市川紗椰と巡るアール・ブリュットの迷宮。「抽象のラビリンス ―夢みる色と形―」(東京都渋谷公園通りギャラリー)で見る、色とりどりの抽象表現

市川紗椰が、アール・ブリュット研究家のエドワード・M・ゴメズの解説のもと、日本の7作家によるアール・ブリュット展を鑑賞。個々の作品に感じた魅力や刺激、そして浮かんできた疑問とは?(撮影:西田香織)

市川紗椰

東京都渋谷公園通りギャラリーは、東京都とともにアール・ブリュットの魅力を紹介する展覧会を毎年開催している。5回目となる今年は、ゲスト・キュレーターとして、アール・ブリュットの研究家であるエドワード・M・ゴメズを迎え、アール・ブリュットにおける〈抽象〉表現に注目し、7名の作家の作品を紹介する。

この展覧会「抽象のラビリンス ―夢みる色と形―」をファッションモデルでタレントの市川紗椰がゴメズの案内で鑑賞。アール・ブリュットとはなんなのかを考えながらその表現に迫っていく。

そもそも、「アール・ブリュット」とは?

「東京都渋谷公園通りギャラリーを訪れたのは初めてです。この場所のすぐ近くにはかつて『たばこと塩の博物館』(2015年墨田区に移転)がありましたよね? そこに伺ったのはよく覚えています」と、話すのは大学で美術史を専攻し、女性誌で美術展に関する連載も持つ市川紗椰。現在も足繁く美術館に通っているという。

「アール・ブリュットの作品も時々見ています。今回の出展作家さんのなかでは、ガタロさんの作品を以前拝見しました」と語る。

彼女が訪れた東京都渋谷公園通りギャラリーは、アール・ブリュットをはじめとする作品の紹介を通して、多様な人々の創造性を提示するギャラリー。12月22日まで開催中の「抽象のラビリンス ―夢みる色と形―」も、日本の作家7名によるアール・ブリュットの展覧会だ。この展覧会は、東京都葛飾区のかつしかシンフォニーヒルズ(2025年1月17日〜1月26日)、三鷹市の三鷹市芸術文化センター(2025年1月31日〜2月12日)にも巡回するほか、大島町の大島町開発総合センターでも出張イベントが行われた。

アール・ブリュットとは、専門的な美術の教育を受けていない人などによる、独自の発想や表現方法が注目される芸術を表す。「1940年代にフランスの画家、ジャン・デュビュッフェが提唱した概念です。ブリュット(brut)とはフランス語で『生の』という意味。その後、1970年代にイギリスで『アウトサイダー・アート』という言葉が生まれました。なので、英語圏では『アウトサイダー・アート』という言葉が使われています」と解説を行うのは、本展のゲスト・キュレーターで、アール・ブリュットの研究家 / 美術評論家のエドワード・M・ゴメズ。

本展ゲスト・キュレーター、エドワード・M・ゴメズ(左)の解説で展覧会を巡る

異なる目線の高さに合わせて作られた、迷路のような展示壁

今回、ゴメズは展覧会のテーマに「抽象」、そして「夢」を選んだ。

「人はつじつまの合わない夢、不条理な夢をしばしば見ます。でも、夢から覚めたあと、夢のわけがわからなさを最初から理解し、受け入れている。不条理な内容を深く追求しようとはしません。この姿勢は、抽象的な芸術作品を見るときのそれと似ていると感じました。そこで今回のテーマとして選んだのです」(ゴメズ)

迷路のような会場構成はアトリエ・ワンが担当。会場内に設置された展示壁は環境にも優しい段ボール素材のハニカムボードで作られており、作品によって展示されている高さは様々だ。

誰かが見やすい高さが、別の誰かが見やすい高さだとは限らない。大人の目線と子供の目線、車椅子に乗る人の目線とそうでない人の目線、見やすい高さは人それぞれで違う。「それならば、みんなで少しずつ不便を分かち合おう、というダイバーシティの考え方でこの構成になりました」(ゴメズ)

「不便を分かち合うという考え方、とてもいいですね。この展示壁だと、壁の上や隙間から会場を見渡せるんですね。段ボールの香りがするのも印象的で、断面が見えるのもかっこいいです」(市川)

