上海市の中心地から西へ約50km、車で1時間半ほどのところに位置する朱家角は、水路が発達した水郷古鎮(古い街)として知られる。「上海のベニス」とも呼ばれる景観に惹かれ多くの観光客が訪れるこの場所に、2023年11月、AAEF Art Centerが誕生した。
そして今年11月8日から2025年6月8日まで企画展「もの派の淵源―位相大地を中心に―」が開催されている。
AAEF Art Centerは、工場として使われていた約2800㎡の巨大な空間を活かし、アジアの現代アーティストによる実験的な作品の展示やアートイベントを主催する。館長のShunは、同館を運営するアジア芸術教育基金会(ASIAN ART EDUCATION FOUNDATION)の代表であり、上海とお台場にギャラリー「Shun Art Gallery」を構える。作家、アーティスト、デザイナーとしても活躍し、李禹煥(1936〜)による『余白の芸術』の翻訳にも携わるなど多方面で才能を発揮する人物だ。
そしてこのたび副館長に、美術史家、キュレーター、ディレクターとして国内外で活躍する沓名美和が就任。
会場を訪れると、白い壁が奥まで広がる風通しのいい空間が広がり、中心に掲げられた「もの派」の起点とされる関根伸夫(1942〜2019)の《位相-大地》(1968)の写真が目に飛び込んでくる。本展はこの関根と小清水漸(1944〜)という「もの派」を代表するふたりのアーティスト活動の軌跡を追い、作品のみならずアーカイヴや国際フォーラム等を通じて「もの派」の真髄に迫るものだ。
まず注目は、関根・小清水ふたりの「もの派」時代の代表作が、圧倒的なスケールで再制作されているということだ。「もの派」の作品はサイトスペシフィックな特性もあり、とくに大きな彫刻・立体作品のオリジナルはほとんど残っていない。後続世代は「もの派」の歴史を主に数々の資料を通して知ることになるが、そうした「写真でしか見たことがないあの作品」が目の前にあるという、作品の存在感にまず驚かされた。会場に集った関係者からは、こうした規模感や方法で「もの派」を扱う展覧会は、現在の日本ではなかなか難しいといった声も聞かれた。
「この会場の特徴としては、大きな彫刻の再制作ができるということがまずありました。そこで今回はもの派の起点となる関根先生の《位相-大地》を中心に据え、関根先生の彫刻作品と、それを技術的に支えた小清水先生の彫刻作品とで展示を構成することを考えました。
1970年前後のどのような環境下で作家たちがこうした作品を作り上げたのか。リアルで見てきたわけではない私たちが当時のことを想像するのは容易ではありません。しかし今回は小清水先生にお越しいただき、一緒に再制作を行ったことで見えてくるものがあり、非常に貴重な経験となりました」(沓名)
たとえば関根の《空相-油土》(1969/2024)。1969年に東京画廊で展示された際は、2トンもの油土を作家が入手し、画廊に持ち込んで制作した。その物量や人々が触ることで変化していく可逆性、それまでの「位相」から「空相」へという作家の転換点といった意味でも、後世にまで大きなインパクトを残した作品だ。
本作の再制作にあたっては大きな困難があったと沓名は語る。関根が残した図面を中国の職人たちに見せて制作を進めてもらったところ、途中経過においては黒い発泡スチロールによる巨大な塊として作品が出てきてしまったという。50年以上前に制作された作品の意図を現代の異国において共有する難しさを感じながら、最終的には油土の扱い方を調整しサイズをやや小さくするなど様々な調整して完成に至った。
実際に作品を目の前にすると、視覚的インパクトだけではなく、油性の匂いもかすかに感じられる。周りを歩き、五感を感じて作品と対峙できる貴重な体験だ。
《位相-大地》は1968年10月、神戸須磨離宮公園で開催された「第1回現代彫刻展」にて関根伸夫が大地に巨大な円筒形の凸凹を表し出した作品。当時の芸術界に衝撃を与えたこの作品は、自然と人間の関係性、そして時間と空間のつながりを再考させるものであった。日本で哲学を学んでいた李禹煥が、この作品について「新しい世界」との「出会い」を可能にする普遍的な様相だと論じたことが、のちに「もの派」のひとつの理論的な基盤となった。
