19世紀の画家、アルベール・アンカーの絵画に描かれているのは、故郷スイス・インス村の人々の日常風景である。モデルのほとんどが10歳前後の少女たち。昔話からワンシーンを切り取ったような、美しい情景である。美しいばかりでなく、懐かしい思いにもさせられる。はじめて目にする絵画なのに、前にもどこかで見たことがあるような感覚にとらわれる。
写真のようにリアルに切り取られた日常の風景だが、本当は現実よりちょっぴりズラされて(美化されて)描かれているのかもしれない。農家の貧しい子供たちがいる風景も、中産階級の裕福な家庭の子供たちのいる風景も、おなじ穏やかさと明るさと静謐さをもって描かれているのだ。
子供たちはだれもが、凛とした表情をしている。「髪を編む少女」「スープを飲む少女」「あやとりをする少女」「編み物をする少女」「ドミノゲームをする少女」…。このようにタイトルには、少女たちの具体的な名前が出てくるわけではない。少女たちの仕種や日常のシチュエーションは、現代の子供たちの姿にも通じるものがあって親しみが湧く。
とても遠い世界のようでいてとても身近に感じられる世界。私は展示室に入った瞬間から、以前にもどこかで見たことがある絵のような懐かしい感覚に包まれ、吸い込まれていった。はて、どこで見た絵だったかと、途中で何度も足を止めては思いをめぐらしてみた。だがその絵を見るのは確かにこれがはじめてのはずである。そう思えたのは、額縁の中の世界が、かつて幼少の頃に読んだ童話の世界と一瞬重なって見えたからかもしれない。あるいは少女たちの仕種が、幼い頃の私自身の姿に重なって見えたのかもしれない。いずれにしてもアンカーの絵は、無意識下の深いところに眠った記憶の何かに働きかけてくるのだった。