みなければ良かった!いや、見て良かった。またこよう。何度かそんな複雑な思いになる展覧会に出会ったことがありますが、これはまさにそんな展覧会でした。「見なければよかった。」と言うのは、自分にとても近い感覚を持ち、それを見事に表現しきっている展示に対して嫉妬を込めた感情です。もしくは影響を受けてしまうのを畏れていると言った方が妥当かもしれません。「見てよかった。」は、そのまま素直に人生でこの展覧会に出会えてよかったという気持ちです。
アネット・メサジェは1943年の北フランス生まれの女性作家です。日本では(なぜか)あまり知られていませんが、彼女はフランスを代表する現代美術家の一人です。彼女が作家活動を始めた後に生まれ、アジア人でもある私と彼女の間には、地理的にも時間的にも共通点は少ないです。それを踏まえても、やはりアネットの感覚に同時代的に共感し、深い驚きがあります。軽やかさのバランス感覚が「今」を描いているような気分にさせます。
作品にはある程度の消費期限があると私は考えています。物理的な耐久年数のことではありません。価値の問題です(価格はまた別の話で!)。なぜなら作品は理解されて、初めて価値がうまれるからです。「理解」は人間がすることなので、その時代の文化や風俗が強く影響します。ニアイコールな永久があるかもしれませんが、本当に永久に理解され続ける作品が現れたら、それは人間の時が止まってしまうような事態かもしれません。そんなことがあったなら…芸術の意味が無くなってしまうのと同じかもしれません。
話は少し逸れましたが、作品にはそれぞれ消費期限があり、それは10年だったり3年だったり、100年、300年…とその作品の強度によります。その強度がアネットの作品には強く、70年代に作られたものが、まさに「今」を生きて、私たちに同時代的に訴えかけてきます。見た目には儚いモノたち、壊れたぬいぐるみや不安定なコラージュたちが息をしつづけられるために、芸術家は様々な策をこらしています。
その策がどんなものかは、私にはわかりません。ただ、彼女は意識しながら、日常や個人的な想いや感情を表現しようと試みています。個人的な感情のうすっぺらい部分や深い部分を、いつまでもまばたきもせずに見続けて、見続ける意味さえも露出過多で飛ばしてしまったような、柔らかく大きな世界観をつくりあげています。
「アネット・メサジェ:聖と俗の使者たち」は、2007年6月にパリのポンピドゥー・センターでの展示に始まり、フィンランド、韓国を巡回し、日本の森美術館にやってきました。広い展覧会場はまるで回顧展のようですが、彼女は今回の森美術館の展示を「パノラマのよう」だと言います。年代順に作品を見せるのは好きではないのでパノラマのようにしたと言います。
ポンピドゥーでは一階から展示が始まるので体内にいるような気分で設置をできたけれど、六本木の50階を越えるビルの上はまるで空の上のようで、最初は設置できるか不安だったようです。しかし3週間におよぶ設置期間を経て、彼女は素晴らしい空間を私たちのまえにあらわにしてくれました。小部屋を覗くような仕掛けのコレクションたち、部屋の隅に昔からいたようなぬいぐるみたち、あふれ出る感情や無意味な欲望が、パノラマに展開しています。
アネット・メサジェの散りばめた、いたずらのような罠のような作品たちの不思議を、高速エレベーターをぬけて、また確かめにいこうと思います。
yumisong
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