そしてこの歴史的作品を関根とともに制作したのが、助手として参加した小清水と吉田克朗(1943〜1999)、そして3人の女性だった。
小清水と吉田は多摩美術大学において関根の後輩にあたり、当時も毎日のように顔を合わせていた。なかでも彫刻科で学んだ小清水は、絵画科出身で彫刻家ではなかった関根を技術面で大いに支えることになった。まさに大地と格闘しながら巨大な円筒形を生み出した本作の誕生を、小清水は「ビッグ・バンである」と述懐する。その衝撃は当時20代前半だった小清水に大きな影響を与え、その後3ヶ月ほど何も作れなくなったという。
そんな一種のスランプを抜け出した作品が、本展の会場の入口すぐに展示されている《垂線》(1969/2015)。ピアノ線に真鍮製の分銅を吊るした本作は、「垂直である」という観念を実在させる作品だ。
本展は基本的に1960年代後半から71年までの限られた「もの派」の時代の作品を展示しているが、例外的な《階(きざはし)之庭》(2015/2024)は、この《垂線》と同時期にピアノ線で石を吊るした《垂線Ⅱ》から作家自身が着想を経たもの。
2015年にギャラリーヤマキファインアートで本作を再構成した際から、さらに石の数が増えた本展での展示では、2種類の石が円形に配置され、いくつかが宙に浮いている。沓名とともに本展のキュレーターを務める朱其(Zhu Qi)が、作家からのリクエストに応えこれらの石を中国の山から集めてきたという。「土着」という概念を重視してきた小清水の作品において、開催地ならではの土着性が加わったと言えるだろう。小清水は会場に来てからこれらの素材と対峙し、その場でそれぞれの配置や構成を検討し作品を制作していった。
このほかにも会場には、「現代美術の一断面」展(東京国立近代美術館)に展示された《七〇年八月 石を割る》(1970/2024)といった代表作や、柔らかな紙という素材と対峙した《紙1》(1969/2024)、「表面から表面へ」シリーズなど、重要な作品が並ぶ。
小清水は本展について「作品自体を見ていただきたい。これまで資料や文章、写真などはたくさん出ているが、そうした写真などは忘れて、作品そのものを体感していただきたい」と語る。作家がこの会場で生み出した作品と向き合うことで、感覚が大きく揺さぶられるだろう。
またAAEF Art Centerは、アジアにおける現代アートの調査、研究にも力を注ぐ。今回は千葉市美術館学芸員・森啓輔のアドバイスを得ながら「もの派」の研究を進め、中国語と英語でのアーカイブに取り組んだ。
「館長のShunさんからAAEFの展示を担当してもらいたいと声がかかり、同時にアーカイヴも注力していきたいというヴィジョンをお聞きしました。彼女のコレクションを見させてもらったところ、具体やもの派の作品もたくさん含まれていたことから、これらを中心に展示を組み立てていけないかと考えました。そこで千葉市美術館学芸員・森啓輔氏にアーカイヴのアドバイスをいただきながら、関根伸夫さんの奥様がお持ちの資料などもお預かりし、資料を中国語や英語に翻訳していきました。またもの派の年表も中国語・英語でまとめ、会場にも掲示しています」(沓名)
戦後、日本の美術家たちは西洋のモダニズムの影響を大きく受けると同時に、自らの足元である日本、そしてアジアにも目を向けずにはいられなかった。《位相-大地》は老子の無為自然の思想をはじめ、様々な東洋思想の影響から制作されている。
中国においては1990年代初頭から前衛芸術家や批評家たちが「もの派」に注目し始めたという。開幕前日に開催されたフォーラムでは、本展の学芸顧問を務める建畠晢のほか、中国や韓国からも専門家が集い、「もの派」を国際的な視点から再検討する議論が行われた。日本と中国、さらには東アジア全体における芸術的な相互作用も本展のひとつだと言えるだろう。
半世紀前に登場した「もの派」が日本の現代アートに変革を起こし、その後アジアをはじめ国際的な再評価・研究が進んできた。現代の国際的な視点から、また五感を通してその作品に触れることができる本展は、過去と同時に未来を向いた展覧会だ。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)