アーティストのイリヤ・カバコフさんが5月27日に亡くなった。享年89。イリヤ&エミリア・カバコフ財団がFacebookで発表した。
妻のエミリアとともに絵画やオブジェ、言葉、音などを用いた「トータル・インスタレーション」という手法で国際的に活躍してきた。
日本では1999年に初個展「シャルル・ローゼンタールの人生と創造」(水戸芸術館 現代美術ギャラリー)を開催。2000年に「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(新潟)に参加、以降同地で継続的に作品を発表してきた。
「越後妻有 大地の芸術祭 2022」では、コロナ禍に制作された《手をたずさえる塔》を公開。民族・宗教・文化を超えたつながり、平和・尊敬・対話・共生を象徴する塔で、平和への願いが込められた。世界の情勢や地域の人々の喜怒哀楽によって異なる色のライトアップが行われる作品だが、ロシアによる故郷・ウクライナへの侵攻が行われたことを受け、会期中は悲しみを表す青、希望を表す黄色というウクライナ国旗の色でもある2色が日替わりで灯された。
イリヤさんは旧ソ連の社会主義体制下において絵本作家としてキャリアをスタート。1950年代から1980年代後半までの30年間、モスクワで国家の認定芸術家として絵本の挿絵画家として活動した。いっぽうで、社会主義的な規範から外れた作品制作に取り組む非公式芸術活動を行い、「モスクワ・コンセプチュアリズム」のグループを形成した。
国家の抑圧によって自由な表現がままならず、秘密警察KGBに捕まるのではないかという恐怖に苛まれ、逼迫した精神状態にあったこの頃の経験は、ここではないどこかというユートピアを夢見るイリヤさんの芸術に大きな影響を及ぼした。
1980年代後半から西側で作品を発表する機会を得るようになったが、この頃の代表作《自分の部屋から宇宙に飛び出した男》(1985)は、モスクワの共同住宅という窮屈な場所からの解放を求める精神が反映されたものだ。
1989年頃からイリヤさんとエミリアさんは共同制作のトータル・インスタレーションで国際的に注目を集めるようになり、ベルリン滞在を経て1992年からアメリカ・ニューヨークに移住。同年ドクメンタに出品。1993年にはヴェネチア・ビエンナーレのロシア館代表作家に選ばれるなど、世界各地で作品を発表し、個展を開催してきた。
日本との縁も深く、前述の水戸芸術館での個展のほか、2004年にイリヤ&エミリア・カバコフ展「私たちの場所はどこ?」(森美術館)を開催、2007〜8年「イリヤ・カバコフ『世界図鑑』―絵本と原画―」展が神奈川県立近代美術館(葉山)をはじめ全国4館を巡回。2008年、高松宮殿下記念世界文化賞受賞。
越後妻有には2000年に《棚田》を制作して以来20年以上にわたって関わり続け、21年には《手をたずさえる塔》を含む新旧全9点からなる「カバコフの夢」プロジェクト(キュレーター:鴻野わか菜)が完成した。