多様な画材で表現される自由な色と線

まずゴメズが紹介したのが對馬考哉の作品。小説も執筆する對馬はボールペン、アクリル絵具、クレヨンなど様々な画材を使い、そのとき見えているもの、感じているものを作品に描く。《FORGIVE》と《BOW》という作品には、「EVERYBODY SHOULD BE ACCEPTED」という文章が記されているが、これには病と向き合いながら生きる對馬の「すべての人が受け入れられる社会であってほしい」という思いが込められているという。

「細かいタッチのときもあれば、大胆な筆使いのときもあるし、スタイルが色々あるのが面白いですね」(市川)

對馬考哉 FORGIVE 2024 平川市地域活動支援センターおらんど蔵 写真提供:東京都渋谷公園通りギャラリー
對馬考哉 無題(部分) 2020 平川市地域活動支援センターおらんど蔵

土橋美穂は水性ペンやアクリル絵具を使って、抽象的な作品や動物を題材とした作品を制作する。

「色使いがとてもいいですね、繊細で美しい」(市川)「彼女は作品を描く前に下書きやスケッチなどは行わず、いつも直接絵を描き始めます」(ゴメズ)

土橋美穂 無心(部分) 2020 株式会社nullus蔵

柴田鋭一は、「せっけんのせ」というタイトルで、石鹸の泡や水の流れを思わせる作品を描き続けている。現在は国際的にも注目を集め、海外で個展も開催しているアーティストだ。

「『せっけんのせ』って、ふしぎで面白いタイトルです。色も線も自由で、マティスの絵を連想しました」(市川)

かつて、高校の先生が柴田さんに作品のモチーフについて石鹸の泡を連想して、『石鹸の?』と柴田さんに尋ねたところ、柴田さんは『せ』とだけ答えたそうです。その出来事から『せっけんのせ』というフレーズが生まれ、現在は作品のタイトルになっています。『せっけんのせ』がどういう意味なのかは、本人以外わからないんです」(ゴメズ)

柴田鋭一 せっけんのせ 2006 社会福祉法人みぬま福祉会工房集蔵

緻密なボールペン画に目を奪われる

「躍動感を感じます」と市川が語ったのは伊藤駿の作品。伊藤は、木炭を使用して自分の興味、関心のあるものを対象として描く。

「伊藤さんはいつも同じサイズの紙に木炭で対象を描きます。その多くは抽象的な形態を取っていますが、自然や動物をモチーフにしたものです」(ゴメズ)

「画面が黒くて力強い作品が連続するなか、この絵は余白がたっぷりとってあってかわいらしいです」(市川)。彼女が指さしたのは《マンボウ》。シンプルで目を引く作品だ。

伊藤駿作品の展示風景。市川の左手の作品が《マンボウ》  2022 特定非営利法人希望の園蔵

今回の展覧会は、箭内裕樹によるカラーボールペンのドローイングがメインビジュアルとして採用されている。「同じようにカラフルな線で描く柴田鋭一さんの作品とあわせて見てみてください。同じ線でもまったく違います」(ゴメズ)

箭内裕樹 Untitled(部分) 制作年不詳 社会福祉法人みぬま福祉会工房集蔵

箭内は様々な色のボールペンを使い分けて絵を描く。「細かいですねえ。そして色がとてもきれいです。ずっと見ていられる。あ、この色のペン、私が使っているキラキラペンと同じです。おそろいだ」(市川)。

松井瑛美は、水彩やアクリル絵具を使って花や果物などを自由な色と形で表現している。彼女の絵に描かれたモチーフは、自らの意思で動き出すかのような不思議な揺らぎを感じさせる。

「彼女は画面の構成力が素晴らしいです。草間彌生さんの1950年代のペインティングを彷彿とさせます」(ゴメズ)。「色が素敵で、立体感があるのが面白いと思いました。飛び出ているように見える。空間の使い方が良いですね」(市川)

松井瑛美作品の展示風景

「雑巾」のスケッチが伝える日々の記録

そして、第二展示室へ。この空間は、アーティストのアーカイヴをイメージした空間で、作品を運んできたケースもそのまま什器に並んでいる。

ここに作品が展示されているガタロは広島県で清掃員として勤務する傍ら、自らが使用する掃除道具などのスケッチを行ってきた。2018年4月からは、毎日自分が絞った雑巾を描き続けている。コピー用紙やチラシの裏紙など支持体を選ばず、ときにはその日の出来事や思いが日記のように書き留められている。清掃の仕事は2020年9月末で辞め、現在は創作活動に専念している。

