2020年以降、借用作品の紛失とアーティストへの契約不履行という2つの不祥事が発覚したアーツ前橋。いずれの問題も今年、前橋市が被害者に賠償金を支払い、和解するかたちで決着した。しかしながら、両事案の調査で学芸員としての職業倫理に疑義が呈された住友文彦前館長が教授を務める東京藝術大学に対し、現代美術家の労働組合「アーティスツ・ユニオン」が意見書を提出し、学生が大学側に説明を求めるなど、疑問はくすぶり続けている(これまでの経緯は以下の記事を参照)。
こうした流れを受け、Tokyo Art Beat編集部は6月27日、東京藝大の日比野克彦学長と住友教授が所属する同大学院国際芸術創造研究科長の熊倉純子教授、総務課広報係に対し、6項目からなる質問を送り、7月10日に回答を得た。内容は以下の通り(住友前館長の肩書は教授で統一、注記は本稿筆者による)。回答に対する専門家のコメントも紹介する。
(質問1)
住友教授は本年4月から教壇に復帰しました。職掌に関わる能力や倫理観に疑義が持たれている同氏に対し、貴大が処分を行わなかった理由をお教えください。また、貴大が住友教授に聞き取りを行った回数と延べ時間、どのような形式で実施されたかをお教えください。
(回答1)
アーツ前橋で発生した作品紛失及びその後の対応等の詳細については、報道や「アーツ前橋作品紛失調査委員会」の報告書等により知りました。本学は直接的な当事者ではないため事実関係の詳細を知り得る立場になく、公開された報告書及び作品紛失の当事者である前橋市が詳細を調べた上で住友教授に訓告処分を行ったこと等を鑑み、法令、本学就業規則、職員懲戒処分規則等に照らし、検討し、判断しました。また、今後、職務外の行為において新たな事実があった等の公的な報告がなされた場合や、本学の諸規則に違反した場合等は、その事案について公正かつ中立な立場で事実関係を確認し、判断していきます。住友教授に対する聞き取りについて、昨年度は体調不良のため叶いませんでしたが、4月以降は住友教授への教員からの聞き取りは適宜行っております。
【注記】
前橋市が設置した有識者による作品紛失調査委員会が2021年3月に公表した報告書は、住友前館長(当時東京藝大准教授を兼職)が紛失隠蔽の説明を検討していたと指摘。報告書を受け、市は住友前館長ら5人を訓告処分とした。住友前館長は従前の予定通りに同年3月末に退任し、翌4月に同大教授に昇格。同年10月から本人が申し出てて学内外の活動を休止していた。
(質問2)
作品紛失を受け、熊倉教授は貴大ウェブサイトに「アーツ前橋の事案に対する当研究科の対応方針」(2021年10月11日付、以下「対応方針」)を掲載し、学内に「検証委員会」の設置を言明されました。その後、当該ページは削除され、「キュレーション教育プログラム」と冠した検討委員会が設置されました。方針を変更した理由とページ削除の理由及び責任者をお教えください。
(回答2)
ご指摘の「対応方針」は、検討委員会の報告書の中にリンクを示すことで、全体の経緯を明らかにすることに努めております。ご指摘の「対応方針」を削除したという認識はありませんが、リンクが開かなくなっていたようで、大変失礼いたしました。早速修正の対応をいたしました。 また、当初「検証委員会」と表記しておりましたが、今回の検討の主旨は、学内の専門家が集まって「この事案をどのように把握し、対処すべきか検討すること」(報告書より)であったため、「検討委員会」と称することが適切であると判断した次第です。
【注記】
学科長の熊倉教授による「対応方針」は、同大大学院国際創造研究科アートプロデュース専攻(以下GA)のホームページに掲載され、作品紛失は「我が国唯一の国立芸術総合大学として看過できない問題を多く含んでいる」として、大学でも調査を行う検証委員会を設けると記載。その後、当該ページは見えない状態になっていたが、7月10日現在、復活している。同方針を受けて発足した「キュレーション教育プログラム検討委員会」は、学内教員9人で構成され、2022年2月~11月に計5回開催。当時GA教授の長谷川祐子(現・金沢21世紀美術館館長)やアーツカウンシル前橋統括責任者の友岡邦之・高崎経済大学教授らを招いてレクチャーや意見交換を行い、行われた議論をまとめた報告書を今年3月発表した。
(質問3)
「キュレーション教育プログラム検討委員会」の枠組みについてお教え願います。アーツ前橋の現状に詳しい専門家は招聘されなかったようですが、どのような基準で聞き取り(レクチャー)対象を選ばれましたか。前橋市やアーツ前橋に問い合わせや情報提供は依頼されましたか。また、検討委員会として住友教授から話を聞く場は設けられましたか。
(回答3)
