この企画はそのAランチのバージョン2.0として企画されたが,私は敢えて1.5版と呼んでみたい.鴻池作品の批評を2001年から書いているものとして,Aランチのコンセプトについて抽象的なレベルから具体的な落とし込みについてまで彼女と議論を交わす機会を得られたのはとても幸せな事だった.メディアアート制度と自由文化についての研究に携るものとして,私はAランチのアイデアにWeb2.0的な,オープンソース型文化の萌芽を見ずにはいられなかった.参加型の文化の中に既に足を踏み入れている私たちにとって,少なくとも古典的な意味でのキュレーションは今日、どのような正当性もしくは再定義可能性を持っているのだろうか?観者が批評性と創造性という点において最も享受できるために,作品を展示するという行為をどのように開放していく事が出来るのだろう?長い時間の議論の後、Aランチの原理的な部分は強化されていくと同時に、鴻池の中で新たなワークショップ制度や施設像のイメージが生まれていった.厳密な意味で言うと,今回の企画は真の意味でのオープン性やインタラクティビティを獲得するためのいわば過渡期的な様相を呈しているが(その意味でまだ1.5版だと書いた),更に具体的な更新案をアーティストと今も協議している.つまるところ,鴻池というアーティストは目的設定よりもルール設計に関心を持っているのだ(彼女はまた自身のアニメーション作品をクリエイティブコモンズライセンス下で配布している)今年のAランチは鴻池と彼女の優秀なスタッフたち(大学生やプロのキュレーターを含む)が細心の注意を払いながら準備されてきた.そして前回とは違い,今回は著名な,業績も豊富なアーティストたちも多く含む陣容となった.例えば森村泰昌, 藤本由起夫やもとみやかをるといった経験ある作家たちから, AreYouMeaningCompany, 大塚聡, または村山華子といった若手作家たちも入っている.
私はテーブルに座って10作品ほどオーダーし,2時間ほどの不思議な体験を味わった.その間に頭を駆け巡った様々な思いの中でも特に奇妙な印象を持ったものは,まるで架空の美術史のアーカイヴの中で作品を手に持って検証しながらメモを取っているという情景だった.そう,まるで図書館で古書や珍しい本と出会った時の悦びと共に.事実,各作家はそれぞれの方法でもって、この様式に適応するように作品を提供している.それが写真であろうと,動的なオブジェであろうと,サウンド・ピース,本もしくは彫刻であろうと,それらが壁に掛かっているのではなく,自分の座っているテーブルに置かれる事の意味は想像していたより大きかった.
ここでは各作品についてのコメントは書かないでおく.なぜならこの企画の最も重要な事は,観者たちが各自の選択に基づいてコミットし,相互作用を行う毎回固有のプロセスを経験する事だからだ.私は一人の客として自ら選んでデザインした饗宴に満足できた.だからこそ,新たな文化体験を求めている人から一時の休息を探している人まで,あらゆる人にこの空間に足を踏み入れて欲しいと思う.そしてどうか忘れないで:もし目の前のメニューが気に入れば,シェフを呼んで話をしたり,またレシピを買う事もできるという事を.
この企画はそのAランチのバージョン2.0として企画されたが,私は敢えて1.5版と呼んでみたい.鴻池作品の批評を2001年から書いているものとして,Aランチのコンセプトについて抽象的なレベルから具体的な落とし込みについてまで彼女と議論を交わす機会を得られたのはとても幸せな事だった.メディアアート制度と自由文化についての研究に携るものとして,私はAランチのアイデアにWeb2.0的な,オープンソース型文化の萌芽を見ずにはいられなかった.参加型の文化の中に既に足を踏み入れている私たちにとって,少なくとも古典的な意味でのキュレーションは今日、どのような正当性もしくは再定義可能性を持っているのだろうか?観者が批評性と創造性という点において最も享受できるために,作品を展示するという行為をどのように開放していく事が出来るのだろう?長い時間の議論の後、Aランチの原理的な部分は強化されていくと同時に、鴻池の中で新たなワークショップ制度や施設像のイメージが生まれていった.厳密な意味で言うと,今回の企画は真の意味でのオープン性やインタラクティビティを獲得するためのいわば過渡期的な様相を呈しているが(その意味でまだ1.5版だと書いた),更に具体的な更新案をアーティストと今も協議している.つまるところ,鴻池というアーティストは目的設定よりもルール設計に関心を持っているのだ(彼女はまた自身のアニメーション作品をクリエイティブコモンズライセンス下で配布している)
今年のAランチは鴻池と彼女の優秀なスタッフたち(大学生やプロのキュレーターを含む)が細心の注意を払いながら準備されてきた.そして前回とは違い,今回は著名な,業績も豊富なアーティストたちも多く含む陣容となった.例えば森村泰昌, 藤本由起夫やもとみやかをるといった経験ある作家たちから, AreYouMeaningCompany, 大塚聡, または村山華子といった若手作家たちも入っている.
私はテーブルに座って10作品ほどオーダーし,2時間ほどの不思議な体験を味わった.その間に頭を駆け巡った様々な思いの中でも特に奇妙な印象を持ったものは,まるで架空の美術史のアーカイヴの中で作品を手に持って検証しながらメモを取っているという情景だった.そう,まるで図書館で古書や珍しい本と出会った時の悦びと共に.事実,各作家はそれぞれの方法でもって、この様式に適応するように作品を提供している.それが写真であろうと,動的なオブジェであろうと,サウンド・ピース,本もしくは彫刻であろうと,それらが壁に掛かっているのではなく,自分の座っているテーブルに置かれる事の意味は想像していたより大きかった.
ここでは各作品についてのコメントは書かないでおく.なぜならこの企画の最も重要な事は,観者たちが各自の選択に基づいてコミットし,相互作用を行う毎回固有のプロセスを経験する事だからだ.私は一人の客として自ら選んでデザインした饗宴に満足できた.だからこそ,新たな文化体験を求めている人から一時の休息を探している人まで,あらゆる人にこの空間に足を踏み入れて欲しいと思う.そしてどうか忘れないで:もし目の前のメニューが気に入れば,シェフを呼んで話をしたり,またレシピを買う事もできるという事を.
Dominick Chen
Dominick Chen