国内各地の芸術祭などで精力的に作品を発表する現代美術家・中﨑透の美術館で初の大規模個展「中﨑透 フィクション・トラベラー」が、水戸芸術館現代美術ギャラリーで11月5日から開催されている。会期は来年1月29日まで。企画は同館現代美術センター芸術監督の竹久侑。
中﨑は1976年茨城県生まれ。東京の武蔵野美術大学・同大学院で学んだ後、2007年に水戸に戻り、同地を拠点に活動している。言葉やイメージといった共通認識の中に生じるズレをテーマに、立体や映像、絵画など様々な手法で作品を制作し、近年はその場に関わりがある人々へのインタビューを基にしたインスタレーションを各地の芸術祭で展開。アーティスト・ユニット「Nadegata Instant Party」(中﨑透+山城大督+野田智子、2006年結成)やオルタナティブ・スペース「遊戯室(中﨑透+遠藤水城)」(2007年設立)でも活動し、多面体の発表を続けている。
本展は、看板がモチーフの代表的シリーズをはじめ、100点以上の旧作や近作が集結。だが、いわゆる「回顧展」を想像すると、ちょっと違う。なぜなら展示の中核をなすのは、中﨑が出身地の水戸と水戸芸術館をモチーフに、過去作を動員して作り上げた新作インスタレーション《フィクション・トラベラー》だから。つまり鑑賞者は、同地と同館の記憶を扱う新作空間を巡るうち、作家の20年分の作品と出合うことになる。
その《フィクション・トラベラー》は、地元の30代~70代の男女5人(その中に中﨑の両親も含まれる)に行ったインタビューを基に制作された。会場は、5人の語りを随所に散りばめ、それと合わせて自作を近くに配している。
会場の第1室は、戦中・戦後の水戸を回想する人物の台詞と、その言葉尻を作家がとらえたような新作絵画《全然覚えてない‼》《覚えてる》からスタート。古い衣料品店で2020年に披露した紅白幕を使った作品、街角の看板を描いた風景画、緑でなく「縁を守れ」と洒落のめす絵画が、終戦直後や高度成長期を振り返る証言とともに並ぶ。それぞれの体験に基づく言葉と中﨑のユーモアを含む表現が微妙にズレながら響きあい、それぞれの物語が動き出す。
展示室の中央には、スナックビルの入口と見紛うカタカナ英語の看板を集めた立方体がふたつそびえる。片方は派手な多色、もう片方は落ち着いた白とグレーにまとめられ、色彩による印象の違いを再認識させる。
水戸芸術館は、演劇・美術・音楽の3分野を扱う画期的な複合施設として、世界的建築家・磯崎新の設計により1990年に開館した。鉄パイプの足場が組まれた工事現場のような第3室では、その“誕生秘話”が伝えられる。
着工前を回想する一文に誘われて、足場の階段を上がると上階は当時の証言が並び、開館するまでの現場の奮闘に思いが向く。1階床に山積みされた廃棄物のような品々は、中﨑が芸術祭で用いる取り残された日用品を連想させる。なお同室の展示は、中﨑が2011年に大阪市のギャラリーで行った個展を、2階部分に開いた穴も含めて再現している。
各展示室で目を引くのは20年間、中﨑が作り続ける看板がモチーフの作品だ。美大の卒業制作で「デザインでなければ、アートになるのか」と考えたのが制作の始まりだという。立体や絵画、ドローイングなど手法は様々で、有名企業の看板を中﨑流に解釈したものが並ぶ一角もある。
第5室は、「看板屋なかざき」と称して各地の芸術祭やグループ展で発表した看板の作品がそろう。実在する店舗のものもあるというが、絶妙にダサい。なぜなら通常はクライアントの意向が優先されるデザインが、ここでは作家に決定権があるからだ。
「相手と力関係がフラットな特殊な契約を結んで作ります。看板に限らずデザインは、雇用された方が依頼主の意向を慮って制作することが多いが、対等な関係なら誤解や勘違いだって生まれる。そうしたミスコミュニケーションを、つい間違ってしまった事故みたいなデザインで見せています」(中﨑)
制作に当たっては、事前に依頼主から店について話を聞き、アート作品として作ると説明するという。ご飯の上に魚がそのまま乗った寿司店や「まちがいおこします。」とうたう商会など、作家とどんなやり取りがあったのかと想像したくなる。商品を「よく見せる」という看板の役割を脱臼させる作品とも言えそうだ。
東日本大震災が起きた2011年から続く「プロジェクトFUKUSHIMA!」に発足当初から関わるなど、地域と協働する様々なプロジェクトを展開してきた中﨑。廊下のように細長い展示室には、そのドローイング作品やアーカイブ、オルタナティブスペースで発表した7色の糸を使ったインスタレーションや日用品を組み合わせた構造体、世界の都市名をデザインした看板作品などが並ぶ。関連がありそうでなさそうで、やっぱりありそうな壁のインタビューテキストと作品の掛け合わせが楽しい。美大在学中に始めた陶芸や産地に赴いて制作した瓦、タイルを使った作品を中心とする展示室もある。
突き当りの展示室は、中﨑が近年多く手掛けるカラーアクリルと蛍光灯を用いたライトボックスの立体作品が集まった。単体、あるいは集合的に置かれてた様子はひとつの風景のようで、タワーがそびえる水戸芸術館みたいに見えるスポットもある。仰向けに横たわった人体を思わせる作品の近くには、こんなテキストが。
あんまり学校に馴染めてなかったと思うんで、なんていうか、
高校の中に文化の香りを求めていった学校なのに、全然そうでもなくて、
面白くなくてすごいしょぼくれちゃって。
違う学校の友達と一緒に学校サボって水戸芸の芝生でゴロゴロしながら過ごすみたいな。
コントルポアンでおしゃれな雑貨とか見て心満たすみたいな、そういう日々でした。
水戸に生まれ育った中﨑は、高校時代に水戸芸(術館)の活動と出合って美術の道に進んだという。テキストはインタビュー相手から聞き取ったものだが、作家自身の経験や思いも投影されていると感じられた。
本展について中﨑は、子ども時代から親しんだ地元ゆかりのテレビ時代劇「水戸黄門」について触れた後にこう述べている。
(テレビの「水戸黄門」が)虚構を前提としての娯楽であるように、芸術もまた物語や虚構と現実のはざまを絶え間なく行き来するなかで織り成された「越後のちりめん問屋」のようなものである。僕はたぶん虚実の隙間をうろうろと20年以上旅をしている。冗談のような嘘が、時として夢のような現実を生む力になることをきっと信じているんだと思う。
「越後のちりめん問屋」と称して漫遊する水戸黄門が、ラストで取り出す印籠には身分を明かす三つ葉葵が描かれている。中﨑の印籠には「芸術」と書かれているが、それを差し出す手つきは飄々としている。だから私たちは、くすっと笑いながら「虚実の隙間」に目を凝らすことができるのだ。