタレーションで始まる。同地のジャワ文化の成立過程を歴史上の5つの時代に分け、絵画や版画、ロウケツ染めなど多彩な手法で表現した本作は、今回前橋で滞在制作した。第二次世界大戦中の日本占領期を含め「他文化の侵入と、その受容や対立、相互作用の中でジャワ独自の文化が醸成された軌跡を伝えたい」と女性メンバーのアンジャリ・ナイエンギッタ(Anjali Nayenggita)は話す。
タイのジャッガイ・シリブート(Jakkai Siributr)は、織物状の作品2点を出品。いずれも新型コロナウイルス感染症が蔓延した時期に首都バンコクで売られた、古着を解体して作られた無数のマスクでできている。同国に限らず、コロナ期に起きた悲劇や失策を想起させる普遍性がある作品と言える。
ここから階段を下りて地下の展示室へ。会場は、鑑賞者が流動的な東南アジア世界の中へ潜航して作品を巡るようなイメージを意図して展示構成がされている。
展示室に満ちる声、声、声。シンガポール出身で東京都現代美術館が今春開催した個展も記憶に新しいホー・ツーニェン(Ho Tzu Nyen)は、2017年から継続して制作する映像シリーズを再構成したインスタレーションを発表した。26のチャンネルに東南アジアに関連するAからZまでの用語とイメージ映像がアルゴリスムにより自動編集・再生され、それぞれ音声も一斉に流れている。
東南アジアの歴史的出来事や思想に、アーカイブ映像やアニメーションを用いる演劇的手法で肉薄してきたホー。本作を「絡み合う音により、東南アジア世界のもつれや多層性をいっそう体感してもらえるのではないか」と話した。共通の言語や宗教がなく、国の成り立ちも政治形態も多様な東南アジアの複雑さを会場で再認識させられる。
第2章「発展のその先に」は、加速する開発主義により損なわれる自然や伝統に着目した2つの作品を展示。シンガポール出身のチャールズ・リム(Charles Lim)の映像作品は、1990年代から埋め立て造成された人工島の石油備蓄施設にフォーカスした。巨大な空洞めいた施設と自然そのままの海洋が、SF的なコントラストを見る者に突きつける。
鈴が鳴ると通路のパネルが上下し、行く手を阻まれたり、路が開けたり。そんな体験型の「変化し続ける迷路」を作り上げたのは、建築のバックグラウンドを持つタイのウィット・ピムカンチャナポン(Wit Pimkanchanapong)。モダンでミニマルな外観を持つ本作は、旅行中にタイ東北部で出合った仏教に根差す伝統的な迷路作りから着想を得たそうだ。
「迷路は西洋の文化だと思っていたが、違っていた」と作家。「悟りへの旅」が託された迷路は、行く末が見えない国と世界の現状を暗示しているように思えた。
タイ65位、インドネシア100位、カンボジア102位。これは世界経済フォーラムが146ヶ国を対象に発表した2024年のジェンダーギャップ指数の順位だ(なお日本は上記3国を下回る118位)。第3章「女性性のカウンターナラティブ」は、男女平等の実現が遅れる現状に対し「抵抗する物語(カウンターナラティブ)」を提示する4組の女性作家を紹介し、大きな見どころとなっている。
本展担当キュレーターの高橋は「社会の中で周縁的立場に置かれる女性の視点から、新しい世界を再構築する想像力を持ち、現在のシステムや社会規範に疑問を投げかける挑戦的な作家に参加してもらった」と述べた。
タイのカウィータ・ヴァタナジャンクール(Kawita Vatanajyankur)は、自身の身体を掃除機など家事道具に見立てて動きを再現するパフォーマンスの映像作品を6点出品した。歪む顔や不自然な体勢は痛々しく、被虐的にすら映るが、対照的に背景は商業広告のようにカラフルでポップ。おもに女性が担ってきた家事労働の過酷さと、見えにくさに気づかされる。
インドネシア・バリ島出身のチトラ・サスミタ(Citra Sasmita)は、ロンドンのバービカン・センターで来春個展が開催される世界的な注目株だ。バリに伝わる平面的画法カマサン・スタイルを駆使した作品は、一見伝統的な図柄にように見えて、じつは女性性を巡る独自の神話世界として描き直したもの。作家が作り上げた増殖・分裂する頭部や器官を持つ女性像は、女性に対する既存の「美」の規範を無効化するようなパワーがある。
同じくインドネシア出身のナターシャ・トンテイ(Natasha Tontey)は、先住民族ミナハサ族の男性を象徴する儀式を少女たちが演じ、成長していくクィア的な世界観の映像作品をピンク色のファンシーな小部屋に展示した。
クメール語で「河を渡る」と表現される出産。近代化以前は女性が命を落とす危険性をつねに伴ったこの営みを、カンボジアのメッチ・チョーレイ(Mech Choulay)とメッチ・スレイラス(Mech Sereyrath)姉妹は、映像と写真作品で表現した。流れにたゆたい、悶えながら土の塊を産み落とす怪人の姿は、神聖視される出産の危うさやグロテスクな側面を象徴的に伝える。
最終章「漂流、ループ、循環」では、流動的に変化する東南アジア世界を受容しつつ立ち向かう、難民を含む3組の作品を紹介する。
東南アジアに属さないパキスタン出者のハーディム・アリ(Khadim Ali)、同様に域外のアフガニスタン出身のムムターズ・カーン・チョパン(Mumtaz Khan Chopan)、アリ・フロギー(Ali Froghi )、ハッサン・アティ(Hassan Ati)が共作した映像作品《ヴォイス・アンド・ノイズ》。8チャンネル構成の本作は、彼らが難民として過ごすインドネシアでの体験に基づき制作された。読書や編み物など日常的な行為を繰り返す演者は、手以外の全身が黒いヴェールで覆われ、難民が不可視化される現状を静かに告発する。
今回が国際展初出展となるタイのナウィン・ヌートン(Nawin Nuthong)は1993年生まれ。ゲームやミーム文化などのインターネットカルチャーを引用し、母国の神話や伝説を融合させたデジタルアートを手がける。展示作品は、タイの揺れ動く政治状況や変革直前の状況を、つながりつつ個々にうごめくセルに託し、1秒8コマのアナログ感があるアニメーション画像に仕立てた。
ラストを締めくくるのは、ニューヨークとバンコクを拠点に活動するコラクリット・アルナーノンチャイ(Korakrit Arunanondchai)の《From Dying to Living》。広い展示室を丸ごと使い、3つの画面に映像が同時に投影される巨大な映像インスタレーションだ。2021年に制作した2つの映像作品を、今回アーツ前橋の空間に合わせて作家が再構成した。
バイクで疾走する異形の天使、脈打つ心臓、燃え上がる焚火……。幻想的なイメージがスピード感に溢れて連なり、生と死にまつわる物語が紡がれていく。1986年生まれでビジュアルアーティスト、ストーリーテラーとして世界的に注目されるアルナーノンチャイ の、圧巻の映像美と世界観を心ゆくまで堪能できる空間になっていた。
地政、歴史的に日本とかかわりが深く、多くの出身者が日本国内に暮らす東南アジア。その特性や課題と向き合った作品群は、私たちが「どう生きるか」を考え、隣人たちを深く知る手掛かりにもなりそうだ。そのただ中にダイブインしてみたい。