東京ステーションギャラリーでは7月13日から、20世紀後半のベルギーを代表するアーティスト、ジャン=ミッシェル・フォロン(1934~2005)の個展「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」が開催されている。同館での会期は9月23日まで。その後は、名古屋市美術館(2025年1月11日~3月23日)、あべのハルカス美術館(2025年4月5日~6月22日)へと巡回を行う。
フォロンというと、わたしを含めた若い世代にとってはあまり聞き馴染みのない名前という印象を受けるかもしれない。それもそのはず、じつは今回の個展は日本で約30年ぶりなのだ。しかし、厳しい現実世界や、社会に潜む不条理や不正義を、鋭く・エモーショナルに表現するフォロンは、いまの時代を生きるわたしたちにこそ強い共感をもたらすアーティストだと言える。社会性の強い題材を描きながら、ポップでやわらかい筆致と、エモーショナルで繊細な色彩感覚が特徴的な彼の作品は、久しぶりに再会する人にとっても、初めて見る人にとってもどこか惹かれる部分があるはずだ。
今回の企画構成を担当したあべのハルカス美術館の学芸員・浅川真紀は今回の展覧会の構成について次のように語る。
「展覧会タイトルにある『空想旅行案内人』とは、フォロンが実際に使っていた肩書き『空想旅行エージェンシー』からとったものです。彼は見る者を自らの作品の中に招き入れ、その中をまるで旅行をするかのように自由に放浪してもらうことを目指して制作を行なっていました。本展は、ジャンルや年代ごとでの構成を行わないことで、背後にある『ストーリー』を感じてもらえるようになっています。あえて決まった解釈が用意されていないフォロンの作品には、ちょっとしたズレや違和感、問いかけが隠されており、それらに自分なりの想像力を働かせることで現れる『ストーリー』が、フォロン作品の奥深さを感じるうえで非常に有効なのです」。
幼い頃から絵を描くことが大好きだったというフォロン。フォロンは若かりし頃、ベルギーの海辺の街・クノックのカジノにあるルネ・マグリットの壁画《魅せられた領域》(1953)と出会い、世界を再発見させてくれる存在としての絵画の可能性に魅せられる。
浅川いわく、この空想旅行のウォーミングアップの役割を果たすという「プロローグ」では、フォロンが初期に制作していたドローイングが展示される。日常に潜むちょっとしたズレや違和感を描いた作品は『ホライズン』『ザ・ニューヨーカー』『タイム』といったアメリカの雑誌に掲載され、これが彼のアーティスト活動のはじまりとなった。簡潔で生き生きとした線で描かれるフォロンのドローイングは、タイヤが風船になっていたり、電球・ハサミに足が生えていたりと、遊び心に満ちており、わたしたちの常識や先入観を軽やかに飛び越える。
そして、本展の冒頭から最後まで登場し、この旅の良き道連れでもある「リトル・ハット・マン」はフォロン作品において重要な位置をしめるモチーフのひとつだ。ぶかぶかのコートと帽子を身につけた彼は、ときにひとりぼっちで佇み、群衆となって現れ、ときにぜんまい仕掛けの人形のような存在として描かれる。何者でもなく何者でもなれる、匿名性と個人性をあわせ持った彼らは、見る者によって違った顔・ストーリーを見せてくれるようだ。
ふたつめのセクション「あっち・こっち・どっち?」では、フォロンが多様なメディアを用いて制作を行っていた様子が伺える。彼の制作技法におけるヴァリエーションは、アーティストの繊細ですぐれた色彩感覚に裏付けされたものだ。それぞれの画材に特有の発色・滲みや、色の組み合わせが自在に操られることによって、独自の世界観が立ち現れる。
このセクションの中で、とくにわたしが心をひかれたのは、シルクスクリーンという、インクを直接のせるように印刷する版画技法とアルミニウムの支持体を用いて制作された作品だ。アルミニウム特有の鈍い反射と、水彩とはまた異なるシルクスクリーンならではの彩度の高いカラーリングが画面に緊張感をもたらし、孤独や、人間らしさの喪失といったテーマが絶妙に表現される。アルミニウムを使っているため、近づいて見ると作品の中にぼんやりとした自分の像が映り込み、フォロンが描いたテーマがより自分ごととして問いかけられていくような感覚がした。