「キュレーション教育プログラム検討委員会」は、住友教授の作品紛失問題を契機として、日本の美術館・博物館をめぐる学芸員やキュレーターの在り方や、キュレーターが持つべき専門的知識など、キュレーション教育分野に関わる諸問題を議論するために設置されました。また、委員会委員は、それぞれ専門的な立場で、状況や事実関係の解析、分析等ができ、教育現場に提言できる者で構成しました。ゲストは、広くキュレーションを取り巻く現状を把握するため、また本事案を把握、対処するために、美術館運営の専門家、 学芸員、キュレーション、前橋の文化芸術政策関係者を選びました。アーツ前橋の事案そのものに対する検討は、前橋の文化芸術政策関係者による聞き取りや、すでに公開されていた文書(情報公開請求により開示された700頁に及ぶ文書を含む)を中心に行いました。住友教授への聞き取りについては、一昨年(2021)度は研究科長による面接などをしていましたが、 昨年(2022)度途中から体調を崩しており検討委員会にて聞き取りができる状況にはなく、事案に関する見解はすでに公開されている文書を参考するにとどめました。
(質問4)
作品紛失とほぼ同時期にアーツ前橋で起きた、出展アーティストとの契約違反問題を貴大は把握していましたか。本件について、住友教授への聞き取りや検証を行う予定はありますか。
(回答4)
委員会では作品紛失の問題に限定して検討をおこなっており、こちらの案件について、必要に応じて住友教授から状況を聞くなど大学として状況把握に努めて参ります。
【注記】
アーツ前橋による出展アーティストとの契約不履行問題は、2022年11月以降、地元新聞や全国紙、デジタル媒体が報道。市は今年3月、アーティストの山本高之に謝罪と損害賠償を行い、同館が制作を打ち切ったため遅滞した展覧会の記録集を発行した。
(質問5)
学生に指導を行う立場の住友教授が学芸員のコンプライアンスに関して、二つの事案(作品紛失及び契約違反)で疑義が持たれている現状への貴大の見解をお教えください。また、学生有志より住友教授から直接説明を聞きたいとの要望が出されていると聞いていますが、そうした学内の動きに対して、どう対応しているかをお教えください。
(回答5)
今回の事案においては、美術作品や関連資料の収集、整理、保管管理、これらにかかわる法律知識、コンプライアンス、キュレーター職業倫理、適切な情報公開等、キュレーター教育研究のあるべき姿を構築すべく引き続き議論を重ね、次世代を担う人材の育成を目指していきたいと考えています。 住友教授は講義の授業は行っていますが、学生有志からの要望に関しては、体調が万全でなく実現できていません。しかしながら、住友教授から「体調をみながら、少人数規模での説明の対応はぜひ行っていきたい」との回答を得ております。 このような学生との対話の場が開かれることが急務であることは、住友教授と認識を共にしております。
(質問6)
今回のように教職員と学外の組織・団体との間で問題が起きた場合、貴大の責任についてどうお考えかをお聞かせください。
(回答6)
学外の組織・団体との間で問題が起きた場合は、基本的に当事者間で解決すべきと考えます。しかしながら、今回の事案のような問題に対して、事実を多面的に捉え共有し、真摯に議論し、対話を繰り返す場が大学です。また、大学は、このようなことが起こらないように人材を育成する場でもあります。広く高い視点を持ち、あるべき姿を構築すべく議論を重ね、次世代を担う人材を育成することが大学の使命であると考えます。
東京藝大の回答により新たにわかった、もしくは確認できた主な点は以下となる。
・大学は2022年度に住友教授への聞き取りができなかった。
・一時閲覧できなかった「対応方針」リンクは、削除した意図はなく、今回の質問により不具合を修正した。
・アーツ前橋や市に対し、作品紛失の経緯は直接問い合わせしなかった。
・アーツ前橋で起きた契約不履行事案の状況把握はこれから
・住友教授は講義を行っているが、学生からの説明要望には対応できていない。住友教授は「体調をみながら、少人数規模での説明の対応はぜひ行っていきたい」としている。
・東京藝大教職員と学外組織・団体との間で起きた問題は、「基本的に当事者間で解決すべき」
東京藝大の回答を、当事者や識者はどう見るだろうか。アーツ前橋の契約不履行により被害を被ったアーティストの山本高之は次のように話す。
「大学は、昨年末から新聞等でも報道されている記録集未発行事案に関してきちんと調査し、組織としての見解を社会に対して示してほしい。それが、『事実を多面的に捉え共有し、真摯に議論し、対話を繰り返す場』を守る唯一の方法だろう」
文化政策を研究する小泉元宏・立教大学教授は、文章でコメントを寄せた。小泉は東京藝術大大学院で学んだ社会学者。アーツ前橋による契約不履行のため発行が大幅に遅れた山本の展覧会の記録集に寄稿し、本件の経緯に詳しい。