ガタロ 雑巾の譜(部分) 2018 クシノテラス(櫛野展正)蔵

「ルネサンス初期に発明された、明暗を使って対象を立体的に描くキアロスクーロを独学で体得して雑巾を描いています。これまで描かれた約300点以上の作品のなかから展示のために30点を選ぶのは大変な作業でした」(ゴメズ)。「仕事の終わりに、これだけ緻密な絵を毎日ずっと描き続けているのが改めてすごいですね」(市川)

アール・ブリュットの境界線を改めて考える

展覧会をひととおり見た市川は「7名全員が個性的で、誰がどの絵を描いているのかはっきりわかるのが良いですね。私は緻密で細かい絵が好きなので、ぱっと見はおどろおどろしい印象を受けるものの、よく見るととてもかわいらしい箭内裕樹さんの絵を楽しく感じました。

松井瑛美さんの作品も色や空間の使い方が面白くて印象に残りました。伊藤駿さんの作品は、最初は黒い線が迫ってきて不安になるような印象も受けたのですが、ひとつだけマンボウの作品のような抜け感があるのもよかったですね。そして、改めてガタロさんの作品の技術と熱意に驚きました。正式な美術教育を受けていなくても、ルネサンスから続く技法にたどり着いてしまうのが面白い」と語る。

そして、「アール・ブリュットに分類されるものと、そうでないアートとの境界線について興味を持ちました」と続ける。

「たとえば、ゴメズさんは松井さんの作品が草間彌生さんの作品を彷彿とさせるとおっしゃっていました。では、松井さんと草間さんの作品の分類の違いはどこにあるのか。正式な美術教育を受けているかいないか、の違いだけなのだろうか、と考えさせられました」

「また、(ジャン=ミシェル・)バスキアは専門教育を受けていなかったけれども、主流のアートの文脈のなかで語られることが多いです。もしも、今回の出展作家さんたちがこの先、美術の学校に入学して、専門の教育を受けたとしたら、入学以降の作品はアール・ブリュットと呼ばれるのだろうか?とも。

英語だと『アウトサイダー・アート』と訳されるというお話がありましたが、『外のもの』という視点と、『アール・ブリュット』が表す『生の芸術』として見るとまた違って見えるようにも感じます。そういったことを考えはじめると、どんどんわからなくなってきます。でも、そのわからなさも含めてアール・ブリュットは面白いと思いました」

そんな市川のコメントを受け、ゴメズはあくまでも自分の意見としながらも、「専門的な教育を受けているか否かに加え、御本人の意思でアートの世界、さらにはマーケットの世界に参画しているか、いないか。そのような意識の違いも大きいと思います」と語った。

本展の音声ガイドナビゲーターは、『SPY×FAMILY』ヨル・フォージャー役、『鬼滅の刃』胡蝶しのぶ役など多数の人気作に出演する声優の早見沙織が担当

また市川は、声優の早見沙織が担当している本展の音声ガイドも体験。「ナビゲーターの早見さんは、彼女がデビューしてすぐくらいの頃からずっとファンなんです。その声で解説が聞けるのがうれしかった。とてもわかりやすかったです」(市川)

さらに、「東京って、意外と買い物のついでに行けるような美術のスポットって少ないから、渋谷のにぎやかな場所にふらっと入れるギャラリーがあるのってすごく貴重ですね。たくさんの人に見てもらいたい展覧会です」と話した。

だれもが気軽に入れる場所にある東京都渋谷公園通りギャラリーで、アール・ブリュットが作り出す迷宮(ラビリンス)に、じっくり迷い込んでみよう。

市川紗椰(いちかわ・さや)

アメリカ・デトロイト育ち。父はアメリカ人、母は日本人。16歳の時にスカウトされモデルデビュー、以降テレビやラジオにも出演。

浦島茂世

浦島茂世

うらしま・もよ 美術ライター。著書に『東京のちいさな美術館めぐり』『京都のちいさな美術館めぐり プレミアム』『企画展だけじゃもったいない 日本の美術館めぐり』(ともにG.B.)、『猫と藤田嗣治』(猫と藤田嗣治)など。