公開日:2022年7月8日

アメリカ現代社会の物語を示唆する写真。神奈川県立近代美術館 葉山「アレック・ソス Gathered Leaves」レポート

国内美術館では初の個展。「Sleeping by Mississippi」「NIAGARA」など、現代のドキュメンタリー写真を牽引するアレック・ソスのシリーズが集結

アレック・ソス ビル、オハイオ州サンダスキー 2012 「Songbook」シリーズより © Alec Soth, courtesy LOOCK Galerie, Berlin

神奈川県立近代美術館 葉山で、「アレック・ソス Gathered Leaves」が開催されている。会期は10月10日まで。国内の美術館では初となるアレック・ソスの本個展では、約80点の作品が公開されている。担当学芸員は三本松倫代(神奈川県立近代美術館、主任学芸員)

アレック・ソスは1969年アメリカミネソタ州生まれの写真家。後ほど紹介するシリーズ「Sleeping by the Mississippi」や「NIAGARA」が高く評価され、2008年に世界有数の写真家集団「マグナム・フォト」の正会員となり、同年、出版レーベル「Little Brown Mushroom」を立ち上げた。現在、作品はサンフランシスコ近代美術館やヒューストン現代美術館、ミネソタ州ウォーカー・アートセンターなどに所蔵されている。
ポートレイトや風景写真を通じて、アメリカ社会のイメージを明らかにするソスは、「ドキュメンタリー写真」というジャンルや「ストーリーテリング」のキーワードで知られている。展示作品を通じてその作風に迫っていこう。

アレック・ソス ピーターのハウスボート、ミネソタ州ウィノナ 2002 「Sleeping by the Mississippi」シリーズより © Alec Soth, courtesy LOOCK Galerie, Berlin
会場風景より、「Sleeping by the Mississippi」
会場風景より、「Sleeping by the Mississippi」

「Sleeping by Mississippi」:キャリアの始まり

「Sleeping by Mississippi」はミシシッピ川に沿って旅をし、人物や風景を撮影したプロジェクト。2004年、その写真をもとに同タイトルの作品集を制作・発表したソスはホイットニー・ビエンナーレに選出され、写真界から一躍注目を浴びることになる。

「読者自身のミシシッピを想像して欲しかったから、川そのものはほとんど写真に写していない(*1)」と語る本シリーズの被写体は、人物から人工物、自然の風景まで様々で一見撮影のルールは見えてこない。ミシシッピという共通項は、言われなければまず気づかないものだ。本展では、飛行機の模型を持つ男性を被写体とした《チャールズ、ミネソタ州ヴァーサ》(2002)や、ソスが「アメリカのティーンエージャーの数少ない遊び場(*2)」と語る墓場を収めた《墓地、ウィスコンシン州ファウンテンシティ》(2002)、黒人男性を模した蝋人形を写した《ジム、蝋人形館、ミズリー州ハンニバル》(2002)などが展示されている。《ボニー(天使の写真を持って)、ミシシッピ州ポートギブソン》(2000)では女性が写真を抱えることで、ソスは絵画における「画中画」のように「写真のなかの写真」という構造を作り出している。これは後年のシリーズ「A Pound of Pictures」に頻繁に見られる画面構成であり、キャリア初期の作品として興味深い。

アレック・ソス メリッサ 2005 「NIAGARA」シリーズより © Alec Soth, courtesy LOOCK Galerie, Berlin
アレック・ソス ふたつのタオル 2002 「NIAGARA」シリーズより © Alec Soth, courtesy LOOCK Galerie, Berlin
会場風景より、「NIAGARA」
会場風景より、アレック・ソス《帰ってきてくれる?》(2005)

「NIAGARA」:壮大な滝とメランコリックな表情

観光地であり自殺の名所でもあるナイアガラ滝。「NIAGARA」シリーズも滝それ自体が直接、主題となるわけではない。ソスが写し出そうとするのは滝ではなく、むしろ滝を媒介して表象される何ものかである。実際、2004〜5年に撮影された本シリーズにおいてソスは、滝に近い豪華なホテルではなく、幹線道路沿いのモーテルを主なロケーションとしている。被写体の選定はその場、瞬間の判断でありつつ、主に色に反応して選んだという。さらに、バーやドーナッツショップに居合わせた人々に古いラブレターを持っているか尋ね、それを撮影した作品もある(本展では、《帰ってきてくれる?》(2005)が公開)。

