桂離宮の中に見る日本建築様式の再発見、生駒山の住宅地計画、熱海の日向邸等。こうしたことを頭の片隅に留めていた私は、いささか奇妙なしこりを感じた。日本の建築様式で明るい色彩を用いているのは少なく、ましてや古風な建築となると極めて少ない。そうした中に美を「再発見」した人が何故、眼の覚めるような鮮明色(赤・青・黄)なぞ用いるのかと。それは彼が晩年に導き出した建築理論、「釣合」の一要素に過ぎないのだが、建築物を見ているというより色彩を前面に出した絵画作品を見ている感覚に陥る。この点は最後に簡単に触れることにしよう。
展示構成は二階から四階にかけてそれぞれが異なるブースになっていた。二階の第一部はタウトの生涯に渡る造形作品と建築プランが展示されていた。受付からエレベーターで上がってすぐのところに、タウトが若い頃描いた風景画が数点展示されていた。
「建築は釣合の芸術である」(『建築芸術論』篠田英雄訳、岩波書店、p19)、「釣合は一つの建築物を風土とその他のあらゆる前提と関連して観察するならば、この建築物とこれらの前提と結合している統一の存在することが判る。そしてこの統一を支配するものは釣合即ち均斉でなければならないのである」(同掲書、p44)-このようなタウトの造形理論を踏まえると、その土地々々に合わせた建築物を建てる上で色彩も重要なファクターとする彼の「眼差し」が風景画によって示されていたと言える。
加えて、単純な風景ではあるが色彩を多く用いて、微妙な奥行きを描き出している。このことから、後の色彩感がこの頃に培われていたと知る展示であった。それを補うかのように、すぐ近くに彼が考案したガラスの建築積み木が展示され、照明による色彩の生え方や色彩の組み合わせ方といったタウトの造形源泉を見て取れる。
この風景画コーナーを抜けて左側には《アルプス建築》のプランとドイツ工作連盟(Werkbund)展で彼の名を馳せた《ガラスハウス》が展示されていた。
《ガラスハウス》はタウトの造形作品を紹介する上で外せない要素だとしても、《アルプス建築》は「建築家ブルーノ・タウト」として見る場合あまり扱われない要素であるし、上述の著作でも扱われることはない。「ユートピア思想を掲げた造形作家」という枠で扱おうという美術館の姿勢と、色彩の迸りとメガロマニアとも言うべきペーパーアーチテクチャーとの合一が見られて面白い。
また《アルプス建築》に描かれた麓の建造物や山々の描き方が、ブラックやピカソのようなキュビズムに見られるマッスの組み合わせに相似しており、同時代の絵画からも影響を受けていると確認できたのは新たな発見であった。
中央部には《画帖桂離宮》のスケッチがガラスの屏風に収められ、一扇ごとに二枚ずつ展示され、裏と表から鑑賞できるようになっている。これもタウトが再発見した日本の様式美を踏まえた展示となっている。
右側にはドイツ時代に手がけた労働者用集合住宅《Siedrung ジードルング》の写真、ソ連時代の建築プラン、トルコ時代の建築作品の写真が展示されていた。最初に受けた色彩のインパクトはジードルングでも見られるが、その後のソ連とトルコ時代では、当時の写真が白黒のため仕方がないのであろうが、色彩感がない。
『建築芸術論』や未公表論攷『ロシアの建築事情』(El Lissitzky『Rußland, Die Rekonstruktion der Architektur in Sowjetunion』に所蔵)で厳しく非難する「モニュメンタリティが持つ重さ」を感じずにはいられなかった。それはイデオロギーや国家権力という彩りが、タウトにとって、重圧でしかないのだろう。しかしながら、ソ連とトルコにおける彼の仕事はその彩りに染まるものと言ってよい。個人的にはこの「二枚舌」的なタウトをより詳細に知りたいと思う。これを克服するかのように展示壁面には、ベルリン南部の都市ファルケンベルクのジードルングでタウトの用いた色彩が再現されており、色彩感の強さで二階の展示が締め括られている印象を受ける。
