1933年(昭和8年)に旧朝香宮邸として建てられた東京都庭園美術館の本館。当時全盛期のアール・デコ様式で装飾された邸宅は、朝香宮鳩彦王(1887~1981)と允子妃(1891~1933)夫妻の約2年半に及ぶパリ旅行がきっかけとなり誕生した。現在、国の重要文化財に指定される本館は、今から100年前に夫妻が体験した旅の果実でもあった。
その夫妻の旅を起点とする展覧会「旅と想像/創造 いつかあなたの旅になる」が、東京都庭園美術館で開催されている。歴史的建造物の本館とホワイトキューブの新館を使い、6人の現代作家の作品などを通じて、「旅とはいったい何か」と再考を促す内容。会期は11月27日まで。
本展は、新型コロナウイルスが猛威を振るい、移動の自由が制限されるなかで、「旅に出たい」と願う人々の思いを汲み取り企画された。担当した同館の森千花学芸員は「他者の旅は私たちに強く働きかけ、私たちを別の場所に運んでくれる。他者の旅を追体験したり、想像したりするきっかけになる作品や物語、歴史的な史料を紹介し、鑑賞自体がひとつの旅になるような展覧会にしたいと考えた」と話す。
本展は大きく3部で構成される。第1部は朝香宮夫妻の1920年代のパリ旅行を取り上げ、当時の記録写真や絵葉書、同館が所蔵するアール・デコの美術品などを展示。皇族にふさわしい交友と素養を身につけるべく夫妻が行った「グランドツアー」を、オムニバス的に紹介する。
本館大広間に足を踏みいれると、先に旅立った鳩彦王が船で40日かけ欧州へ渡った航跡を記した巨大地球儀が目に入る。家族に宛てた絵葉書や同時代のガイドブックも展示され、当時の旅の様子を伝える。小客室には、鳩彦王が現地で購入したものと同型のカメラを囲んで、滞欧中に撮影した数々の写真やアルバムが並ぶ。
大客室は、朝香宮夫妻が視察し、通称「アール・デコ博覧会」と呼ばれた1925年のパリ万国博覧会のイメージが館蔵品を使い表わされている。夫妻は会期中に何度も博覧会に足を運んだと思われ、のちに新邸の内装を委ねるアンリ・ラパンが活躍した国立セーヴル製陶所のパビリオンなどを訪れた。工業化を背景に新しい装飾性を追求したアール・デコの潮流は、強い印象を夫妻に与え、その粋を集めた自邸の建設へとつながっていく。
喫煙室では明治天皇の皇女である允子妃にフォーカス。その肖像写真やパリから持ち帰った思い出の品々を紹介する。パリの芸術文化を堪能した允子妃は帰国後、新邸の計画に打ち込み、最先端のファッションを着こなした姿が雑誌に度々掲載されて女性たちの憧れを集めたが、新邸完成後まもなく病のため亡くなってしまう。
アール・デコを代表するグラフィックデザイナー、カッサンドルが手掛けた特急列車や豪華客船の広告ポスターも目を引く。交通機関が急速に進歩した1920~30年代、カッサンドルはそぎ落とした形態とスピード感がある表現を打ち出し、旅に目覚めた民衆の心をとらえた。
続く第2部は、ふたりのユニークな旅人を紹介する。ひとりはパリを拠点に活躍した世界的ファッションデザイナーの高田賢三(1939~2020)。1964年に初めて渡欧した際、高田は飛行機でなくあえて船旅を選び、各国の寄港地で見た民族衣装は、のちに彼が代名詞となる「フォークロア(民族服)・ルック」を作り出す発想源になった。
ふたり目は鉄道資料蒐集家の中村俊一郎(1941年生まれ)。約30年かけ鉄道ポスターをはじめ、蒸気機関車のナンバープレートや灯火器など鉄道グッズを含む約900点を取集してきた。それらを整然と並べ、中村のホビールームを再現した一室は、懐かしい旅の気配が立ち込める。
第3部は、6人の作家が新作や展示空間に合わせた作品を制作。多種多様な「旅」のあり方が提示され、本展の大きな見どころになっている。
福田尚代(1967年生まれ)は、代表的シリーズ「翼あるもの」を本館の書庫や書斎、殿下居間に展示している。1ページずつ折り畳まれた大量の本が、鳥の群れのように書棚や机上に配置され、鑑賞者は本の中から偶然に現れた1行だけを目にできる。読書はまた、思考や想像による「旅」でもあると思い起こさせる光景だ。
気化性があるナフタリンなどを使い、時間の経過につれ変容する作品を手掛ける宮永愛子(1974年生まれ)は、妃殿下居間と新館の2か所でインスタレーションを展開。前者は戸棚の中に、魚や時計のオブジェを、朝香宮ゆかりの小物とともに封じ込めた。泳ぐような魚の作品は、曾祖父の陶芸家・宮永東山がフランスからセーヴル型の技術を持ち帰り、京都で制作した石膏型を用いたもの。宮永は「技術を習得するため海を渡った曾祖父の情熱が、朝香宮邸を作り上げた職人たちに重なった」と話した。
映像は、その場を動かずとも私たちを遠い場所へ連れて行ってくれる。相川勝(1978年生まれ)はコロナ禍において行きたいと願った世界の絶景スポットを、衛星写真やデータを組み合わせ三次元にCG化した。画面上のサハラ砂漠やマッターホルンなどの風景は奇妙な現実感をたたえ、リアルとヴァーチャルの境界域を問いかける。
室内をジェット機が飛び交うなど、現実と非現実が交錯する映像作品を作りだすさわひらき(1977年生まれ)。本展では、本館を撮影した実写映像を取り入れた新作《remains》や短編作品を1階の大食堂で披露している。闇に包まれた空間には、アール・デコへの応答として作家が制作した造形物も配されている。
栗田宏一(1962年生まれ)は、国内外を旅し各地で採取した土を使って制作を行う。自分がいた場所の土を張り付け3日ごとに投函した絵葉書が並ぶ《Walking Diary》は、様々な色や状態の土が物語る移動した日々の記録だ。新館では、サウンド・アーティストのevala(1976年生まれ)が本展のために制作したサウンドインスタレーションも体験できる。世界中から集めた音源が次々と立ち上がる空間は、耳で旅するような新鮮な感覚をもたらしてくれるだろう。
なお本館2階には、旅にまつわる書籍を集めた「旅のラウンジ」も設けられている。再び自由な旅が可能になりそうないま、ページをめくりながら「これからの私の旅」について思いを巡らすのもよさそうだ。