ナイアガラ滝はその知名度や壮大さゆえに、ともすればありきたりな題材とみなされるかもしれないが、本シリーズの被写体となる人々のほとんどが(カップルと子供たちで挙式を上げにきていた《フレック家》(2005)を除き)——ときに風景すらも——メランコリックな表情を浮かべていることが印象的だ。

アレック・ソス 2008_02zl0189 2008 「Broken Manual」シリーズより © Alec Soth, courtesy LOOCK Galerie, Berlin
アレック・ソス 2008_08zl0047 2008 「Broken Manual」シリーズより © Alec Soth, courtesy LOOCK Galerie, Berlin
会場風景より、「Broken Manual」

「Broken Manual」:隠遁、分裂

ソスの作品は、さらに人間の内面に迫っていく。「Broken Manual」は社会を離れ、荒野や洞窟で隠れて生活をする人々を取材したプロジェクト。撮影者でありながら、ソス自身が作品集の文章を担当した架空のライター、レスター・B・モリソンも演じているなど、引きこもりや逃避に対するソスの強い関心が垣間見えるこのペルソナの分裂は、作品がカラーとモノクローム両方から構成されることと対応している。モリソンのイニシャルが、彼の出版レーベル「Little Brown Mushroom」と符号することにも留意したい。

展示の最後に公開されている本シリーズの撮影旅行を追いかけたドキュメンタリー『Somewhere to Disappear』(2010)では、被写体となった人々の生活や、撮影時の彼らとの会話を通じて、撮影旅行の空気感を追体験することができる。出会った人々や旅を内省するようなソスのナレーションは、作家として自身を、あるいは被写体をどのように位置付けているのかを知るうえで重要な映画だ。監督はロール・フラマリオンとアルノー・アイテンホーブ(Arnaud Uyttenhove)が務めている。

アレック・ソス ビル、オハイオ州サンダスキー 2012 「Songbook」シリーズより © Alec Soth, courtesy LOOCK Galerie, Berlin
アレック・ソス テキサス州ラウンドロック 2012 「Songbook」シリーズより ローク・ガレリー蔵 © Alec Soth, courtesy LOOCK Galerie, Berlin
会場風景より、「Songbook」

Songbook:ジャーナリズムとリリカルなイメージ

「Songbook」は出版レーベル「Little Brown Mushroom」からタブロイド新聞の形式で刊行された『LBMディスパッチ』に基づくプロジェクト。《プロム、オハイオ州クリーヴランド》(2012)など、題材としたのがプロム(高校卒業前のダンスパーティー)やチアリーディングなど、ローカルなイベントということもあってか、これまでのシリーズとは打って変わって明るい表情の人々が写されている。
ところで、本展では写真作品の展示のみのため直接伺い知ることはできないが、ソスは写真と言語の関係に極めて意識的だ。インタビューで述べた以下のコメントを見ていこう。

写真は時として言語の束縛から解放された視覚的なコミュニケーションのシステムと思われていますが、そのようにはいきません。たとえ写真だけで構成された本であっても、その写真集は出版社や批評家、そして一般の読者から、必然的に言語によって処理されるのです(*3)

写真に対する言語の役割を実験したことは、「Songbook」の特色のひとつだろう。タブロイド新聞である『LBMディスパッチ』は表紙のフォントが「The New York Times」の明らかなオマージュであり、さらに写真には作家ブラッド・ゼラーによる文章が付されているなど、ジャーナリズムの手法を模倣して制作されている。
他方、写真集『Songbook』ではテキストが排除され、写真の間に曲の歌詞の一節が挿入されている。そのタイトルはポピュラー音楽のスタンダード曲を総称する「Great American Songbook」から採用されており、ソスはたんに写真という表現手法の限界を言語で補おうとしてるわけではなく、むしろ避けられない言葉の介入によって立ち上がるリリカルなイメージを鑑賞者に提示しようとしている。

会場風景より
アレック・ソス ペンシルヴァニア州フィラデルフィア 2021 「A Pound of Pictures」シリーズより © Alec Soth, courtesy LOOCK Galerie, Berlin
アレック・ソス スチュアート、ペンシルヴァニア州ピッツバーグ 2021 「A Pound of Pictures」シリーズより © Alec Soth, courtesy LOOCK Galerie, Berlin