三階はタウトの文献資料が展示されている。日本の芸術家や知識人、彼の家族に宛てた手紙、マニフェスト等が見られて彼の造形理念を理解する一助になってくれる。
日本の原風景や日本古来の芸能に対する「異邦人」タウトの視線から、日本古来の美というものが外部の視線によってでしか発見できないつまり異邦人によって発見される必然であったと解することができる。
それは、またもやキュビズムだが、ピカソがアフリカ原始芸術に着目し儀式性ではなく造形美を見出したことやマレーヴィチが民衆芸術の素朴さに純粋表現性を見出したことと似ている。タウトの視線に戻すとつまり、「再発見」されたのは建築物そのものであって、建築物の釣合という点から新たに様式美が生み出されたのである。そこまで行くと展示から離れた世界に引きずり込まれてしまうが、ともかく造形作品からでは見出せない細やかな造形論理を随所で確認できる。
人間関係の良好さ、タウトの人柄の良さとウイットに満ちた文体-こうしたところからも調和を重んじる日本の文化様式と彼の持つ美意識のつながりが垣間見える。しかしながら、記者としては二階で衝撃を受けた色彩感が彼の造形思想にどう結合しているのかという点は不明瞭なままであった。
この点を多少なりとも融合してくれたのが、四階の展示だ。主にタウトが日本で手がけようとした工芸品のスケッチや日向邸の内部空間とそれにまつわるスケッチが展示されていた。子供の頃、家族で出かけた際にお邪魔した温泉旅館のような雰囲気に包まれ「懐かしさ」に囚われる。
特に日向邸の一部を再現した空間で深紅の壁に仄かな光が差す光景は、まさにその典型であった。と同時に、ジートルングで見られたややきつい感のある色彩は寧ろ落ち着きを鑑賞者に与える。これが日本という土地に馴染みのない外国人が鑑賞した場合、逆に感じられるのだろう。即ち、くすんだ色使いであると。日本人である私はこの染み渡る色使いから、先に述べた「釣合」という言葉が妙に腑に落ちたのだ。
一方で工芸品のスケッチでは日本で用いられるものを描いているのに、異国の地からそのスケッチを日本に届けているという事実。それほど日本への愛着が強いという印象を与えると同時に、土地に囚われず豊かな発想を生み出すことができる「コスモポリタン造形家」の片鱗を感じさせてくれる。
「日常生活、社会生活、そして純粋な精神生活の三要素を融合させた時、完璧な世界となる」とカタログでタウトのユートピア思想が説明されている。それを「アルプスから桂離宮へ」移行していく造形変遷のなかで多様に発展させていったというのが展示の内実のようだ。
しかし、その「ユートピア思想」は変わりなく晩年の「釣合」という表現によって「日向邸」で体現されたのではないか。このように記者が感じるのは、タウトが日本の様式美に描く「日常、社会、精神」の三要素を生活空間で経験上触れているからである。これがドイツで長年生活する人ならば、ジートルンクの中に見出すであろうし、トルコで生活を送る人はケマル・パシャの石碑に見出すのかもしれない。
この点は、最初に述べた「絵画作品として鑑賞してしまう錯覚」と関連している。ジートルンクがどきつく見えたり、《アルプス建築》がメガロマニアックに見えるのもそこに付随する日常や社会が切り離されて展示されているためであろう。たとえ当時の背景や生活状況を展示したとしても、研究で従事していてその時代に精通していない限り、経験として味わうことはできまい。
そのため日常や社会と密着した色彩を感じることはできず、「精神生活」の発露としての色彩に眼が向かい、「絵画作品」として見てしまうのであろう。しかしながら、ジートルンクの色彩を「生活」の中で経験できる人達は、どのような色彩にインパクトを受けるのだろうか。
建築展にも拘わらず、色彩感について考えさせられる展示であった。