公開日:2022年9月1日

戸谷成雄インタビュー「概念という抽象性に皮膚を与えていく行為こそが彫刻だと考えたい」

Tokyo Art Beatのインタビュー企画「Why Art?」は、映像インタビューを通して百人百様のアートへの考えを明らかにする企画。同企画の一環として、注目のアーティストに話を聞いた。今回登場するのは、彫刻家の戸谷成雄。

戸谷成雄。2021年に行われた「森―湖:再生と記憶」展(市原湖畔美術館)会場にて 撮影:編集部

戸谷成雄は、ポスト・ミニマリズムやもの派の潮流によって従来の彫刻の在り方が解体された後の彫刻と向き合い、1970年代よりその「構造」を問い続けてきた彫刻家だ。今年11月には、自身の故郷にある長野県立美術館で活動の全貌を振り返る個展を予定している(2023年2月には埼玉県立近代美術館に巡回)。戸谷が向き合い続けてきた彫刻の「構造」とはどういうものなのか? 今回のインタビューでは主に、84年より取り組んできた木彫の代表作シリーズでライフワークでもある「森」シリーズからそれを読み解き、活動の根底にある思想を探った。

戸谷成雄 森IX 撮影:山本糾

「森」シリーズを語るうえでまず戸谷が強調したのは、ここでの「森」とはエコロジカルな意味ではなく、あくまで彫刻の構造のメタファーとしての意味だということだった。

「もともと “森”の構造とは、森で人と人が出会ったとき視線がどんなふうに飛び交いぶつかり合うか、というところを発端としています。たとえば、広大な砂漠で人が向き合ったとき、そこには何もないわけですから“私”と“あなた”が対峙的にコミュニケーションを取り、理解しあうことになる。いわば二元論的な関係です。ところが日本や中国など、ヒダのあいだに人が暮らしているような森に覆われた起伏に富んだ場所で生きる私たちは、森の中で人々が視線をぶつかり合わさず、すれ違うかたちで視線を交わしても互いをそれなりに理解するような関係性をかたち作っているのではないか。それは彫刻の概念として大きな可能性があるのではないかと考えました。
そんなふうにあくまで構造として“森”と呼んでいたのだけど、周囲からはしだいに自然を想起させるエコロジカルな“森”として受容されるようになった。人間と環境の関係が取りざたされる時代の影響もあったと思います。最初、俺はそんなこと言ってないって思ったんだけど(笑)、でも途中から、みなさんが理解してくれているもののなかにも本質があるかもしれないと抵抗しなくなりました」(戸谷)

「森」シリーズの大きな特徴は、木の表面に山脈のように連なる縦横無尽な線。それらは、一般的に木彫を作る際に用いる彫刻鑿(のみ)ではなく、電動チェーンソーで彫り出されている。これは、「森」シリーズにおける斜線の構造を考える際に戸谷が編み出した手法なのだという。

「『森』シリーズでは、彫刻が持つ水平・垂直の概念に斜線を組み入れようと試みています。木の直方体に、斜めの視線を埋め込むにはどうしたらいいか。鉄の棒を木の中に差し込もうと思いつき、切れ目を入れるために電動チェーンソーを使ったのが始まりでした」(戸谷)

戸谷成雄 森IX 撮影:山本糾

木に斜めの角度からチェーンソーで切れ目を入れ、棒を差し込むことを繰り返すうち、刻んだところがマイナスとなり、刻まれない部分がゼロからプラスに転じる。そこに、戸谷は新たな構造を見出した。

「雨が降ると、平らな地面に水が流れ、侵食が大きくなると川になる。すると谷が生まれ、平地のところが山になる。中国の水墨画にも通じるような、何かを凹ませると何かが出てくるという繰り返しが、チェーンソーと素材とのあいだで繰り返されているのが面白いと思ったんです。わざわざ鉄の棒を差し込まなくても、凹凸を交互に繰り返した構造を木の表面に作っていくことで内部構造を表すことができる。彫刻の場合、表面を通してしか内部構造を表すことができません。逆に言えば表面を作ることによって内部の構造を、斜線と絡み合いからなる“森の構造”に近づけることができるのではないかと思いました」(戸谷)

この「森の構造」は、ギリシャ彫刻の人物像から続く彫刻の基本的な形──重心があり、頭の先から足の先まで様々なカーブを描きながらも直立する仕組み──という1本軸の中心構造から、斜線構造からなる絡み合いの構造を作りたい戸谷の考えを実現するものでもあった。

「それはある意味では、一神教的な精神と多神教的な精神の在り方の違いと言うのかな。そう言ってしまうと身も蓋もないんですけど、ひとつの中心からなる構造と、多様な価値観が錯綜し、絡み合いながら作り上げる全体性では、心の構造も少し違うと思うんです」(戸谷)