「本件および作品紛失問題に向き合うために本質的に求められるのは、アートを支える構造・制度が作り出す(ないし、それらを支える)、アート界の権力や排除をめぐる認知的、あるいは情動的な眼差しの問題を認識し、変えていくための実践ではないだろうか。『キュレーション教育研究センター』等を設置する東京藝大の対応は、キュレーションに関わる諸課題について学生が学ぶための一定の有効性を持つようにも見える。アーツ前橋の特別館長・新館長の設置、任命等を通じた改革も行われている。しかし、このような個々の構造・制度的な改善を踏まえても、(アーツ前橋とは別組織にも関わらず)藝大に対して説明を求める要望や、説明責任を問う声が一部から上がっている。その背景には、機関ごとの個別対応がなされても、一部の作家や作品、学生らよりも、芸術の正統性や組織の維持を優先する芸術制度や大学制度に通底する眼差しは変わらず、同様の問題が場所を超えて再び起こりうるのでは、という危惧も存在するからだろう。必要な説明や対話と合わせ、(自らを含む)アート界や現代社会が内在化している眼差しの問題と共に、本件を考えることが重要ではないか」
広島市現代美術館副館長や金沢美術工芸大学教授などを務めた美術評論家の小松崎拓男は次のように語った。
「東京藝大の回答書からは、一連の問題に真摯に向き合っている印象は持てなかった。事実確認を行う検証委員会が、途中でキュレーション教育プログラム検討委員会に変更されたことも問題意識を逸らしたように思う。当初の『対応方針』では、ことの重大性を認識していたにも関わらず、検討委員会は積極的な調査は行わなかったようにも見える。それは、『当事者ではない』という傍観が大学にあるからではないか。確かに大学は作品紛失と記録集未発行という2事案の当事者ではない。しかし、学芸員資格を付与する教育機関であり、大学の教育内容と深い関わりがあるにもかかわらず、その様々な疑問に対する回答は発表した報告書の中にほぼない。また、作品紛失後に住友教授が出した『意見書』は謝罪より弁明が主になり、自分たちに大きな非がないとの立場を取り続けているように見える。これでは、重大事故を起こしたパイロットが、責任を取ることもなく、事故の原因究明もなおざりにしたまま、指導教官としてパイロット志願者を指導するようなものだろう。学生に不安を与え、教育内容の信頼性を大きく阻害している。大学は学生の不安を払拭し、その教育内容の信頼を回復するためにも、学芸員としての職業倫理や能力に疑義が持たれている住友教授を教壇に復帰させた理由を学内外に説明する必要がある。東京藝大は、キュレーターだけでなく、作家が育つ場所でもあり、日本の文化の根幹を担う人材を育成してきた。今回の大学の対応がこのままでは、アーティストの側から見ても、また藝大を志望する未来のアーティストたちにとっても、その教育に対する信頼を大きく損なうことになるのではないか」
美術批評家で沖縄県立芸術大学准教授の土屋誠一は、「東京藝大の形式的な回答を読んで、大学関係者のひとりとして、暗澹たる思いを感じざるを得ない」としたうえで、以下のようにコメントした。
「個別具体的な責任問題に対して、一般論で回答することに恥じらいを感じないのだろうか。アーツ前橋および前館長の住友教授をめぐる諸問題は、個別具体的な事案である。東京藝大は、前橋市と住友氏の当事者間の問題であると、傍観者の立場を決め込んでいるわけだが、本来であれば、同じく『芸術』の、とりわけマネジメントの問題に関わる点において、住友教授の東京藝大での教育活動と切り離すことができないはずだ。たとえば、ある人物が、非常勤講師先でハラスメント行動が問題視された際、その人物の本務校での責任が問われないことがあり得ないように、ミュージアムも大学もともに教育研究機関であるという点を鑑みれば、組織が違うからといって、東京藝大がわれ関せずというスタンスを取るのは、成り立たない。こうした応答で大学組織として是とするならば、世間的には、大学もミュージアムも芸術活動もなにもかも、信頼を喪失するであろうという点において、芸術や大学に関わる私もまた他人事ではない。それゆえに、この回答でやりすごせると東京藝大が考えているのならば、真摯に芸術をめぐる活動に取り組んでいる関係者にも悪影響を与えるだけなのは明白である。東京藝大には、真摯な回答を改めて求めるところだ」
最後に東京藝大に質問した理由を補足説明したい。現代社会の問題の多くは、個人の資質や能力などの属人的部分と、取り巻く環境やシステムが絡み合って起きる。重大事案が起きたときに関係組織が設置する、たとえば検証委員会などは、どの部分が「人災」に相応し、どこまでが「起きるべくして起きた」かを、いわば「腑分け」する視点が求められる。そのことで初めて個人の責任と構造的問題を切り分け、有効な再発防止策を講じることができるからだ。
しかし、東京藝大が発表した検討委員会の報告書は、そうした視点は窺えなかった。報告書は作品紛失の経緯確認と公立美術館を取り巻く環境の概論的分析、今後の方針が主たる内容で、議論の中身や判断の根拠は不透明な部分があると感じられた。その後に発覚した契約不履行事案についても大学がどう対応しているかがわからなかったため、質問を提出した。アーティスツ・ユニオンによる意見書提出や学生から説明を求める声が上がるのも、現状の「不透明さ」のゆえだろう。回答した東京藝大に謝意を表すとともに、今後の対応に再考を求めたい。