A Pound of Pictures:写真のなかの写真

2016年、ソスは瞑想から啓示をうけ、1年近く撮影活動を休止。「A Pound of Pictures」は休止後、18年から開始した写真シリーズだ。本シリーズは当初、エイブラハム・リンカーンの葬儀列車の経路を辿ることで、トランプ政権下のアメリカの分断を悼む企画として発足したが、写真に生気が感じられず、コンセプトが変更されたという。自身が定めたコンセプトやルールに基づきながらも、そこに過度に縛られることなく、現場ごとに判断を下す「ハーフ・コンセプチュアル(*4)」なソスの作風が窺える。

会場風景より、アレック・ソス《アイオワ州エームズ》(2021)
会場風景より、「A Pound of Pictures」

本シリーズのモチベーションとして、ヴァナキュラー写真(作家性のない既成の写真やアルバム類)を収集しているソスが、これらの写真の購入時に「量り売り」された体験は重要な役割を担っている。内容ではなく質量として扱われる写真に触発されたソスのこのシリーズでは、写真が大量にベッドに並べられた《コーチライト・モーテル、サウスダコダ州ミッチェル》(2020)や女性のセルフィーに焦点を当てた《オンタリオ州ナイアガラフォールズ》(2019)など、「写真のなかの写真」が印象的だ。会場を回遊していると、ポスターほどのサイズでプリントされたソス撮影の作品のあいだ、要所に小さなヴァナキュラー写真が配されていることにも気づくだろう。

会場風景より、アレック・ソス《ミネソタ州ホワイトベアーレイク》(2019)
会場風景より、アレック・ソス《コーチライト・モーテル、サウスダコダ州ミッチェル》(2020)
会場風景より、アレック・ソス《オンタリオ州ナイアガラフォールズ》(2019)

本展のタイトル「Gathered Leaves」とはアメリカの詩人ウォルト・ホイットマンの詩集『Leaves of Grass』から採られている。少し長いが、写真と詩の類似性について述べるソスの言葉を以下に引こう。

あらゆる芸術形式の中で、写真に、少なくとも私の写真に最も類似していると思うのは、詩です。詩と同様に、写真も鑑賞者がギャップを埋めてくれることに依存する芸術形式です。小説や映画のようにストーリーを語るのではなく、詩はストーリーを示唆するものなのです(*5)

本展の企画を担当した三本松倫代はソスとホイットマンがともに同じタイトルで発表を続けている(いた)ことを指摘する。「本展開催にあたり、ソスの過去の展覧会を調べていくなかで、彼が同じあるいは似たタイトルの展覧会を何度も開催していることに気づきました。ホイットマンもまた、詩集『Leaves of Grass』を生涯にわたって改訂し続けており、少なからずソスも影響を受けているのかもしれません」。
本稿の冒頭でソスの作風を「ストーリーテリング」と形容したが、本来は「ストーリーサジェスティング」とでも言うべきなのだろう。
個人的な物語として記録、編集されることで伝わってくるアメリカ社会のイメージは、データや情報のように完璧に伝達されるべきものではなく、口頭で伝承されるフォークロアのように作品を通じて追体験したわたしたちの解釈によって改変されていくことを、ソスは望んでいるだろう。穏やかな時間が流れる葉山で、ソスの写真が誘う物語にじっくりを委ねてみてはいかがだろうか。

*1——「Sleeping by Mississippi」展示キャプションより
*2──「アレック・ソスインタヴュー 開かれた地平線」、『imaonline』、2020、2022年7月2日最終アクセス、https://imaonline.jp/articles/archive/20201218alec-soth/
*3──「アレック・ソスへの書面によるインタビュー、2022年5月12日」、『アレック・ソス Gathered Leaves』、神奈川県立近代美術館、2022
*4──「アレック・ソスインタヴュー 開かれた地平線」でソスは、自身の撮影の仕方を「ハーフコンセプチュアル」と述べている
*5──「アレック・ソスへの書面によるインタビュー、2022年5月12日」

浅見悠吾

浅見悠吾

1999年、千葉県生まれ。2021〜23年、Tokyo Art Beat エディトリアルインターン。東京工業大学大学院社会・人間科学コース在籍(伊藤亜紗研究室)。フランス・パリ在住。