「戸谷成雄 森―湖:再生と記憶」(市原湖畔美術館、2021)会場風景より、《視線体─散》(2019) 撮影:編集部

話は、彫刻の構造から心の在り方の違い、また、人間そのものへの視線へと及んだ。

「日本人には、究極を突き詰めるような個人や徹底的に孤立した自我とは違う、弱いと言えば弱いけど、弱いなりに錯綜した自我があるのではないでしょうか。それゆえに日本人がやることはなんとなく曖昧でいい加減だと言われますが、それは弱点であると同時に、可能性の場所でもあると思っています。インタビューの冒頭で、森で他者と出会ったときの例え話をしましたが、それは人間と自然も同じ。私と自然の対立構造ではなく、私は自然の一部であるんだけど私は私だという……それは矛盾しているみたいなんですけど共存しうる考え方だと思います」(戸谷)

戸谷が終始語るのは、彫刻の「構造」について。そのベースにある「概念」への関心は、じつは大学時代にさかのぼる。

「僕は大学の卒業制作で石斧を作ったんです。なぜ石斧かというと、昔の人が地面に散らばった尖った石で足を切ったことを発端に石の鋭利性に目をつけ、石にロープや木の枝をくくりつけて“斧”に概念変化させたことに興味を持ったからです。つまり、構造は自然の中で発見するものですが、そこから概念が成立するわけです。たとえば辺と面がどこから出てきたかというと古代の人間が石を四角く割って使用したことから始まった。その四角い形を厳密に整えると直方体の概念ができてくる。そして概念ができてしまえば、紙の上に線を引いただけで『これは直方体だ』となる。そしてその概念からは、起源となった物質性が失われていく。では、直方体の概念に“物質としての表面”を与えるにはどうしたらいいか? 私はそんな問いを起点に、直方体などの“概念に物質的表面を与える”ことをやってきたと思います。物質・自然・概念という抽象的なもの同士をどうつないでいくかが自分の仕事なんです」(戸谷)

戸谷成雄 森 1987 撮影:成田弘

こうして自身の軌跡を振り返る戸谷だが、これまでの活動を紹介される際、プロフィール上で「ポスト・ミニマリズムやもの派の後にあるべき彫刻と向き合ってきた」というような記述をされることが多い。そのことについて自身は次のように語り、締めくくった。

「美術では“近代美術の行き着く先はミニマリズム”みたいな考えがひとつの大きな潮流としてあり、物語性、政治性、イリュージョンを排除した造形性のみによって作品を価値判断する傾向がある。ではそれを否定するのか?というと違うんです。昔に戻ってはダメで、あくまでミニマリズムをベースに、概念に皮膚を与えていく行為が彫刻だと考えられないかと思っていた。これまでに考えがあちこちにとんできたけど、基本は変わっていません。あとは、東日本大震災など震災が起こるたびに『人間がパーっと飛び上がれば助かるのに』と思う。でも人間ってどうしようもなく30cmくらいしか飛び上がれないんですよね。マンガみたいにはいかず、結局重力に引きつけられて落ちてしまう。そこのところを人間は忘れているような気がしていて、足の裏には地面があるといった基本のことを自分の彫刻で表していきたいとずっと思っています」(戸谷)

戸谷成雄(とや・しげお)
1947年長野県生まれ。埼玉県在住。ポスト・ミニマリズムやもの派といった潮流の中で解体された彫刻の再構築を試みて、1970年代より一貫して人間の存在認識に通じる彫刻の原理とその構造を追求し、作品制作による実践によってその本質と可能性を提示し続けてきた。主な展覧会に「⼾⾕成雄 森―湖:再⽣と記憶」(市原湖畔美術館、2021)「視線体」、(シュウゴアーツ、2019)、「戸谷成雄─現れる彫刻」(武蔵野美術大学 美術館・図書館、2017)「洞穴の記憶」(ヴァンジ彫刻庭園美術館、2011-2012)、「戸谷成雄 森の襞の行方」(愛知県立美術館、2003)など。2004年芸術推奨文化科学大臣賞、2009年紫綬褒章受章。武蔵野美術大学彫刻科名誉教授。

動画インタビュー「秩父アトリエにて(2016.10.28)」は以下より視聴可能
https://shugoarts.com/news/882/

野路千晶(編集部)

野路千晶(編集部)

のじ・ちあき Tokyo Art Beatエグゼクティブ・エディター。広島県生まれ。NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、ウェブ版「美術手帖」編集部を経て、2019年末より現職。編集、執筆、アートコーディネーターなど。