また、このセクションではフォロンの代表的なモチーフのひとつ「矢印」をテーマにした作品も多く展示されている。方向や方角を示すものとして使われる矢印だが、フォロンの描く矢印は旅人を混乱させるかのようにあっちこっちへと伸びてゆく。複数の方向に向かって伸びる矢印の中にポツンと佇むリトル・ハット・マンは、先行きの見えない世界において呆然と立ち尽くすわたしたちの分身のようにも、矢印に翻弄されずに自由な方向へとすすんでいくことを後押ししてくれる存在にも感じられた。
「耳を澄ませば、世界が動いている音が聴こえてきます」という言葉を残しているフォロン。冒頭でも述べた通り、フォロンは人類が共通して抱える問題に耳を澄ませ、それに立ち向かってきたアーティストのひとりだ。「なにが聴こえる?」と題された次章では、戦争や暴力、環境破壊、人権の蹂躙(じゅうりん)など、社会で起こっている様々な出来事を描いた作品が展示される。
とりわけ、戦争に関する作品に着目してみると、それまで見てきた作品の柔和な色使いとは対照的に、赤と青のコントラストや、背景のグラデーションが、フォロンらしい繊細な色彩感を残しつつも画面全体に独特の緊張をもたらしている。
学芸員の浅川は「フォロンの作品は厳しい現実に根ざしたものであるが、それは決して冷笑的なものでなく、自分たちがこのような問題と前向きに対峙していけるような力を持っている」と語る。アーティスト自身の言葉で言うところの「ブラックユーモア」ならぬ「ホワイトユーモア」の精神で作られた作品群は、はるか遠い世界で起こっている悲惨な事態を自分ごととしてとらえるきっかけをやさしく提示してくれる。
本展の中盤「なにを話そう?」と題されたセクションでは、フォロンが生涯にわたって600点以上制作したポスターや雑誌の表紙、その原画が展示される。オリベッティ社のタイプライター「Lettera 32」の広告や、アップル社のために制作されたキャラクター「Mr. Macintosh(Mac Man)」、『世界人権宣言』の挿絵、人種問題、輸血・移植免疫センターを取り上げたポスターなど、複製メディアでの活動も、彼は絵画活動と同じくらい大切にしていた。
ジョルジョ・モランディやパウル・クレーの絵画のような「開かれた絵」をめざした彼にとって、一瞬にして何百万人という人に情報を届けられるメディアは、とても魅力的な力を持った存在であった。フォロン作品が見る者によって違う感覚や、個人的な記憶(ストーリー)を呼び起こすのは、彼が作品を単体で完結するものでなく、見る者と作品の「対話」を生むための媒体としてとらえていたからかもしれない。
フォロンが導く空想旅行は「つぎはどこにいこう?」という問いかけとともに幕を閉じる。最後の章で展示されるのは、フォロンが家族や友人たちに送ったメールアートや、彼が晩年に手がけた水彩画群だ。
フォロンは旅先での出会いや新しい体験を大切な創作のエネルギーにしていたという。そんな彼が親しい友人や家族にあてた手紙に描いたのは、自身の目と豊かな想像をとおして表現される世界の様子だ。このような交流の痕跡からは、コロナ禍でSNS上にたくさんアップされていた空や身の回りの風景写真のことなども思い出される。展示されている手紙やスケッチブックのなかには、日本の富士山や印鑑をモチーフにした作品もあり、フォロンと日本の交流の様子も感じられた。
また、このセクションでたびたび登場する「水平線」や「鳥」「船」は自由を象徴するモチーフであり、彼が旅のなかでじっさいに出会った風景でもある。ここまで、フォロンが案内してくれた空想旅行の幕引きは、わたしたちがつむぐ小さなストーリーの行く先についてふたたび考えをうながすものであり、その行く先をやさしく照らしてくれるような暖かさ・希望に満ちた雰囲気に満ちていた。
フォロンが投げかける違和感や問いに想像力を働かせることで、おもいおもいのストーリーが浮かび上がってくる本展。同じ展覧会を見に行った人におもわず感想を聞いてみたくなるような、そんな他者との会話のきっかけを作ってくれるような展覧会であるとも言えるかもしれない。
井嶋 遼(編集部インターン)